178. 後押し
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今回のロゼロッテの一件を切っ掛けに、ユリは3つの行動を起こす。
まず1つ目に、生産部隊である『竜胆』の子達に、日本語にも対応できる活版印刷機の製作を依頼した。
これは今まで作っていた活版印刷機に較べると、遙かに大変な代物だ。
この世界の文字は『表音文字』であり、使われている文字の種類が少ないため、組版に並べる字型の数も少なくて済んだのだけれど。日本語の活版印刷機を作るとなれば、当然『ひらがな』と『カタカナ』、そして膨大な数の『漢字』の字型が必要となってくる。
まず試作機を1台製作するだけでも、相応のコストが掛かることは間違いないだろう。もちろんそれ以降の量産も視野に入れれば尚更だ。
とはいえ、これは必要なコストだ。日本語を国に導入すると決めた以上、普及に努めるのは当然のこと。国庫の負担など惜しんではいられない。
とはいえ字型の種類が大幅に増えるとは言っても、組版を作る労力自体があまり変わらないままで済むのは、この世界ならではの有難い所だろう。
〈侍女〉系の職業は〈侍女の鞄〉というスキルを修得することができ、レベルに応じた量のアイテムを異空間に格納しておくことができる。
このスキルの所持者は、格納しているアイテムの中から任意の物を一瞬で自身の手の中に取り出すことができるため、種類が幾ら膨大になろうとも、目的の字型を常に一発で選び取ることが可能なのだ。
非常に時間が掛かる『活字を拾う』という行程を迅速に行うことができるため、〈侍女〉の子達に任せれば、熟練の植字工も真っ青の作業効率が出る。
唯一難点があるとするなら、それは全ての字型を〈侍女の鞄〉中へ収める為に、収納枠の都合で〈侍女〉のレベルが20程度は欲しくなることだろうか。
とはいえ他国であればともかく、『迷宮地』へ挑戦することが庶民にも充分浸透している百合帝国に於いては、レベル20以上の〈侍女〉を雇用することぐらい、別に難しいことではない。
2つ目に、ユリは『桔梗』の子達に依頼して、『神域都市』の中に充分な広さを確保した『教育施設』を造って貰うことにした。
この施設は完成後に、建物の所有権ごとオモイカネに譲り渡す予定だ。
理由は言うまでもなく、教育施設を丸ごと『オモイカネの管理する領域』にして貰うことにある。施設内で学ぶ全ての人達にオモイカネの加護を与え、学習効率に常に『+600%』のブーストを掛けるためだ。
実際にオモイカネの元で日本語を学んだロゼロッテの体験談によると、この学習効率が『7倍』になるというのには、単なる数値以上の効果があるらしい。
何しろ、たったの90分間集中して勉強するだけでも、みっちり10時間以上は勉強に打ち込み続けたのと、全く等しい成果が得られるのだ。
そして10時間以上分にも相当する効率的な勉強というのは、それを行った後に当人が『成長した自分』を実感する為に、充分なだけの成果が伴うらしい。
ロゼロッテが言うには、この『成長の実感』には他では滅多に味わうことのできない、得も言われぬ快感が―――。一種のカタルシスに近い感覚が伴うそうだ。
心地良く、また幸福な酩酊を与えてくれるため、それを求める気持ちが再び勉学へ向かおうとする意欲を高めてくれて。その結果、ロゼロッテは一度として勉強を『苦』と感じることも無く、あっさり『日本語』を修得できてしまったらしい。
その話を聞いて、ユリは(なるほど)と得心したものだ。
勉強を重ねていく過程で一番辛いのは、自身の成長が実感できない瞬間だろう。
とりわけ同じ範囲にある内容が何度復習してもなかなか覚えきれない時などは、不甲斐ない自分自身に対する怒りにも似た感情が堆積して、心が晴れなくなることも多いものだけれど―――。
なのに、オモイカネの元で勉学に励むと、自分の期待以上に学習効率が出過ぎるせいで『成長の停滞』を実感する機会自体が皆無になってしまう。
ストレスが無いから、苦痛を感じることも無いわけだ。学ぼうとしているものが頭の中へするする入って行くというのは、なるほど大変気持ちが良いことだろう。
3つ目に、ユリは日本語の書籍の製作に注力することに決めて、『神域都市』にお迎えしている神々や、『百合帝国』の子達に協力を求めることにした。
希望者だけにする予定とはいえ、国民に日本語を修得させるのであれば、それを見事に果たした人達には然るべき報酬があっても良い筈だ。
そう考えたユリは『神域都市』に日本語の書籍を収めた図書館を―――いきなり造ろうと試みるのは、流石にハードルが高過ぎるだろうから。まずは日本語の書籍を50種以上収めた『書庫』の設置を目標とすることにした。
この『書庫』は日本語を修めたことをオモイカネが認める証を提示すれば、誰でも無料で自由に利用できる施設にする予定だ。
『神域都市』に住まう神々は、己の権能に関わりある分野について深い造詣を有している。言ってみれば、誰もが何らかの『専門家』のようなものなので、書籍に著す内容には事欠かない筈だ。
例えば、栲幡千千姫命であれば縫製関連に詳しいから、それだけで何冊もの書を著すことができるだろう。波邇夜須毘古神や波邇夜須毘売神なら『土』が関連する事柄には何でも詳しいため、知識の幅が非常に広範で、著せる冊数など最早想像も付かない。
専門的な知識というのは、それ自体に値千金の価値があるものだ。
日本語を修めることで、自由に専門的な知識へのアクセスが可能となるのなら、それは充分に努力した者への報酬として機能することだろう。
ちなみに『百合帝国』の子達には、把握している範囲内で各職業で修得が可能なスキルの情報などを纏めたり、どのスキルが有用なのかなどを著した本を製作して貰うつもりだ。
職業は一度決定すると二度と変更が不可能なこともあり、まだ取得していない人というのも意外に少なくない。
そういう人達にとって『百合帝国』の子達が著す本は、これから職業を選択する上で大いに参考になることだろう。あるいは既に職業を選択している人達にとっても、自分が将来的に修得できるスキルを予め把握しておけることは、決して意味の無いものとはならない筈だ。
また他人に協力を求めるばかりでなく、ユリ自身もまた幾つかの本を著すつもりでいる。
例えば『百合帝国』で最も〈召喚術師〉系の職業に詳しいのは、当然その系統に属するユリに他ならないので、それを著す役目はユリ自身が担当すべきだろう。
他にもユリは『神域都市』に住まう全ての神様について書き記した『天原神書』という本も作るつもりでいる。
おそらく当事者自身は書きたがらないと思うので、こういうのはユリが中立的な観点から著すのが良いと思うのだ。
(―――結局、私は他人の為に奉仕する方が、ホントは向いているのよねえ)
『百合帝国』の子達の主となれるのは自分しか居ないから、百合帝国の国主もまたユリ自身が務めるしかないわけだけれど。本音を言えば、ユリは全てを思う儘にする国主の器にはなく、それを補佐する役目のほうが性に合うと思っている。
単純に『誰かのために働く』という行為が好きなのだ。無論、その『誰か』がユリの想う相手であるならば、尚更申し分ない。
愛するロゼロッテが『神域都市』を淀みなく発展させていけるように。ユリは幾つかの『布石』とも言える、下準備や根回しの為に時間を割いて奔走する。
それは、いつかロゼロッテが治める都市の為に有意に機能するかもしれないし、あるいは無意味な徒労に終わるかもしれない。
出来れば前者であれば良いなと思いながら、ユリは人事を尽くしていく。
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