177. 教育機関(5)
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ユリや『百合帝国』の皆はこの異世界に転移したとき、リュディナから〔翻訳〕という恩寵を授かっている。
これは、誰とでも『言葉が通じる』ようになれる恩寵だ。これがあれば、相手が何の言語で話していようとその内容を理解することができるし、また同様に自身が何の言語で話そうとも、その内容を相手に理解させることができる。
但し恩寵が効果を発揮するのは、他者との『会話』と文字を『読む』時だけだ。
ユリは異世界の言語で書かれた文章を『読む』ことはできても、異世界の言語で文章を『書く』ことはできない。
ユリが書くことができるのは、あくまでも『日本語』だけだった。
「―――あなたの生真面目なところ。他人に対して親切なところ。王女という高い身分に生まれながらも、誰に対しても……えっと、せいじつ? にあれるところ。自己評価が低いのは短所でもあるけれど、そのぶん他人に―――。
……すみません、次の文字が読めないようです」
「『驕る』と読むのよ。思い上がった振る舞いをする、という意味ね」
「ありがとうございます。えっと―――そのぶん、他人に驕ったりしないところ。なるべく冷静な自分を務めようとするところ。でも、たまにその冷静さの仮面が剥がれて、か、可愛らしい本性が見え隠れするところ。そうしたロゼロッテの全てを私は愛おしく思っているわ―――と、書かれています」
「大変結構。凄いわね、もうこのレベルの文章が読めるのね」
―――結論から言えば、ロゼロッテはあっという間に日本語を習得した。
オモイカネの家に滞在し始めて3日も経った頃には、一時的に〔翻訳〕の恩寵を無効化したユリと、日本語での簡単な会話ができるようになって。
そして、1週間が経過した『秋月36日』の今日には。こうしてユリが日本語で書いた手紙を、問題無く読める程度にまで修得が進んでいた。
「ありがとうございます。こ、こういう手紙を読むのは、恥ずかしいですね……」
「そう? ―――愛しているわ、ロゼロッテ。私はあまり嘘が得意ではないから、この世界の誰よりも愛している、と言えないのが申し訳無いのだけれど。日常生活の中でのふとした瞬間に、あなたのことを考えるぐらいには想っているわ」
「あ、ありがとうございます……」
微笑みながらユリがそう告げると。今しがた執務机の前でユリからの手紙を朗読し終えたばかりのロゼロッテは、判りやすいぐらい顔を真っ赤にしてみせた。
そうした初心な部分もまた、どうしようもなく可愛らしくて仕方がない。
「……この手紙は、頂戴しても?」
「ええ、好きにして頂戴」
「ありがとうございます」
小さく頭を下げてから、ロゼロッテは手紙を元々収まっていた封筒の中に戻し、いつも携行している手提げ鞄の中へ大切そうにしまい込んだ。
「私が別の世界から来たことは、もう知っているわよね」
「はい。『リーンガルド』なる世界からいらっしゃったと聞いています」
「……まあ、そうね」
一応ユリ自身の意識としては、故郷はあくまで『日本』のつもりなのだけれど。
とはいえ―――『蓬莱寺百合』としてはともかく、『ユリ』というキャラクターとして考えるならば。ロゼロッテの言う通り『アトロス・オンライン』のゲーム内世界『リーンガルド』こそが、ユリの故郷なのは間違いない事実だった。
「オモイカネ様から学ばせて頂いている『日本語』は、旦那様や『百合帝国』の皆様の母語なのですよね。この世界の誰より先駆けて学ばせて頂けることが、私には嬉しくて仕方ありません」
「こちらこそ、ロゼロッテが話せるようになってくれて嬉しいわ」
折角修得してくれたのだから、ロゼロッテの為に日本語で本を1冊書いてみようかとユリは思う。
どうせなら何か、ロゼロッテの為になる本が良いだろう。
「……ところで、旦那様。先日アマテラス様との会話の中で、旦那様は私に『神域都市』の領主役を任せるつもりだと言っておられましたが。……あれは本気なのでしょうか?」
「ええ、本気よ。私はロゼロッテにあの都市のことを任せるつもりでいる。ああ、もちろんロゼロッテが嫌だと言うのなら、無理強いはしないわよ?」
「嫌ではないのですが……。私は王女としての教育こそ受けていますが、為政者としての判断力や先見性というものは、きっと人並み以下だと思います。都市の領主役をお任せ頂いたとしても、ソフィアさんと違って上手くはやれないかと……」
「それに関しては、最初から上手くやれるソフィアのほうが異常なのよ」
ロゼロッテの言葉を受けて、思わずユリは苦笑する。
あれだけ様々な役目をユリからぶん投げられていながらも、その総てを要領よくこなしてしまうソフィアがおかしいのだ。
「こう言うと、ロゼロッテは気を悪くするかもしれないけれど。私はロゼロッテに領主役を任せたとして、問題無く治められるとは思っていないわ」
「……では、どうして私に?」
「現時点での能力には、為政者として幾らか不足もあるかもしれないけれど。ロゼロッテには生真面目な性根と充分な向上心があり、失敗を重ねても挫けないだけの気骨もある。私はそれを、とても高く評価しているの。
最初から全て上手くやれなんて言わないし、幾らでも失敗してくれて構わない。助けが必要な時には、私にでも、あるいはソフィアにでも頼れば良いわ。何度でも失敗を重ねて、そこから必要なことを学んでいけば。やがてソフィアに負けるとも劣らないほど、ロゼロッテは立派に役目を全うできるようになるわ」
ソフィアが早熟型だとするなら、ロゼロッテは晩成型なのだ。
ロゼロッテは真面目であり、自分に厳しい。失敗自体はするだろうけれど、それを真摯に反省し、繰り返さないための努力ができる人柄がある。
それは、充分に『才能』として評価できるものだ。
少なくともユリは、ロゼロッテに『神域都市』を任せることに不安など無い。
「だ、旦那様……。ありがとうございます、とても嬉しいです……。
初めて旦那様に愛して頂けた、あの夜よりも嬉しいかもしれません……」
感慨深げにそう言葉を零すロゼロッテは、笑顔でありながらも、何だか今にも泣き出しそうな表情をしているようにも見えた。
というか―――実際にロゼロッテの目尻には、涙の粒が浮かんでいる。
この程度の評価で涙するなんて……。エルダード王国で王女として暮らしていた頃には、あまり人から評価される機会が無かったのだろうか。
……出来れば『初夜の時より嬉しい』という言葉は、思っても言わないでくれたほうが、ユリとしては嬉しかったけれど。
「ロゼロッテ。この時を以て、あなたを正式に『神域都市』の領主役として任命するわ。神々の統率役を務めてくれるアマテラスと密に話し合いの場を持ち、都市に住む人達のことを最優先に考え、あなたの思う儘に都市を治めてみなさい。
なお私や国の利益については、原則として考えなくて結構。逆に国庫からお金を使いたいことがある時には、いつでも遠慮無く言って頂戴。ロゼロッテから甘い声でおねだりされれば、幾らでも私の財布の紐は緩くなるから、そのことをちゃんと覚えておいて便利に利用しなさい」
「あ、あはは……。旦那様、領主役を確かに拝命致します」
「結構。まあ、あくまで領主『役』であって、厳密には領主では無いのだけれど。これに関しては、そもそも百合帝国に貴族制度自体が無いということもあるから、申し訳無いけれど許して頂戴」
「もちろんです。その辺は私も理解しております」
ロゼロッテはユリの『第四側室』という立場から、彼の都市を国主であるユリに代わって、専任的に治めるに過ぎない。
一般的な領主とは異なり、税額を自由に制定して彼の地から得られたお金の一部を自身の懐に収めたり、ユリの許可なく兵や物資を徴発する権利などは無いのだ。
代わりに領主として果たすべき責任もまた、ロゼロッテにはない。
彼の地を治める上でロゼロッテが何か大きな失敗をしたとしても、その尻拭いをするのはユリの役目だ。失敗により生じた金銭的、または人的な損失についても、ロゼロッテが負担する必要は全く無いわけだ。
「ところで『神域都市』という名前は、仮称ですよね?」
「ええ、そうね。正式な都市の名前は建造完了後に付けることになると思うから、もう少し待っていて頂戴」
「承知致しました」
「ちなみにロゼロッテは『神域都市』を今後どういう都市にしたいか、何か希望、もしくは展望のようなものはあるかしら?」
ユリがそう問いかけると、ロゼロッテは指先を口元に宛がいながら、僅かな時間だけ考え込んで。それからゆっくりと回答してみせた。
「そうですね……。今回オモイカネ様から日本語を教えて頂いたことで、学ぶ楽しさというものを再確認できた気が致します。今後は日本語以外のことについても、多くの事が学べる都市にしてみたいですね」
「ふむ……。なるほどね、確かにそういう特色の出し方もアリかしら」
都市自体を『教育機関』にしてしまうという、ロゼロッテの発想。
それはユリタニアともユリシスとも、ユリーカの都市とも被らない明確な特色でありながら、けれども自国内の全ての都市に、あるいは国内だけに留まらず同盟国にさえ寄与し得るものだ。
教育というのは決して簡単なことではない。突き詰めていけば行く程に、優れた人材も膨大な資金も、無尽蔵と思える程に費やされていく恐ろしき深淵だ。
それでも―――教育ほど、国に巨大なリターンを与えるものもまた、他に無いというのも間違いの無い事実だった。高度な教育を受けた人達は、高度な産物を創出することができ、それは人々の暮らしを信じられないほど豊かにしてくれる。
百合帝国という国をより豊かにしていく上では。あるいは、同盟国と共に今後も衰えることのない繁栄を希求していく上では、決して避けて通れないものだ。
困難な事業となることは間違いないけれど、ロゼロッテになら任せられる。
そう思い、ユリは愛しい彼女の背を支えていこうと決めたのだった。
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