176. 教育機関(4)
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「この大陸にて用いられている言語―――仮にここでは『大陸共通語』と呼称することにしておきましょうか。
この大陸共通語は、明らかに出来損ないの言語です。読み書きの普及に努めるような、益体も無い真似をなさるのは、お止めになる方が賢明でしょう」
ツクヨミに連れられて、アマテラスの家へとやってきたオモイカネは。一通りの話を聞き終わった後に、ばっさりそう言い切ってみせた。
ちなみに『アトロス・オンライン』のオモイカネは女神だ。長い黒髪を持つ綺麗な女性で、それを後ろで束ねてポニーテールにしていることが多い。
「オモイカネは、言語に欠陥があると言いたいの?」
「いえ、純粋な会話言語としてなら及第点はあげられます。ですが文章として記すとなると、大陸共通語は無軌道に過ぎ、落第と申し上げざるを得ません」
「ふむ……。まず何より、オモイカネが既にこちらの言語を把握していることが、私に取っては驚きなのだけれど?」
「暇でしたので、覚えました」
オモイカネはあっさりとそう言い切ってみせるけれど。言語をひとつ習得するというのは、常人からすれば決して簡単なことではないのだが。
「それで、具体的にはどういう欠陥があるのかしら?」
「そうですね……。理屈をひとつひとつ説明していくと、時間が幾らあっても足りませんので要点だけ申し上げますが。言語としての規則作りを国家などが先導しなかった為に、時代やコミュニティによって無軌道に言語が改変され過ぎている所が一番の問題でしょうか」
「……ごめん、それがどういう問題になるのか、ちょっと良く判らないわ」
「判りやすく言えば、模範とすべき教科書が無いのです。この通りに教えれば良いと、教師役が理解するための基準となるものが策定されておらず、そもそも教える教師の側も言語に対する理解度のバラつきが酷すぎる。
その結果、同じ言語の話者同士であっても、会話の際に『こういうことを言いたいのだな』と意図を忖度しなければ、成立しないようになってしまっています。
また、この大陸共通語を文字で記す場合、それは『表音文字』になるのですが。そもそもの発音自体が人によって曖昧であるため、具体的にどの単語をどう書き表すのが正しいかが決まっておらず、筆記者の裁量次第で表記が変わってしまうのも大きな問題です。ただでさえ同音、または近似音の異義語が多過ぎることもあり、文章を読み解く難易度がかなり高くなっています」
「な、なるほど……」
立て板に水といった調子で、オモイカネは大陸共通語の問題点について色々説明してくれるのだけれど。生憎とユリにはその大半が理解できていなかった。
―――とはいえ、オモイカネがそれだけ言うのであれば。大陸共通語にある欠陥は、無視して良いレベルのものではないのだろう。
「オモイカネ。では、あなたはどうすれば良いと思うのかしら?」
「大陸共通語に拘る必要は無いと思われます。『日本語』を教えるべきでしょう」
「それは流石に、修得難易度が高すぎるでしょう……」
オモイカネの提案を聞いて、ユリは思わず眉根を寄せた。
日本語は『世界で最も修得が難しい言語』と言われることさえある言語だ。
修得の為には平仮名と片仮名、そして漢字の3種を覚えなければならず、しかも前者2つが表音文字であるのに対し、漢字は表意文字、もしくは表語文字だ。文字の総数も膨大であるため、一通り覚えるだけでもかなり大変なのは間違いない。
しかも日本語は同音の語をイントネーションによって区別することが多く、文章のみならず会話言語としての難易度も高い。同じことを表すのに多彩な言い回しが可能なことも、言語的には長所であっても、修得難易度としては短所になる。
「問題無いでしょう。私が『加護』を与えれば済む問題ですから」
「……ああ、なるほど。意外と力業で解決するつもりなのね」
「その方が楽ですから」
『加護』というのは『アトロス・オンライン』のゲーム内にて神が人間に与えることができる強化の一種で、限定的なスキルの成長速度を向上する効果がある。
例えばアマテラスが与える『アマテラスの加護』であれば、『あらゆるスキルの修得速度を30%向上させる』というとても有用なものだ。
但し、その効果は最長30分間しか持続せず、また何らかの条件が付帯することも多い。先程の『アマテラスの加護』の例で言えば、『陽の光が受けられる場所でしか効果が無い』という但し書きが付く。
オモイカネの恩恵は『知識系スキルの修得速度を600%向上させる』という、非常に大きな効果がある。
但し、それは純粋な『知識』だけの―――つまり経験を必要としないスキルでなければならない。なので生産スキルのように、修得のために知識だけでなく経験も必要とされるスキルは軒並み除外されてしまうなど、案外使い勝手は良くない。
しかもこの加護には『オモイカネが管理する領域内でしか効果が無い』という付帯条件まである。なので『アトロス・オンライン』のゲーム中では、知識スキルを学ぶ為の本を買い込んだ上でオモイカネから加護を貰い、そしてオモイカネの自宅の一室でひたすら本を読み耽るプレイヤーの姿がよく見られた。
「ユリ様が大変良質な依代を用いて喚んで下さったお陰で、今の私になら幾らでも他者に加護を与えることが出来ます。30分毎に加護を掛け直しながら教えれば、日本語の習得でも短期間で行えるでしょう」
「なるほど……。そうなると教育施設の建物自体の所有権を、オモイカネに譲ってしまう方が良いでしょうね」
「はい。そうしなければ加護の効果がありませんから」
教育施設そのものをオモイカネ個人の領域にしてしまえば、そこで学ぶ生徒達の全員が加護の付帯条件を満たすことができる。
30分間持続する加護を、常に掛け直しながら。通常の7倍の速度で学習を進めることができれば、確かに日本語の習得だってそれほど難しくは無いだろう。
「あとは―――国の言語を変えることに、この世界の人達が反発しなければ良いのだけれど」
「……? 別に言語を変える必要は無いと思われます。今までの言語と共存させてしまえば宜しいのでは?」
「え? ああ、そうか。言われてみればその通りよね」
日本語を使うのなら、それだけあれば良いと。
そう―――無意識の内に考えてしまったのは日本人としての性だろうか。
確かにオモイカネの言う通り、公用語を1つに絞る必要など無いのだ。
「ところで、ロゼロッテ様」
「……は、はい! 何か、ご、御用でしょうか!?」
オモイカネから急に問いかけられて、驚いたのだろう。
ロゼロッテの声色が思い切り裏返っていた。
「ああ、そのように萎縮なさらないで下さい……。ロゼロッテ様はユリ様に仕事を求められているという話ですから、時間の余裕がある身なのですよね?」
「あ、はい。情けない話ですが、かなり暇をしております……」
「それは重畳。ユリ様、今日から暫くの間、ロゼロッテ様を私の元にお預け頂くことはできませんでしょうか?」
「ふむ……? もしかして彼女に『日本語』を教えるつもりなのかしら?」
「はい。まずは教科書も何も用意できていない現在の段階で、私の『加護』を与えた相手が『日本語』を修得するまでに、どの程度の期間が必要なのかを確認してみたいと思いまして」
「なるほど、確かに試験体は必要よね。やってみて頂戴」
「畏まりました」
ユリの言葉に、オモイカネが恭しく頷く。
言うまでもなく『日本語』はユリにとって最も大切な母語だ。それをロゼロッテが修得してくれるのは、ユリにとって喜ばしいことでしかない。
本人の意志を確認していない気もするけれど―――まあ、些細な問題だろう。
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