175. 教育機関(3)
百合の日!
[3]
「ご無沙汰しております、ユリ殿」
アマテラスの自宅に上がらせて貰うと、そこには男性の姿もあった。
すらっとした長身の、白い肌をした男性だ。もちろんユリはそれが誰であるのか既に知っている。
「ごきげんよう、月読命。こちらでの生活に不便は無いかしら?」
「はい、今のところ快適に過ごさせて頂いております」
「それは何よりね。何か私にして欲しいことがあれば、いつでも言って頂戴」
ツクヨミはアマテラスと姉弟の関係にある神様だ。
アマテラスが太陽の出ている『昼を統べる神様』であるとするなら、ツクヨミは太陽が出ていない『夜を統べる神様』だと言えるだろう。
アマテラスと同様に非常に強力な神威を有する、偉大で、けれど優しい神様だ。
「ありがとうございます。では是非、ユリ殿にお願いしたいことが」
「あら、何かしら? 聞かせて頂戴?」
「何か私に、仕事を斡旋して下さいませんでしょうか。こちらでの暮らしに不満はありませんし、人の子らが果敢に『迷宮地』に挑む様子を『放送』で見るのは大変に楽しい時間ではあるのですが。格の高い依代を頂き、更に住居や充分な額の金子まで頂いていながら、何もせぬというのは居心地が悪く……」
「……誰も彼も私に同じことを要求するのね。私を口入屋か何かと勘違いしているのではないかしら」
ユリが苦笑しながら、隣のロゼロッテのほうを見ると。彼女は微笑みながらも、少し困ったように眉を落としていた。
「この都市にはもうそれなりの数の神様をお迎えしているけれど、まだ定職に就いている者など数える程しか居ない筈よ。気にすることも無いでしょうに」
「いやあ……。少名毘古那神の奴が会う度に、勤労せずに食う飯は美味いか、働きもせずに飲む酒は旨いかと馬鹿にしてくるもので……」
「ああ、なるほどねえ……」
スクナビコナはカミムスヒの息子で、非常に多才な権能を持つ神様だ。
それらの中には『温泉』や『酒造』に関する権能もあるので、スクナビコナにはこの都市にある温泉の管理役を任せると共に、同じく『酒造』に関する権能を持つ木花之佐久夜毘売らと共に、最近完成した醸造所も任せている。
スクナビコナは与えられた仕事自体には、とても真面目に向き合う神様なのだけれど。一方では悪童的な性格をしており、他者を小馬鹿にするのを好む所がある。
どうやらツクヨミは、そんな彼からの侮辱が我慢ならないらしい。
「ツクヨミには、もう少し大人になって欲しいのですけれどね」
困り顔をしながら、少し席を離れていたアマテラスが戻って来た。
彼女の手に携えられた盆には、湯気を湛える4人分の湯飲みが乗せられている。
どうやらこの場に居る全員分の緑茶を、用意してくれていたらしい。
「粗茶ですが、どうぞ」
「ありがとう」
アマテラスが差し出してきた湯飲みを受け取り、すぐに口を付ける。
―――出されたのは、緑茶だった。
最近はこの世界のお茶ばかり飲んでいたものだから。なんだか久しぶりに堪能する緑茶の味わいが、随分と懐かしいもののように感じられる。
「これは……何だか不思議なお茶ですね。渋いのに、けれど飲み辛くは無くて」
おそらく初めて緑茶を口にしたロゼロッテは、そう感想を漏らしていた。
少しずつ何度も啜るその様子から察するに、どうやら気に入って貰えたらしい。
「ツクヨミ。初対面の方も居るのですから、まずは自己紹介からでしょう」
「ああ、これは失礼を致しました。私はツクヨミと申します。こちらに居る姉のアマテラスと共に、ユリ殿に異世界より招いて頂きました」
「ロゼロッテ・エルダードと申します。旦那様の―――えっと、ユリ陛下の『第四側室』をさせて頂いております」
「なんと、ユリ殿の側室の方でいらっしゃいましたか。これは、ようこそ我が家にお越し下さいました」
「こ、こちらこそ、急にお邪魔させて頂き申し訳ありません」
深々と頭を下げるツクヨミに対し、ロゼロッテもまた恐縮しながら何度も深々と頭を下げ返すことで応じている。
先方が『神様』だと判っているだけに。頭を下げられることに対して、恐れ多い気持ちばかりが、どうしても湧いてきてしまうのだろう。
「ユリ。できれば私にも何か、仕事を頂きたい所ですね」
「……うん? アマテラスには既に、この地にお迎えした神様達の統率役を任せているじゃないの」
「それはそうなのですが、その役だけでは暇が過ぎます。兼任でも果たせる程度の仕事で、できれば相応に遣り甲斐が得られる仕事が欲しいのですよ。
とはいえ、あまり忙しくなりますと、ニワトリ達を任せている孤児院の子供達の様子を見に行く暇が無くなってしまいますからね。程々のものでお願いします」
「注文が多いわよ……」
アマテラスの全く遠慮のない物言いに、ユリは思わず苦笑する。
とはいえ、これぐらい遠慮せずに何でも要求を率直に言ってくれる相手の方が、正直ユリとしても付き合いやすい。
「だったら2人とも、教師役をしてみるというのはどうかしら?」
「教師役……ですか?」
「ええ。最近、読み書きを学ぼうとする人が国内で急増していてね。どこから教師役を務めてくれる人を都合したものか、少し困っていたのよ」
「職自体に否やはありませんが。私もツクヨミも日本語しか教えられませんよ?」
「でもツクヨミやアマテラスであれば、こちらの世界の言語を習得するのに、さほど時間は掛からないでしょう?」
「それは試してみなければ判りませんが……。ユリが良い依代を用意して下さったお陰で、私もツクヨミも、能力が本来よりも大幅に引き上げられていますからね。確かに今の私達にであれば、言語習得ぐらいは容易かもしれません」
『八咫鏡+10』という最高等級の御神体を用意してお迎えした結果、アマテラスはレベルが『2520』に、ツクヨミはレベルが『2448』にと、両者とも極めて強大な力を有するに至っている。
これ程のレベルともなれば身体面のみならず、知性面の強化も著しい。他言語を1つや2つ修得することぐらい、彼らにとっては朝飯前だろう。
「ユリ殿」
「何かしら、ツクヨミ」
「我々がこの世界の言語を習得して、教師役を務めることになった場合。それはどこで教えるのでしょうか?」
「ふむ……。おそらく、この都市に学問所のような場所を用意して、そこで教えて貰うことになるかしら。学問所とは言っても、最初の内は『文字の読み書き』のみを教えることに特化した施設になるでしょうけれど」
「将来的には、それ以外のことも教育する施設になさるおつもりですか?」
「そうね。ある程度までの計算なども、教えたいとは思っているわ」
この世界に住んでいる人達は基本的に、自身の生活レベルに準じた、お金のやり取りに用いる程度の計算しか出来ないことが殆どだ。
それ以上の計算が行えるのは、店舗を構えているなど、ちゃんと『商人』としての教育を受けた人達だけに限られているのが現状だった。
『迷宮地』に潜れば誰でもお金を稼げるようになったことで、百合帝国や同盟国からは貧民の姿が全くと言って良いほど見られなくなり、各都市は嘗てない好景気に沸いている。
その最中にありながら―――けれども、好景気を活かしてお金をより稼ぐことが出来ているのは、商人だけに限られていた。
店舗を自ら経営できるほどの計算力を持つ人が、商人以外に居ないからだ。商売自体は誰でも行える行為なのに、素養を持たない人は商機に乗ることができない。
ユリはそれを、ちょっと『勿体ない状況だ』と思っている。
できれば読み書きに加えて計算も教える―――いわゆる江戸時代の『寺子屋』ぐらいの教育機関が、あっても良いと思うのだ。
「なるほど。そういうことであれば……。ユリ殿」
「何かしら?」
「本件については、思金神にも相談してみるのがよろしいのでは無いかと」
「……ああ、なるほど。それは確かに、その通りね」
オモイカネは『知恵』を司る神であり、また他者に知恵を授ける存在でもある。
教育という形で、多くの人達に知恵を教え授けるための機関を作るのであれば。ツクヨミの勧める通り、真っ先に相談すべき相手だろう。
「よろしければ、オモイカネをこの家に呼んで参りますが」
「そうね……お願いしても構わないかしら? もちろん、先方の都合が悪いようであれば、無理にとは要請しなくて構わないから」
「承知致しました。さして家が離れてもおりませんので、すぐに呼んで参ります」
そう告げるなり、ツクヨミは足早に部屋から出て行く。
その背中を見送ったアマテラスは、呆れ顔でひとつ溜息を吐いた。
「どうにもツクヨミは、そそっかしい所が気になります」
「あら、行動的なのは良い事じゃないの」
「褒めて良い部分なのでしょうか……。そういえば、オモイカネは子息と共に招いてくれたことを、ユリに大変感謝していた様子ですから。きっと協力して貰えると思いますよ」
「あら、それは有難いわね」
知恵の神の助力が得られたなら、きっとユリが頭を悩ませるより、遙かに優れた考えが浮かぶことだろう。
教育機関の設立と運営に関しては全て丸投げしてしまうのが、最も冴えたやり方なのかもしれないと。やや冷め始めたお茶を飲みながら、ユリは静かに思った。
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