172. 空輸試験(後)
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多くの竜がそうであるように、このロフスドレイクも『翼を羽ばたかせて揚力を得る』わけではなく、何か魔法的な力によって浮力を得ているらしい。
ユリを乗せたロフスドレイクは、殆ど翼を動かすことさえせずに、ゆっくりとその場で空へと浮上していく。挙動は安定しており、振動も想像していたよりずっと軽微で、乗り心地は悪くなかった。
ユリを乗せた先頭のロフスドレイクに倣うように、後続のリザードマン達を乗せた5頭のロフスドレイクもまた、ゆっくり空へと舞い上がる。
『最も生息環境を選ばない魔物』と言われ、草原でも海でも、あるいは湿地帯や溶岩地帯でも、砂漠でさえ棲息できるリザードマン達だけれど。流石に空を飛行した経験は無かったのだろう。己の身体が浮上していくと共に、5体のリザードマン達からはそれぞれに驚愕と歓喜が入り交じった声が上がった。
地上ではロスティネ商会の人達や、会頭のルベッタがこちらに向けて手を振ってくれている。ユリもまた、空から手を振ることでそれに応えた。
『―――では、試験飛行に行ってくるわね』
『絆』を利用した念話で、ロスティネ商会の人達に向けて一言そう声を掛けてから。ユリとリザードマン達を乗せた6頭のロフスドレイクは、更に空高くへと舞い上がる。
けれど、程々の高さにまで浮上した時点で、すぐにロフスドレイクはそれ以上の高度を稼ごうとすることをやめてしまった。
ルベッタが言っていた『あまり高く飛べない』という話は本当らしい。
いや『飛べない』と言うよりは、ロフスドレイク自身が『飛びたがらない』と言い表す方が、より適切かもしれないが。
ユリが強く命令を出せば、あるいはもっと高く飛ばせることもできるかもしれないけれど―――その必要は別に無いだろう。
要は『空輸』の最大の利点である『交易路に依存せず、直線距離で目的地へ向かう』ことさえ出来れば良いのだ。
(現在の高度は……たぶん地上70~80mぐらいかしら)
俯瞰視点で高度を測った経験自体が殆ど無いので、かなり適当な目測ではあるけれど。地面から然程離れてもいないから、おそらく高さは100mも無いだろう。
一般的に、高所からの飛び降りで『ほぼ確実に死ぬ』と言われているのが、地上『45m』ぐらいだった筈なので、一応この程度でも落ちれば普通の人はまず助からない高さではある。
但し、この世界の人達は―――特に百合帝国やその同盟国に住む市民の中には、ある程度レベルを成長させており『普通ではなくなっている』人達も少なくない。
ルベッタの話では、レベルが40あれば落ちてもまず死なないという話だったけれど。この程度の高さであれば、その半分のレベルでもおそらく大丈夫だろう。
とはいえ落下先が固い岩盤の上だったり、もしくは樹木に良くない形で身体が突き刺さったりすれば、レベル20程度の人では耐えられないかもしれない。
ルベッタの挙げた『レベル40』という指標は、おそらく安全マージンを充分に考慮した上での数値なのだろう。
『迷宮地』に通う探索者の人達の中でも、レベルが40以上に達している人は、まだ然程多くは無い筈だけれど。とはいえ希少というほど少ないわけでもない。
『空を飛んで都市間を移動する空輸仕事』として求人を出せば、レベル40以上に限定していても希望者は殺到することだろう。
―――空を飛ぶことに憧れるというのは、人間が持つ自然な願望のひとつだ。
(それにしても、本当に速度が出ないわねえ……)
悠長に空を飛ぶロフスドレイクの背で、ユリは小さく欠伸をする。
ユリの中で『空を飛ぶのが遅い魔物』と言えば、『白百合』の子達が騎獣にしている『戦竜』や、『桔梗』の子達が騎獣にしている『巌魔鳥』が該当するのだけれど。
その2つの魔物は『遅い』とは言っても、どちらも優に時速200kmぐらいは出すことができる。それに対し、ロフスドレイクの飛行速度は、おそらく時速だと50~80km程度しか出ていないのでは無いだろうか。
一般道での自動車並みの速度と考えれば、悪くない数値にも思えるが。この程度の速度での空中飛行だと、景色が殆ど動いているような気がしない。
まあ、のんびり空の旅行を楽しむと思えば、悪い気分でもないけれど。
『そちらは特に、問題は無いかしら?』
ユリが『絆』を介した念話で後続に向けてそう問いかけると。5名のリザードマン達は、それぞれに問題無い旨を回答してみせた。
『こうして空を飛ぶ体験を得られていることに、大変興奮しています』
『そう? それなら良かったわ。乗り心地は悪くないかしら?』
『はい、揺れも殆ど感じませんし。この程度の高さと速度なら、仮に落ちても大丈夫だと思えば、不安や恐怖を覚えることもありません』
『なるほど』
ユリや『百合帝国』の皆は、騎獣を利用して空を飛ぶことに慣れているけれど。そうでない人達にとっては、ロフスドレイクぐらい悠長に飛ぶ魔物の方が、却って乗っていて安心できるようだ。
そう考えれば、ロフスドレイクが高く飛べず、かつ悠長にしか飛べないことも、一概にデメリットばかりではない。
『主人。進行方向に見えるあの都市が、目的地でしょうか』
『……よく見えるわね。私の視力では、まだはっきりとは見えないわ』
『恐れ入ります』
リザードマンは人間に較べると身体能力が全面的に高く、特に生命力や防御力の数値が際立って高い魔物として知られているけれど。ユリは彼らが『高い視力を持つ』という事実は、今の今まで把握していなかった。
『アトロス・オンライン』のゲーム中に登場する魔物の知識なら、大体頭の中に叩き込んでいる自負があったのだけれど。―――まだまだ自分の知らないことも多いのだなと、改めてユリは思い知らされる。
『ちょっと着陸先を空けて貰えるよう、先方に通達を入れるわ』
『はい、お願い致します』
リザードマンにそう告げてから、ユリは念話を送信する『絆』を選別する。
目的地であるユリシスの都市に居る人達に声が届くように設定してから、ユリは念話でゆっくりと話しかけた。
『―――ユリシスにお住まいの皆様、女帝のユリで御座います。唐突ですが、これから映像は伴わず、声だけで少し連絡事項を通達させて頂きます。
私は現在、ユリタニアの付近からユリシスの都市に向けて、先日とある国家より鹵獲した竜の試験飛行を行っております。もうすぐユリシスの都市から6匹の竜が視認できるようになると思いますが、これに警戒する必要はありません。また中央広場の近くにいらっしゃる方々には、竜が着陸するための空間を広くあけて下さいますよう、お願い致します』
ユリシスには【救命結界】が展開されているため、都市内で死亡者が出ることは絶対に無い。
なので竜に踏まれたり、あるいは竜が吊るしている荷物に潰される人が出たとしても、危険は無いわけだけれど。とはいえ無用な事故を起こさないに越したことはないので、予めユリは市民にそう伝えて協力を仰ぐ。
『あまり強い衝撃を与えると、梱包した箱の中にある樽が破損してしまうかもしれないから。着陸の際には充分に気をつけて頂戴』
『はっ、承知致しました』
更にリザードマンにも注意を促した上で、ユリは速度を落としながらユリシスの都市上空へと迫った。
(……移動に要した時間は、大体25分と言った所ね)
旧ニルデアの都市跡からユリシスの都市までは、大体20kmの距離がある。
荷物の保全のために、これから5分ぐらい掛けてゆっくり着地すると考えれば、移動に要した時間は合計で30分ということになる。
単純計算で、平均40km/hの速度で移動できたことになるだろうか。
離陸と着陸に掛かる時間も含めてこれなら、悪いタイムではないだろう。
陸路を移動すれば3時間弱は掛かる道程だ。あまり速く飛ぶことが出来ないロフスドレイクであっても、流石に馬車に較べれば圧倒的に速い。
都市上空で少し旋回した後、ユリ達は中央広場に向けて徐々に高度を落とす。
地上10m程度まではゆっくりと、そこから先は荷物を破損しないように更に時間を掛けながら着陸すると、出発してからのタイムは本当にちょうど『30分』が経過していた。
6頭のロフスドレイクが中央広場に無事着陸すると、周囲に集まっていた人達から歓声と拍手が湧き起こる。
一体何の歓声なのかがよく判らなかったけれど―――ユリシスの市民にとって、何らかの余興になったのなら良い事だろう。
「お疲れさまでした、ご主人様」
ロフスドレイクから降りたユリに、着地地点で待機していた『撫子』隊長のパルティータが、そう労いの言葉を掛けてくれた。
予めユリがギルドチャットで連絡して『撫子』の子達を数名、着陸予定地のユリシス中央広場に呼んでおいたのだ。
「ありがとう、パルティータ。市民に配るためのコップは用意してくれた?」
「はい。とりあえず2000名分は用意しております」
「充分ね、助かるわ」
パルティータと話している間に、他の『撫子』の子達が器用な手つきで竜の足下から吊り下げられていた荷物を外し、その梱包を解いてくれる。
梱包された箱の中には、それぞれ大きな樽が12個ずつ入っている。
これらは全て『酒樽』だ。ユリシスまで荷物を空輸するに当たり『適度に重量がある』荷物で、またそれなりに『衝撃にも弱い』ということで、試験運輸物として適切だろうとロスティネ商会が用意してくれたものだ。
この酒樽については、好きに処分して構わないとルベッタから言われている。
ならば―――使い途などひとつしか無いだろう。
『市民の皆様、ご協力ありがとうございました。特に中央広場にいらっしゃる方々については、着陸のために空間をあけて下さり、ありがとうございました。今回の試験では『酒樽』を空輸してみたのですが、どうやら無事に上手くいったようで、樽はひとつも割れておらず中身も無事のようです。
―――折角ですので、今回利用した酒樽については、市民の皆様に向けてこの場で振る舞うことに致します。無料酒を楽しみたいという方は、お近くのメイド服を着用した者からコップを受け取り、堪能して下さいませ』
ユリが告げた言葉に、わっと周囲から再び歓声が上がった。
まだ夜には少し早いけれど。―――たまには陽も落ちきらない時間から、市民と共に酒を楽しむというのも悪くはないだろう。
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