166. 破壊と殺戮の陽
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ハイドラ王国の軍隊が出発したその日の夜、ユリは彼の国の上空を飛んでいた。
先程まではとある少女と一緒に、夜の飛行を楽しんでいたのだけれど―――今はユリひとりだけだ。どうやら彼女はあまり『放送』に映りたくないらしい。
いまユリの視線の先に見下ろされているのは、軍隊が野営している駐屯地だ。
軍隊はハイドラ王国を出発してから、まだ15km程しか移動していない。
(この位置に居る軍隊を攻撃すれば、本国からもよく見えるでしょうね)
あと2日も待てばハイドラ王国の軍隊は国境を越え、レイピア王国の国土を侵犯することだろう。
ユリはあくまでも『防衛の手助け』をする立場なのだから、本来であれば、そこまで待ってから行動するのが道理なのかもしれないが。
とはいえ、ユリの性向が『善』ではなく『極悪』である以上。道理に悖るからといって、それを慎むような意識の持ち合わせなど有ろう筈も無い。
軍隊が文字通り『全滅』した事実を突き付け、ハイドラ王国の兵の士気を著しく失わせる為には。やはり軍隊がハイドラ王国の首都から、まだあまり離れていないこの位置で殲滅する方が、より効果的だろう。
何しろ―――ユリの【星堕とし】は、夜にこそよく映える。
この位置でなら、ハイドラ王国の首都に住む民にも、そして王城に居る王や宰相からも。映像だけでなく、肉眼でも『隕石』の姿が視認できる筈だ。
(……ちょうど8時。普段なら定例の『放送』を行う時間帯ね)
今夜は『放送』を休むことを、国内外の民には既に昨晩の『放送』の際に周知してある。
これからハイドラ王国の軍隊を攻撃する様子を、今夜の『放送内容』ということにしても構わないし、それを見たいという人も案外少なくは無いのだろうけれど。
とはいえ―――相互防衛条約とか、ユベルやレイピア王国への義理とか。正当そうに思える理由を幾つ並べ立てた所で、ユリが行うのは『大量虐殺』以外の何物でも無いのだから。数多の命の灯火が無為に消えゆくその光景を、わざわざ自国の民に見せることはない。
―――絶望を知るのは、敵国の民だけで充分だ。
「我が呼び声に応えて姿を現せ、【使役獣召喚】シルフ!」
召喚魔法を行使して、ユリはシルフをその場に喚び出す。
もちろん『放送』の撮影役を任せるためにだ。
「シルフ。今日も頼むわね」
ユリの声に応えて、妖精少女の身体が嬉しそうに揺れる。
続けてユリは、予めハイドラ王国の首都デラクと、軍隊の駐留地に行使しておいた【空間把握】の魔法を頼りに、そこに存在する人達総てと『絆』を確立する。
「―――ごきげんよう、ハイドラ王国の民達よ」
その『絆』を介して、ユリは人々に向けて語りかけた。
今夜の『放送』は、敵国の人達だけに向けて行う特別なものだ。
もちろん音声だけでなく、『放送』は映像付きで行う。
満月を背にして映るユリの映像を見て、早くも駐屯地の兵の何人かが、空に浮かぶユリの姿が肉眼でも見えることに気付き、こちらを指差している様子が上空から視認できた。
「私は主神の末席に名を連ねる、愛の女神ユリ。そして百合帝国という国を治める女帝でもあるわ。まだご存じ無い方は、これを機に覚えて頂戴ね」
何だか売れない若手芸人の口上みたいだな―――と、自身の発言についてそんなことを思ったりもしながら、ユリは眼下の様子をゆっくりと確認していく。
駐屯地の兵達の激しい混乱ぶりが、上空からは手に取るように見て取れた。
まあ、主神の1柱が頭上に飛んでいれば、そういう反応になるのも無理はない。
「さて―――ハイドラ王国の民よ。私の眼下に見えるハイドラ王国の軍隊は、レイピア王国を侵略せんがために東へ向かう途中のようですが。私が治める百合帝国はレイピア王国と相互防衛条約を締結しており、両国の敵に対しては共に戦うことを約束している関係にあるわ。
―――即ち、レイピア王国に剣を向けるハイドラ王国の所業は、神の末席にある私に剣を向けるも同義。蛮勇に憑かれた愚かなる軍隊の相手など、レイピア王国に任せるまでもありません。私が単身で相手になりましょう」
片手を挙げて、ユリは【星堕とし】を行使する。
満月よりも遙かに巨大で、激しい炎を噴き上げると共に夜闇を切り裂く程の猛烈な光を発する隕石が、究極奥義によりユリの背後に『召喚』された。
まるで2時間ほど前に沈んだ太陽が再び現れたかのように。周囲一帯から夜闇が消え失せて、昼さながらの明るさが取り戻される。
但し、それは人類に恵みを齎す太陽ではない。眼下に見下ろす人達の命を残らず刈り取る為だけに召喚された、破壊と殺戮の太陽だ。
「さて、ハイドラ王国軍の総大将はハーキス・カサーなる者だと聞いています。
ハーキスよ、発言を許します。最後に何か言い残したいことはあるかしら?」
そう問いかけると同時に、ユリはハーキス・カサー本人だけは自由に発言できるよう、念話の設定を切り替える。
これによりハーキスが口にした言葉がユリにだけでなく、現在『放送』を受信している全てのハイドラ王国の人達全員にも、聞こえるようになった筈だ。
『―――か、神よ! 私の声が届くのですか!?』
「ええ、届いているわ。もう一度問うけれど、最後に何か言い残したいことは?」
やや狼狽の入り交じった声色で、ハーキスからの声が『放送』の念話に乗る。
いまユリが見下ろしている駐屯兵のどれか1人が、ハーキスなのだろうけれど。高高度を飛ぶユリからは、遠すぎてそれをはっきり視認することはできない。
『おお―――お許し下さい神よ! 我々はレイピア王国が神の庇護下にあるなど、全く知らなかったのです! 知っていれば彼の国を攻めるような真似は、絶対にしていないと誓うことができます!』
「ふふ……ハーキスは将軍とも思えぬほど、可笑しなことを言うのね。
では私からひとつ訊ねますが、ハイドラ王国の法では『人殺しが罪』だと知らずに人を殺めた者は、無罪で放免するのですか?」
『そ、それは……』
「違うでしょう? たとえ本当に『知らなかった』としても、それが罪を減じる理由には全くならない筈。―――あなた達もそれと同じ。レイピア王国を私が庇護していることをハイドラ王国が知らなかったからと言って、それを私が考慮する必要がどこにあるのかしら?」
冷たく言い捨てるユリの言葉に、ハーキスからの返答は無かった。
返答を思いつかないのか、それとも容赦の無い言葉に心が挫けたのか。姿が見えない以上、それは判らないが。返事が無いならユリがやることはひとつだけだ。
「問答はこれ以上無用なようね。それでは―――ごきげんよう皆様」
召喚したまま停止させていた【星堕とし】が、ゆっくりと落下を始める。
『放送』に映す映像を、シルフの視点からユリ視点へと切り替えて。そして重力に背を押されて次第に加速していく隕石を、静かにその背後から見送った。
『ああ、ああ……! し、死にたくない! まだ、死ぬわけには……!』
哀願とも嘆きともつかない、情けないハーキスの声が『放送』に乗って響く。
それを耳にして、はあ、とユリは大きな溜息をひとつ吐いた。
「―――将軍の癖に無様ね。せめて死ぬときぐらい、潔く在りなさい」
隕石の着弾と同時に、夥しい威力の衝撃波が周囲に撒き散らされる。
地上に駐屯していた18000の兵達が、誰ひとりとして生きていないであろう事は。映像を視聴している人達からも、明瞭に理解できたことだろう。
『放送』を終了して、ユリは静かに溜息をひとつ吐く。
これだけ大量の人達をまた殺めたというのに。やはりユリの『極悪』な心には、何ひとつ悲しみや憐憫のような感情が浮かぶことは無かった。
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