164. 反攻の甘い囁き(後)
「我々が、ハイドラ王国を奪る、ですと?」
「ええ。海沿いの平坦な国土、欲しくは無いかしら?」
「それは……言われるまでもなく、喉から手が出るほど欲しい、ですが……」
レイピア王国の国土は山岳地帯ばかりで、しかも実りも少ないという。
隣のハイドラ王国が有する肥沃で広大な土地に、今までどれほど羨望の眼差しを向けてきたかは、想像に難くなかった。
「宰相からの手紙の写しには、侵攻軍の陣容についても記されていたでしょう?」
「書かれてありましたな。歩兵16000と騎兵2000、竜騎兵も300というのは、私が予想していたより5割近く多い兵数になります」
「ちゃんと把握できているわね。では次に、これも読んで貰えるかしら?」
そう告げて、ユリは〈インベントリ〉から出した書類をレイヴン王に手渡す。
「こちらの書類は……?」
「私が送り込んだ密偵が調べ上げた、ハイドラ王国の情報を纏めたものよ。読んで欲しいのは、特に書類の7ページ目にある首都駐留軍の内訳についてね」
「……なんと。ハイドラ王国は防諜意識が高く、そうそう情報を抜くことが不可能な国なのですが……。ユリ殿は大層優れた密偵をお持ちなのですな」
「ええ、とても素晴らしい子達なのよ」
『撫子』のことを褒められるのは、ユリとしても率直に嬉しい。
レイヴン王は早速、ユリが挙げた書類の7ページ目にざっと目を通していく。
「これは、いつの時点での情報ですか?」
「一応4日前なのだけれど、それ以降も駐留軍が増えていないことは確認済よ」
「ふむ……。相手は今回、本気でレイピア王国を潰すつもりなのですな」
レイヴン王は、はあ、と重苦しい溜息をひとつ吐き出した。
なにしろ今回ハイドラ王国が敢行するのは、首都に兵を1000だけ残し、他の全軍をレイピア王国へ侵攻させる総力戦だ。彼の国がレイピア王国を『粉砕』するつもりであることは、考えるまでも無く明らかだった。
「まあ、あちらの軍隊がどれだけ多くても関係無いわ。私が1兵も逃すことなく、その悉くを殲滅してあげるわよ。
―――だから代わりに、レイピア王国は敵国の首都を奪りなさい。ハイドラ王国の首都に残る1000の兵だけなら、どうとでもなるでしょう?」
「それは……まあ、そうですが」
「敵侵攻軍の殲滅が終わった後にでも、私が『転移門』を設置して、レイピア王国の王城前から、ハイドラ王国の王城前まで一瞬で移動できるようにしてあげるわ。そうすればレイピア王国の軍隊は敵の首都を直接攻撃できるようになる。しかも、都市の防壁と王城の門を丸ごと無視して、その内側から急襲できるわ」
「そ、そこまでして下さるのですか?」
「ええ、そこまではしてあげるわ。但し、それ以上の加勢はしない。私達が現時点で結んでいるのは、あくまでも相互防衛条約だけだからね」
相互防衛条約は、あくまでも防衛時の協力を約束するものであって、侵攻時の加勢を約束するものではない。
百合帝国が行うのは、敵の侵攻軍の殲滅と、あとついでに『転移門』を設置してあげることだけ。残る敵王城の制圧は、あくまでもレイピア王国の将と兵によって行われるべきだろう。
「……敵国に残る兵は僅か1000。しかもその大半は、都市の門や防壁の護りに割り当てられるでしょうな」
「そうね。おそらく王城の守備兵は200~300といった所ではないかしら」
「では、こちらが1000程度の兵を送れば、まず負けはありませんな。真っ先に王城の門を制圧して閉じてしまえば、都市の門や防壁の護りに就いている兵が応援に駆けつけることも出来なくなりますし」
「門を閉じれば、王城内の者が逃げ出すこともできなくなるから、一石二鳥ね」
ハイドラ王国の王城は、周囲を10メートル近い深さがある空堀と、高い防壁で囲んでいるため、正面側の橋を渡らなければ敷地内に入れない構造になっている。
だから門を閉じてしまえば、それだけで王城の敷地内と外側とを完全に隔絶することができてしまう。王城内に居る王や貴族は唯一の退路を失い、王城外の兵達が救援に来ることも不可能となるのだ。
もちろん竜に乗って空を飛べば、堀と壁を越えて行き来もできるだろうけれど。ハイドラ王国は竜騎兵を全て出兵させる予定のようなので、防備には1匹も残っていない筈だ。
「ふむ……。この話、息子にも聞かせて構いませんか?」
「レクマー第一王子に? ああ―――もしかして、武勲を積ませたいのかしら」
「ええ。私はまだまだ健康ですが、いずれレクマーに王位を譲ることになります。ここで『ハイドラ王国の首都を制圧』という武勲を積ませておけば、いつかの日にレクマーに王位を譲る際に、継承も円滑に進むでしょう」
「なるほど、考えたわね。その辺は好きにしてくれて構わないわ」
「感謝致します。では、息子を呼ぶとしましょう」
レイヴン王が応接室の外へ出て、10秒と掛からずに戻って来た。
外で待機している侍女に、レクマー王子を呼んで来るよう命じたのだろう。
ついでに侍女の人が、再びお茶を淹れ直しに来てくれた。
ちょうど冷めていた頃合いだったので有難い。もちろん侍女はこれから来るレクマー王子の分も含めた、3つのカップをテーブルに並べていた。
「失礼致します」
お茶を淹れ終わって侍女の人が退室するのと入れ替わりで、レクマー第一王子が応接室へと入ってくる。ユリが会釈すると、あちらも頭を下げて応えた。
「ユリ陛下、先日は5日間も滞在させて頂き、大変お世話になりました」
「レクマー王子に私の国を気に入って頂けたなら嬉しいわ」
「気に入るどころか―――当国との大きな格差を、まざまざと見せつけられた思いで一杯です。目標とすべき国の在り方を、多く学ばせて頂くことができました」
「それは良かったわ。ハイドラ王国との戦争が終わったら『転移門』を設置させて貰う予定だから、またいつでも訪ねてきて頂戴ね」
「はい! 是非また『迷宮地』に挑戦し、己を鍛えたいと思います!」
レイピア王家が4泊5日の行程でユリシスのホテルに滞在した際、レクマー王子は臣下の騎士と共に『迷宮地』に入り浸りだったと聞いている。
レクマー王子はその外見だけなら、いかにも戦いを嫌っていそうな、優しそうな青年に見えるのだけれど。実際には、これで意外に勇敢な人物なのだろう。
もちろん臆病よりは勇敢な方が、王位の継承者としてより好ましいはずだ。
レイヴン王は書類を示しながら、レクマー王子にここまでの話の経緯を順序立てて説明していく。
ハイドラ王国が送り込んでくる大軍はユリが引き受けること、軍備の大半を出兵させるためハイドラ王国の首都が手薄になること、ユリが『転移門』を設置するため敵の首都を急襲可能なこと―――。
「是非とも私に、敵城制圧の指揮をお任せ下さい!」
その辺の一連の説明を受けたレクマー王子は、迷いもせずそう宣言してみせた。
自分に求められている役割を即座に理解できる聡明さも、王子にはあるようだ。
「やってくれるか、レクマー」
「はい! 兵を1000もお預け頂ければ、王城を制圧してみせます!」
「よし、では現在よりレクマーに1000の兵の指揮権を預けておくものとする。見事ハイドラ王国の王城を制圧してみせ―――」
「あ、ちょっと待って頂戴。できれば兵はもう少し多く彼に預けて欲しいわ」
ユリがそう口を挟むと、レイヴン王とレクマー王子は揃って、少し不思議そうな表情をしてみせた。
「……む、何故だね? 先程ユリ殿も、王城の守備兵は多く見積もっても300と話していたように思うが」
「純粋な兵力で言えばそうでしょうけれど、王城には騎士や兵士だけでなく、文官や侍女、下働きといった人達も居るでしょう? そういう人達を無為に傷つけずに捕縛する為には、兵を幾らか多めに差し向けたほうが良いと思うのよね。
―――で、ここからはお願いなのだけれど。敵の王城で捕縛した中で、特に女性の人達に関しては、百合帝国に人材を譲っては貰えないかしら? それが兵の輸送を行う『転移門』を設置する対価ということで構わないから」
「ふむ、それぐらいは構わないが……。女性だけで良いのか?」
「ええ」
敵国の捕虜も『黒百合』の子達が調教を行えば、百合帝国に忠誠を誓う人材として生まれ変わらせることができる。
常に人材不足の百合帝国にとって、これは絶好の機会だ。但し『黒百合』の子達が調教を行うのは女性に対してだけなので、男性はあまり必要ではない。
「そんなことで対価になるなら、無論異存は無い。
では―――レクマーには3000の兵を預ける故、ハイドラ王国の王城を制圧すると共に、城内の武器を持たぬ者は全て殺さず捕縛するよう命ずる」
ハイドラ王が腰から下げていた剣を外し、レクマー王子に差し出す。
王の剣を預かることが、即ち兵の指揮権を預かることを意味するのだろう。
「しかと承りました」
レクマー王子が深く頭を下げながら、王剣を受け取った。
(一応、何か保険を用意した方が良いかしらね……)
3000もの兵で王城を攻めれば、陥落させるぐらいは訳もないだろうけれど。とはいえ王城に直接乗り込むとなれば、野戦で後方に控えるのとは異なりレクマー王子が敵兵から怪我を負わされたり、あるいは殺される可能性もゼロではない。
万が一そういう事態が起これば、嫡男に武勲を持たせようというレイヴン王の思惑が、却って裏目に出ることになる。
侵攻戦に直接参加するわけにはいかないけれど―――。
間接的に支援を入れるぐらいなら、構わないだろうか。
-
お読み下さりありがとうございました。




