163. 反攻の甘い囁き(前)
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驚きなことに、ハイドラ王国にはいわゆる『防諜機関』が存在するらしい。
この異世界が中世や近世に近い文明レベルであることを考えると、これは極めて先進的なことだ。
防諜機関は独自の捜査権を有しており、門や橋の通行を制限したり、市民を自由に逮捕することまで出来るらしい。貴族でさえ防諜機関の命には逆らえないというのだから、何とも徹底した国策だと感心する他ない。
とはいえ―――防諜機関の有無など、『撫子』の子達にとっては些細な問題だ。
ハイドラ王国に潜入させた『撫子』4名とその従者達は、僅か2日の間に国を丸裸にする勢いであらゆる情報を根こそぎ抜き出してくれた。
ハイドラ王国が誇る軍隊は現在、その大半が首都に集結しつつあるようだ。
首都はレイピア王国との国境に近いため、ここを起点に出兵の予定なのだろう。
その証拠に、首都では2ヶ月ほど前から国が糧食を精力的に買い集めているらしく、市場で取引される食料品の価格がかなり高騰している様子だった。
ユリがハイドラ王国の情報を入手した、4日後の『秋月11日』。
今度はレイピア王国の『ラスター』という都市に潜伏させていた『撫子』の従者の子が、ユリに『至急』と書かれた報告書を送ってきてくれた。
ラスターは、ハイドラ王国に通じているミハイル伯爵が治める都市の名前だ。
封筒を開けてみると―――案の定と言うべきか、ハイドラ王国の宰相からミハイル伯爵へ向けて送った、最新の手紙の写しが入っていた。
手紙の写しによると、ハイドラ王国首都からの出兵が『秋月16日』の午前中を予定しており、そこから2日掛けてレイピア王国との国境手前まで移動。
翌日の『秋月18日』に国境を越えてレイピア王国の国土を侵犯、更に翌々日の『秋月20日』にはラスターの都市の手前に布陣すると思われる、レイピア王国の防衛軍と対峙する予定になっているようだ。
想定していたよりも、些か出兵の日取りが早いようだけれど―――これはおそらく、行軍が『雪』で支障を来すことを嫌ったからだろう。
この世界では暦が『冬月』に入ると同時に、気候が完全に冬のものへと変わる。そうなればいつ雪が降ってもおかしくなくなるため、ハイドラ王国は早めに侵攻を仕掛けて、戦争自体を『秋月』の間に終結させるつもりなのだ。
(百合帝国と相互防衛条約を結んだことは、先方に漏れていないようね)
ハイドラ王国の宰相が、ラスターの都市前で両国の軍隊が対峙する『野戦』を想定していることに、ユリは内心で小さくほくそ笑んだ。
実際にはハイドラ王国の軍が攻めてきても、レイピア王国の軍隊が布陣することは無い。撃退を百合帝国が請け負うことで話が済んでおり、レイピア王国の軍隊は都市から出ないまま待機することになっているからだ。
相手が野戦を想定している時点で、少なくとも現時点ではハイドラ王国への情報漏洩は無いと判断して良いだろう。
手紙には、侵攻軍の全容についても記載されていた。
ハイドラ王国は歩兵14000と騎兵2000に加え、更に竜騎兵300も出兵する予定らしい。また、これに輜重隊1000が同行するようだ。
輜重隊の規模がやや小さめなのは、ハイドラ王国とレイピア王国との国境線沿いに河川があり、そこで水を補給できるからだろう。結局のところ、軍事物資の中で最も重量が嵩むのは飲料水なのだ。
(これは―――戦力を出しすぎでは無いかしら?)
ユリは思わず、その侵攻軍の数量を見て首を傾げてしまう。
4日前に『撫子』の子が探ってくれた時点の情報では、現在ハイドラ王国の首都に集まっている軍勢は歩兵が16000に騎兵が2000、それと竜騎兵が300だった筈だ。
つまり、この宰相からの手紙の写しの通りに出兵する場合、ハイドラ王国の首都には僅か歩兵1000の防備兵しか残らない計算になる。
ハイドラ王国はほぼ全軍を出兵し、総力戦でレイピア王国を潰す心算のようだ。
下手に拮抗する軍事力を送るより、始めから圧倒的な軍事力を送り込んだ方が、結果的に被害が小さくて済むというのはよくある話だ。どうやらハイドラ王国の宰相は、よほど軍事力の損耗を厭っているらしい。
(その軍事力を『隕石』ひとつで潰されたら、どんな顔に歪むのかしら)
想像して、くすりとユリは妖艶に微笑む。
是非とも『損耗率100%』という非情な現実を突き付けて、臆病な宰相の心を木っ端微塵に砕いてあげたいものだ。
午前中の執務を手早く終えて、ユリは転移魔法を行使する。
行き先はもちろんレイピア王国の首都だ。王城の目の前に転移したユリは、最近足繁く通っているせいか、すっかり顔を覚えられた王城正門の衛士の案内に従い、王城の中を案内して貰った。
「レイヴン王は執務室におられます。すぐにお呼び致しますので、暫く応接室にてお待ち下さい」
「判ったわ」
ユリが案内された応接室のソファに腰を下ろすと、すぐに2人の侍女がやってきて、ユリのためにお茶を淹れてくれた。
もう何度も来ているせいか、ユリは応接室の侍女の顔を覚えてしまっている。
「済まない、お待たせした」
「もっとゆっくりでも構わないのよ」
数分と待たないうちに、レイヴン王が応接室へとやってくる。
案内の侍女がユリの分も含めた2人分のお茶を淹れ直した後に、すぐに応接室から退室していった。
どうやらユリが来た時には、部屋の中に留まらず退室するように、既に言い含めてあるらしい。国主同士の話を余人に聞かせるべきではないと、レイヴン王が事前に気を回していたのだろう。
「こちらは手土産よ、どうぞ」
「手土産……? これは何だね? 我が国の地図のようにも見えるが……?」
「レイピア王国の国土に埋蔵されている、資源の位置を示した地図よ」
ユリがそう告げるや否や、レイヴン王は勢いよく地図を手に取って覗き込む。
そしてレイピア王国の国土に大量の銀や鉄、石炭、更には温泉が埋蔵されていることを知ったレイヴン王は、喜色が交じった声色で驚き、そして歓喜していた。
どうやら余程、財政には苦慮していたと見える。
「ありがとう、ありがとうユリ殿……! 何と感謝を言って良いか……!」
「そ、それだけ喜んで貰えると、こちらも嬉しいわ」
ユリの手を両手で握り締め、ぶんぶんと上下に揺すってくるレイヴン王。
そのあまりの喜びようを目の前にして、ユリはちょっとだけ引いたりもした。
ちなみにこの地図は、ユリが転移魔法でカナヤマヒコをレイピア王国まで連れてきて、調査して貰ったものだ。
『鉱山の神』であるカナヤマヒコからすれば、地中に埋蔵する資源を調べることぐらいは造作もない。とはいえ、地図自体の作成も行ったため、作成に多少の手間が掛かった手土産ではあるのだけれど―――これだけレイヴン王に手放しに喜んで貰えたなら、用意した甲斐があったというものだ。
「で、こっちが本題ね。―――とうとう攻めて来るわよ」
「……む、拝見しよう」
喜色満面だった顔が、一瞬で険しいものへと変わる。
『撫子』からの報告書を読んで、レイヴン王が「ふむ」と頷いた。
「概ね予想通りですな。やはりあちらも、戦争が冬までもつれることは避けたいと見える」
「そうでしょうね。何にしても、早く来てくれる方が私としては嬉しいわ」
早く来て、早く殲滅できれば、それだけ早く骸骨兵が手に入る。
同盟国との交易路の防衛目的に使おうか、それとも同盟国に都市・村落の防衛用として貸し出そうか―――今から使い途が悩ましいところだ。
「約束通り、侵攻軍の殲滅は百合帝国に任せて貰うからね」
「それについては異存有りませぬ。我が国の軍隊はラスターの都市に駐留させておきますが、それで宜しいですかな?」
「それは駄目よ。流石に敵の第一攻略目標であるラスターの都市に大量の兵を駐屯すれば、敵がそれを訝しく思って侵攻を躊躇う可能性があるわ」
「む、それは確かに……。では軍隊をラスターの都市に入れると同時にミハイル卿を捕縛してしまえば、情報が敵方に漏れずに済むのではないでしょうか」
「それも駄目。先方の密偵は確実にラスターの都市内にも、都市外にも配置されていると見て良いでしょう。ミハイル伯爵を除いたところで、結局は密偵から敵方に情報が渡ることは避けられないわ」
ハイドラ王国の宰相はかなりの小心者のようだから、それぐらいはするだろう。
―――まあ、一応ユリが【空間把握】の魔法を行使して、都市内外に存在する密偵の存在を炙り出し、全て捕縛してしまうという解決法もあるのだけれど。
「むむ……。それは、困りましたな」
「軍事力は首都に集めておきなさい。必要な時には私が転移魔法で一気に戦場まで送ってあげるから、距離は問題にならないわ」
「―――なんと。ユリ殿には軍隊を纏めて転移させることも可能なのですか?」
「可能よ。疲れるから、あまりやりたくは無いけれどね」
数千人規模の一括転移は、魔力の消費量が半端ではないので些か躊躇われる。
いや―――それよりは『転移門』を設置して軍隊に移動して貰う方が、ユリの負担としては軽く済むだろうか。
「ちなみに、レイピア王国ではどの程度の兵を集められるかしら?」
「そうですな……。無理なく出せるのは、歩兵を6000に騎兵が1000ぐらいでしょうか。それ以上出す場合には、他の都市の防備兵を削らねばなりません」
「あら、充分じゃない。―――レイヴン王、提案がひとつあるのだけれど」
「聞こう」
「この際だから、レイピア王国でハイドラ王国を奪ってみてはいかがかしら?」
ユリがそう告げると、レイヴン王は大きく目を見開いた。
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