161. 相互防衛(後)
「……そうですか、ミハイア卿が敵方に通じて……」
「あら、私が持ってきた情報を、簡単に鵜呑みにして良いのかしら?」
「疑いなど致しませんよ。元より、虚偽でミハイア卿に対する私の心証を落としたところで、ユリ殿に利益など無いでしょう?」
「まあ、それはそうだけれど……」
確かにレイヴン王の言う通り、ミハイア伯爵を貶めたところで、ユリに利することなど有りはしないが。
とはいえ―――この王は簡単に人のことを信用しすぎでは無いだろうか。
「それにしても……銀山の領有を認めなかったのは私ですから、ミハイア卿からある程度恨まれることは覚悟しておりましたが。とはいえ、代わりに領主裁量でハイドラ王国と小規模の交易を行う権利を認めるなど、彼にそれなりの旨味は提示していたつもりだったのですがね」
「ミハイア伯爵はその利益に満足できなかった、ということでしょう」
「……ううむ。臣下に裏切られるのは国主として器量が足りぬ証左。ユリ殿には、なんとも情けない所をお見せしてしまいましたな」
悄然と肩を落としながら、レイヴン王がそう言葉を零した。
臣下の心が望まず離れているという事実は、とても辛いことだろう。
もっとも―――臣下との信頼関係構築という点では、百合帝国は完全な一枚岩だと言えるので、ユリには少し共感しづらい部分でもあるけれど。
「……ハイドラ王国は、攻めて来るか」
「戦争になるのですね……」
報告書を最後まで読み終えたレイヴン王とユベルは、共に重く言葉を吐いた。
『撫子』の従者の子が写し取った、ハイドラ王国宰相から送られた手紙のうち、最も新しい一通の中では。近日中にレイピア王国へ軍隊を送り込むから、ミハイア伯爵にはそれを支援して欲しい―――という旨が綴られている。
まだ具体的な日取りは示されていないようだから、少なくとも向こう1週間以内に侵攻が始まることは無いだろうけれど。とはいえハイドラ王国が宣戦布告を叩き付けてくるのは、もうそれほど遠い話では無いわけだ。
彼我の軍事力が大いに負けている以上、ハイドラ王国の軍隊が侵攻してくれば、国境から近い都市に住む民はほぼ間違いなく戦禍に晒されることになる。
民の悲痛を思うと、心が晴れないのだろう。
「レイヴン王にお願いがあるのだけれど」
「聞こう」
「ハイドラ王国から侵攻軍が来たら、百合帝国に殲滅させて貰えないかしら?」
「………………は?」
ユリの発言を聞いて、レイヴン王が驚きのあまりに目を瞠る。
無理もない反応だろう。いかに百合帝国が今や大国の地位を確立したとはいえ、わざわざ面倒な戦争を引き受けようなど、物好きにも程がある発言だ。
レイヴン王が驚く一方で、ユベルはどこか納得したように頷いていた。
どうやら彼女は『骸骨兵』に関する情報を、既に把握しているようだ。おそらくは同じ『側室』の立場にある子達から聞いたのだろう。
「どうかしら? レイピア王国にとって損のない話だと思うけれど?」
「損どころか利しか無い話ですが……。何を対価に要求されるおつもりで?」
「対価など別に不要なのだけれど。でも、そうね―――強いて言えば、レイピア王国の民に『放送』を提供する権利が欲しいかしら」
『放送』を行う地域が増えれば、それだけユリに集まる信仰の量も増す。
それはそのまま、ユリに集まった信仰を自由に利用可能な、リュディナの利益に繋がるわけだ。
「―――判りました、その条件呑みましょう。ただ、生憎と私はその『放送』なるものを存じておりませんので、説明はして頂けると助かりますが」
「……それが何かも判らずに、条件を呑むの?」
「ハイドラ王国の軍事力は当国を大きく上回ります。なので侵攻軍を自国の軍だけで迎え撃てば、間違いなく民に多大な被害が出るでしょう。百合帝国の助けを借りてその被害を抑えることができるのなら、余程の条件でも呑みますよ」
問いかけたユリの言葉に、レイヴン王は快活に笑ってみせた。
王として何を最優先で護るべきか正しく理解しているその姿勢は、同じく国主の立場にある者として、ユリも率直な好感を持つ。
「それで、その『放送』とは一体、何なのでしょうか?」
「……口で説明するのは、なかなか難しい気がするのよね」
『放送』を全く知らない人に、それをいちから説明するのは難しい。
ユリが少し困っていると、隣に座るユベルがにこりと微笑んだ。
「ユリ陛下、お父さまに『放送』について説明するなど訳もないことです。実際にお父さまに百合帝国へ1日だけでも泊まって頂けば良いのです」
「ああ、なるほど……。確かにそのほうが手っ取り早いわね」
『放送』は口頭で説明するのは難しくとも、実際に見て貰えば一目瞭然だ。
宿泊先にはユベルが滞在しているのと同じ『ユリシス・バタフライ』のホテルを利用して貰えば良いだろう。
「というわけで、実際に『放送』を体験してみて欲しいから、1日だけ百合帝国に泊まりに来て貰えないかしら?
上等な宿泊先をこちらで用意するし、転移魔法で送迎もさせて貰うから、移動の面倒も掛からない。もちろん何人でも護衛を連れてきてくれて大丈夫よ」
「ふむ……転移魔法を体験してみることに興味がありますし、移動時間が掛からない旅行というのも面白そうですな。無論護衛は連れて行かせて頂きますが、良ければ妻と息子も同行させても?」
「ええ、構わないわ。いつなら都合が良いかしら?」
「そうですな……。遠からず戦争が起きると判っている以上、早めのほうが有難いですな。とはいえ妻と息子に話を通しておかなければなりませんから……また明日の昼頃にでも、迎えに来て頂けませんでしょうか」
「判ったわ。では明日の昼にまた伺いましょう」
日を改めて迎えに来るぐらいは、大した手間でもない。
いっそ『転移門』を設置できればとも思うけれど、流石にまだ早いだろうか。
「それで、戦争の話に戻りますが。もしハイドラ王国が攻めてきた場合、当国は何を担当すれば良いのでしょうか?」
「………? 敵軍の相手は百合帝国で引き受けるけれど?」
「とはいえ、まさか敵軍を全て任せてしまうわけにもいかぬでしょう。自国を護るための防衛戦なのですから、こちらも可能な限り出兵させて頂きますが」
「ああ……。申し訳無いけれど、兵を出されると却って面倒なのよ。お気持ちだけ有難く頂戴しておくから、手出しはしないで貰えると助かるわ」
兵を出されたところで、【星堕とし】を撃つ上では邪魔にしかならない。
下手に効果範囲に巻き込んで遺恨が残ると、こちらとしても困るのだ。
「しかし、一兵も出さぬというわけにも……」
「お願いだから、百合帝国を信じて頂けるなら、一兵も出さないで頂戴」
「む……。そこまで仰るなら、承知致しました。ただ、せめていつでも出兵できるように、兵を近隣都市に待機させておくことはお許し頂けますか」
「ええ、それは好きにして頂戴。但し、都市からは勝手に出さないように言い含めておいて頂戴ね。正直、こちらの軍事行動の邪魔になるから」
「判りました、しかと厳命しておきます」
都市から出ない分には、兵が幾らいてくれても構わない。
【星堕とし】は効果範囲の地形を大いに陥没させてしまうことが明らかなので、元より都市に被害を出さないよう最大限の注意を払うつもりで居る。
「レイヴン王。貴国との同盟締結を急ぐつもりはないけれど、ハイドラ王国が攻めてきた際にそちらの国土で軍事行動を行っても問題無いように、今のうちに文書による合意ぐらいは済ませておけないかしら?」
「ああ、それもそうですな……。では、一応体裁上は『相互防衛条約』という形でいかがでしょうか」
「結構よ。こちらとしては異存は無いわ」
相互防衛条約とは、簡潔に言えば『片方の国が攻撃されたら、もう片方の国が軍を派遣して助ける』という軍事条約のことだ。
原則として防衛戦にのみ適用され、侵攻戦は対象外となる。
レイヴン王が書記官を応接室に呼びつけて、相互防衛条約の文書を2部用意してくれたので、それにユリとレイヴン王の2人が国主として署名する。
もちろん文中には『相互に軍の通行を認める』という一文も加えて貰っている。これでユリやラケルが転移魔法で戦地に急行しても、問題が生じることはない。
「まだ当面はレイピア王国に密偵を潜伏させるけれど、悪く思わないで頂戴ね」
「もちろんです。情報はこちらにも回して頂けるのでしょう?」
「ええ、構わないわ」
「であれば、こちらとしては感謝しかありませんな」
このまま密偵を潜伏させておけば、ハイドラ王国の宰相からミハイア伯爵へ具体的な侵攻の日取りが伝えられた際、すぐにそれを察知することができる。
ユリの【星堕とし】は付近一帯に甚大な被害が出るから、敵軍が都市に辿り着く前に撃たなければならない。だから情報を制することは必要不可欠だと言えた。
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