16. ロスティネ商会(中)
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商業ギルドは所属する会員を『ランク』制により格付けしている。
このランクは基本的に国家への貢献度が、つまり納税額が高い会員にほど高位のものが付与される。商業ギルド自体は国家の垣根を越えて運営される組織なので、納税先の国家がどこであるかは問われない。
もちろん『ロスティネ商会』の場合であればエルダード王国、シュレジア公国、ニムン聖国のいずれに納税した分も等しく評価されている。なのでロスティネ商会の会頭であるルベッタは当然、最も格の高い『Aランク』に認定されていた。
商業ギルドの3階には社交室と呼ばれる特別な部屋があり、この部屋は『Cランク』以上の会員とその従者のみが利用可能となっている。
必然的に社交室の利用者は店舗を複数経営している商人ばかりとなる。社交室は社会に対して少なからず影響力を持ち始めた商人が、より商いの幅を拡げるための情報を得るのに最適な場所であり、野心家の商人ほど足繁く利用する傾向がある。
もっとも―――この1週間ばかりは、その趣がやや異なっていたりもする。
ニルデアを拠点に活動する『Cランク』以上の商会関係者は、この1週間ずっと社交室へと足を運び、情報収集に勤しんでいるが。それは彼らが野心家であるからではない。
むしろ逆で、彼らは自らを護るために情報に飢えていると言っても良かった。
都市が占領されたにも拘わらず、占領した『百合帝国』なる国家について、誰も情報を持っていない。情報がないから商人として彼の国家を相手に、どのように立ち回るのが賢明なのかも判らない。
いま社交室に顔を揃えている商人達は。いずれも『百合帝国』なる国家を怖れ、現在商会が確立している地位や収益を新たな支配者によって奪われないようにしたいという、保身衝動に突き動かされている者達だった。
言うまでも無く、ルベッタ・ロスティネもまたその1人である。
商人の持つ権益は、常に国家や権力者の手によって徴発される標的となる。それを防ぐためには、自分の後ろ盾になってくれる権力者、つまり『貴族』の存在が不可欠となるわけだが―――。
ルベッタは『百合帝国』の貴族に伝手を持たない。それどころか、彼の国の『貴族』について名前さえ1人も把握していない。
無論、こんな現状では、自分を庇護してくれる後ろ盾など望むべくもなかった。
都市を容易に占領できるような相手に、商人が刃向かうのはあまりに無謀。
やろうと思えば『百合帝国』は、ニルデアの商人から財貨も物品も、何もかもを根こそぎ奪うことができてしまうことだろう。
だからルベッタは、大至急『百合帝国』の貴族に繋ぎを持ちたいと考えている。
いや、それはルベッタだけではない。この社交室にいる商人の誰もが、他の商人の誰かに紹介して貰って『百合帝国』と接触し、後ろ盾を得たいと考えている。
そうして、自分の身を。自分の家族を。自分の商会員を護りたいのだ。
「―――ロスティネ卿!」
3階に移動したルベッタが社交室に入室すると。その姿を見つけた数人の商人がすぐに駆け寄ってくる。
ルベッタは彼らが期待しているであろうことに、ただ頭を振って否定した。
「私の方でも、今のところは何も」
「そうですか……。残念です」
駆け寄ってきた者は落胆の色を隠しもせずに、元居た場所に戻っていった。
彼らは大手商会の会頭であるルベッタこそ、最初に『百合帝国』へ繋ぎを作れる者だと期待しているのだ。なればこそ自分も便乗したいと考えているのだろうが。
生憎と『百合帝国』相手に何も出来ずにいるのはルベッタも同じなのだ。彼らを無下にしたいわけではないが、力になれない癖に良い顔をするつもりも無い。
ルベッタは社交室の中をぐるりと見回す。
すると広い室内の奥側でルベッタに小さく手を振る、老紳士の姿を見つけた。
「こんにちは、トルマークさん。そちらの状況はいかがですか?」
「ご機嫌ようロスティネ卿。昨日と何も変わっていませんよ」
ルベッタのほうから質問混じりの挨拶を交わすと、アドス・トルマークはそう答えながら穏やかに微笑んでみせた。
彼が運営する『トルマーク商会』はニルデアと王都の2都市で活動する商会で、主に書籍と芸術品、あとは魔導具も扱っている。
販売品が高価なものばかりなので、庶民ではなく富豪や貴族を相手に取引を行う商会だ。納税額自体はそこまで高く無いので、商業ギルドの評価は『Bランク』に留まっているが。貴族や有力者への影響力も考慮するなら、下手な『Aランク』の商会よりもずっと高い地力を持っている。
それに書籍や芸術品というのは元々の母数が少ないので、近郊だけで集められる品には限度がある。貴族や有力者の興味を満たす良品を集めようとすれば、それこそ大陸よりも外にある国とも積極的に取引を行わなければならない。
なのでトルマーク商会は国内のみならず、国外にも伝手を持つ。
また高価な品を主軸とする商いは、庶民相手の多売よりもずっと『情報』への依存度が高い。それに対応する為に、トルマーク商会では独自の諜報組織を抱えて、国内外で密かに活動させている。
「一体『百合帝国』とは何なのでしょうね」
「私が知らないのですから、相当なものですな……」
眉根を寄せながら、アドスが老いを感じさせる渋い声でそう漏らす。
国内にルベッタが持つものよりも詳細な地図を有している者が居るとするなら、それは確実に目の前のアドス・トルマークだ。
それ程に彼の老紳士の手が届く領域は広い。エルダード王国にしか店舗を構えていないことが、心底不思議に思える程だ。
「トルマーク商会の諜報部隊でも、彼の『帝国』の詳細は掴めないのですか?」
もちろん、ここで言う帝国とは『百合帝国』のことだ。
以前は帝国と言えば『ヴォルミシア帝国』のことを指したが、もうここ最近では彼の帝国のことなど心底どうでもよくなっている。
「些かも掴めてはおりません。情報を集めようと行動すればするほど『百合帝国については何も判らない』という事実だけを、明瞭に突き付けられる気がします」
「そうですか……」
「ロスティネ卿、ここだけの話ですが―――実は私は昨日、ニルデアの東門に商会の手の者を向かわせました。東門を守護する責任者に面会を求め、賄賂を贈るように指示を出していたのです」
「……そういえば今の東門や西門では『メイド』が門の守衛に就いている、という話を聞いたことがありますね」
商会の者から一度、そんな報告を受けたことがある。
その時は大して重要では無いと思って、特に調べさせたりはしなかったのだが。よくよく考えてみると明らかに異常であり、どういう意図のものなのか正直理解しかねるように思えた。
「どうやら事実のようです。商会の者が確認した所によりますと、エプロンドレスの下に濃い青のワンピースを着ているメイドが3名と、黒のワンピースを着ているメイドが1名、合計4名が東門の護りに就いていたそうで。ちなみに黒のワンピースを着た者が指揮官だとのことです」
「なるほど……」
「商会の者が言うには、試しにその黒ワンピースのメイドに面会を求めたところ、快く別室に案内して貰えたとのこと。当人は『これは脈がある』と考え、案内された先の部屋で早速賄賂を渡そうと試みたそうですが」
「賄賂にはいかほどを?」
「木製のケースに金貨で一杯を。大体『40万Beth』ぐらいでしょうか」
「それは―――また、随分と奮発なさいましたね」
40万Bethと言えば、庶民なら優に2年は暮らせるほどの額だ。
名も知らぬ一兵卒相手に贈る賄賂としては、間違いなく破格と言って良い。
「その賄賂で『百合帝国』との繋ぎが得られたりはしなかったのですか?」
「……そもそも受け取って貰えなかったそうです。『金なんぞで我々の心を買えると思うな!』と激昂され、商会の者は東門の詰所から叩き出されました」
「それは、なんとまあ……」
老紳士の話に、ルベッタは心底から驚かされる。
一兵卒の忠誠心で撥ね除けられる金額ではないと思うのだが。
「ちなみに昨日の夕方には西門でも同じことをさせたのですが、やはり同様に賄賂を提示した瞬間に、使いの者は詰所から蹴り出されてしまいました」
「……彼の『帝国』は随分と忠誠が厚い部下で構成されているようですね。うちの商会員に欲しいぐらいですよ」
基本的に『心』は金で購えるものだ。
忠誠心とは即ち、その者の心を買うために必要な金貨の多寡に過ぎない。少なくともルベッタは今までそのように思っていたのだが。
―――ちなみに、二人の会話の中に登場する『黒のワンピースを着たメイド』とは、『撫子』の部隊に所属する者のことだ。
左手の薬指に『白』の結婚指輪を嵌め、ユリへの好感度が『150,000』を超えている彼女達は、当然ユリに対して絶対的な忠誠心を抱いている。
積まれた賄賂がその100倍でも1000倍でも、彼女達の忠誠心が揺らぐことは絶対に有り得ない。
「そもそも、我々はなぜ贈り物もさせて貰えないんでしょうか……」
「……それが私にも判らないのですよね」
ルベッタの言葉に、アドスは目を細めながらしみじみと同調する。
ルベッタは『ロスティネ商会』の会頭として、アドスは『トルマーク商会』の会頭として、それぞれニルデアの都市が陥とされた翌日には『百合帝国』のユリ女帝宛に、商業ギルド経由で面会を希望する文を送っている。
希望理由は『都市の征服を果たされた百合帝国の女帝に祝賀の品を贈りたい』というもの。面会が叶わない場合には、側近の方などを通してせめて品物だけでも受け取って欲しい、という旨も文には書き記してある。
通常であれば、商人からのこの手の希望を支配者側が拒む理由は無い筈だ。
実際、11年前にエルダード王国がシュレジア公国相手の戦争に勝利し、相手の領土を割譲せしめた折には、全く同じ内容でエルダード王国へ祝賀の品を贈りたいという名目で面会希望を出し、即日で許可されたこともある。
だというのに、今回二人が『百合帝国』に出した希望には、未だに返答がない。
『許可』でも『拒否』でもなく、返答自体が届いていないのだ。
商業ギルド経由で送っている以上は、文自体が届いていないと言うことは無い筈なのだが……。
『―――こんにちは、要衝都市ニルデアにお住まいの皆様』
そんな話をしている最中のことだった。不意に頭の中へ直接聞こえてきた声に、ルベッタとアドスの二人は揃って驚愕の表情を浮かべる。
忘れもしない。1週間前に聞いた『宣戦布告』と全く同じ声だ。
『今から5分後に。えっと―――大体お茶を1杯飲めるぐらいの時間が経った後にですが、都市に居住されている皆様へ幾つかお伝えしたいことが御座います。
今回は少し長めの話になると思いますので、申し訳ありませんが馬車等の運転をされておられる方は一度停車頂き、労働に勤しんでおられる方は一旦作業の手を休めて頂いた上で、ご静聴頂きますようお願い致します。
なお前回の宣戦布告の時からそうだったのですが、原則として15歳以上の方にのみ私の声は聞こえるよう設定してありますので、予めご了承下さい』
「………」
「………」
ルベッタとアドスの二人は、揃って言葉を失う。
いや、二人だけではない。広くて利用者も多い社交室の空間全てが、水を打ったように静まり返っていた。
平民相手に、異常に謙って話す『女帝』の姿勢。
やはり、いとも簡単に都市のほぼ全ての市民相手に同時に語りかける念話。
対象者の年齢に応じて、聞こえるか聞こえないかを設定できるという事実。
そして何より―――ちょうど二人で噂していた『女帝』から、まるで見計らったかのような絶妙なタイミングで念話が届いたということ。
最早、それらのどれに驚いて良いのか、二人とも半ば判らなくなっていた。
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お読み下さりありがとうございました。




