15. ロスティネ商会(前)
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『ロスティネ商会』はエルダード王国、シュレジア公国、ニムン聖国の3つの国家で活動する商会で、初代会頭の手で創業された時よりずっと『求められれば何でも商う』を基本理念に掲げている。
そんな商会なので、取り扱う販売品目は実に多岐に渡る。食料品や衣類のような生活必需品に始まり、医薬品や霊薬、武具や旅具、馬車に馬装具、調度品、塗料、木材や石材、奴隷―――商業ギルドに登録されている商売業種リストを眺めれば、『ロスティネ商会』が手を出していないもののほうが少ないだろう。
手広く商いをしているだけあって『ロスティネ商会』は大手の商会のひとつとして世間には認知されている。少なくとも本拠を置くエルダード王国ではその名を知らない者はおらず、代々会頭を務めているロスティネ家にはエルダード王国の国王より『男爵』の地位も与えられていた。
ルベッタ・ロスティネは『ロスティネ商会』の4代目会頭を務めている。
持ち前の判断力と交渉力を父親に買われ、兄が2人いるにも拘わらず商会と爵位を相続したルベッタは、女性でありながらも会頭職を見事に全うしている。
とりわけ父親がルベッタを高く評価したのは、彼女が持つ『先見性』だ。市場や世相の変化を嗅ぎ取る『嗅覚』に優れるルベッタは、物事の『引き際』を判断する能力が高く、損失を最小限に抑える辣腕を有する。
11年前にエルダード王国がシュレジア公国に宣戦布告し、領土の4分の1を割譲させた戦争はまだ記憶に新しいが。その開戦の気配をいち早く嗅ぎ取り、速やかにシュレジア公国から商会の者を一時撤収させ、戦禍による被害を最小限に食い止めたことは商人の中で一種の偉業として称えられている程だ。
(まさか、こんなことになるなんて……)
―――そんなルベッタ・ロスティネが、今は商館の会頭室で頭を抱えていた。
エルダード王国の中では王都に次いで大きい『要衝都市ニルデア』。ロスティネ商会の本拠はこのニルデアにあり、会頭のルベッタも基本的にはニルデアの商館に滞在し、各地の支店に指示を出していることが多い。
ニルデアに商会の本拠を置いているのは、この都市がエルダード王国の中で最も安全だからだ。好戦的な魔物が多く生息し、時にはレベル30を超える程の魔物が観測されることもある地域にニルデアの都市はあるが、外周全域を取り囲む強固な防壁はそれらの魔物を全く寄せ付けない。
また危険な魔物が多く生息している分、ニルデアを中心に活動する掃討者には高ランクの者が多い。雇用費は多少高く付くものの高ランクの掃討者は総じて雇い主に忠実であり、多少の礼節も備えているため長く付き合うには良い相手だ。
そんな、ルベッタも全面的に信頼していた『安全』な筈のニルデアが、1週間前に『百合帝国』なる国家に陥落させられたのは、正に青天の霹靂だった。
ニルデアのように堅牢な都市を攻め落とすなら、通常であれば1~2ヶ月程度は見込む必要があるだろう。どれだけ迅速に制圧が成されたとしても、少なくとも数週間は掛かって当然というものだが。
だというのに、彼の『百合帝国』なる国家がニルデアの都市を守護する兵士全員を殺戮し、都市全域を制圧するまでには。せいぜい1杯の茶を飲む程度の時間しか掛かっていないというのだから、意味が判らない。
(そもそも、あの『宣戦布告』は一体何だったの……?)
ニルデアが陥とされたその日のことを振り返り、ルベッタは思う。
商館の中で執務をしていたルベッタは、もちろん『百合帝国』が行った宣戦布告の言葉を聞くことになった当事者のひとりでもあった。
『―――こんにちは、要衝都市ニルデアにお住まいの皆様。突然念話を差し上げてしまい申し訳ありません。私は『百合帝国』の主、ユリと申します』
あの時の『宣戦布告』の言葉は、今でも一言一句違わず思い出すことができる。
『百合帝国』の国主を名乗る『ユリ』なる者から発されたその言葉は、ニルデアの都市に住む全市民の頭の中に直接聞こえてきた。
『―――我々の攻撃対象は軍籍の方、および我々の都市征服を邪魔される方。それ以外は原則として攻撃致しませんので、都市内にお住まいの民間人の方はご安心下さい。できれば我々が誤って攻撃してしまわないようお子様と一緒に、家屋内などの安全な場所に避難して頂けますと助かります』
他者の頭の中へ直接語りかける魔術や魔法、魔導具は実在する。
いわゆる『念話』と呼ばれるもので、魔術と魔法のどちらで実現するにせよ、大変高度なものだと聞いている。
念話を使える魔導具ともなれば、それはもう国宝として扱われるレベルであり、実際ニムン聖国が誇る宝物庫には短時間だけながらも、離れた相手との『念話』を可能とする魔導具が収納されていると聞く。
だが、あの宣戦布告の念話は都市の市民全員に届いていた。
1対多の念話を行う魔術や魔法というのは、ルベッタも聞いたことが無い。
しかもニルデアの人口は全部で2万人ぐらい居る筈だ。一度に2万人相手の念話を行える魔術や魔法ともなれば、それが一体どれほど途方も無いものであるかは、魔術や魔法の素人であるルベッタにも想像に難くなかった。
けれど『百合帝国』の国主である『ユリ女王』には。―――いや、帝国の国主であるのだから『ユリ女帝』と呼ぶべきだろうか。ともかく、彼の人物にはそれを為すことができる能力があるようだ。
(そもそも『百合帝国』という国は、一体……?)
3国を股に掛けて商いを行うロスティア商会会頭のルベッタでさえ、その国の名は一度として耳にしたことが無い。……いや、今はニルデアが『百合帝国』の国土となったのだから、結果として3国から4国での活動に増えたことになるが。
ともかく、ルベッタは『百合帝国』なる国家の名を知らず、当然その国家がある場所も把握していない。
何度か商業ギルドの社交室で情報収集をしてみたこともあるが、やはり社交室を利用するどの商会の幹部達にも、彼の国の名を知っている者はいなかった。
そもそも『帝国』と言えば、普通は『ヴォルミシア帝国』のことを指す。
何故ならメキア大陸に『帝国』を名乗る国がその1つだけしか無いからだ。
大陸の外にある国家も考慮するなら、一応『ドルリオン帝国』なる国が存在していることは判っている。もっとも、船で行くにも数ヶ月は掛かる距離にある国家など、本当に存在を知っているだけでしかないが。
メキア大陸内に限れば、ロスティア商会ではかなり正確な地図を作成できている自負がある。それこそエルダード王国の軍部連中が有している地図よりも、正確さという点では上を行くだろう。
大陸内にある国家の位置関係を把握しているのはもちろん、各地に点在する村落がいずれの国家に所属しているかも調査できており、国家間で事実上形成されている『国境線』についても網羅されている程だ。
それ程に正確で情報量の多い地図を有しているからこそ判るのだが―――そもそもメキア大陸内には既存国家にまだ領有されていない土地自体が少なく、現在の地図に記載されている国とは別に、『帝国』を名乗れるほどの国土を持つ国が存在しているとは思えなかった。
一応、どこの国家にも帰属しない大型の土地も無いではない。『魔の大森林』がその最たる例で、広大な彼の森には凶悪な魔物が多く生息するため、どこの国家も手を出せずにいるからだ。
とはいえ『魔の大森林』は土地だけは広大なものの、エルフやドワーフの村落が幾つか点在している程度なので、土地に住む人口自体は少ない。例えその全域を支配していようとも『帝国』を標榜するには些か無理があるだろう。
「駄目ね。色々考えても何も判らない。情報が全く足りてない……」
誰にともなく愚痴を漏らしながら、ルベッタは嘆息する。
推測というのは、断片的にでも良いので複数の情報を得ている事項に対して巡らすから意味があるのだ。
彼の『百合帝国』のように、本当に何も判っていない相手に幾ら思考を巡らそうとも、それは結局のところ憶測にしかならない。
少し迷った後、ルベッタは執務机の端に置かれた呼鐘を鳴らす。
情報を手に入れようと思うなら、やはり商業ギルドに行くのが一番だろう。
もっとも―――この一週間通い詰めているにも拘わらず、何の情報も得られていない時点で、今日もさして期待はできないだろうが。
「会頭、いかがなさいましたか」
「商業ギルドに向かいます。馬車を用意させて頂戴」
呼鐘に応じて会頭室へ入って来た侍女に、ルベッタは端的にそう命令する。
「畏まりました。既に準備はさせておりますので、いつでも出発できます」
「そう。判ったわ」
手回しの良い侍女の言葉に、内心でルベッタは溜息を吐く。
1週間続けて毎日商業ギルドへ行っていれば、どうせ今日も行くのだろうと侍女に推察されるのも、あまりに当然のことではあった。
*
(彼の『百合帝国』の一番恐ろしい所は、都市に平穏が保たれていることだ)
商業ギルドへの移動中、馬車に取り付けられた小窓からニルデアの市街を眺めながら、ルベッタは静かにそう思う。
戦争の惨禍にあった都市というのは、得てして惨めな状況に陥るものだ。
建物や防壁は破壊され、侵攻側と防衛側の双方に多くの死者が出た上で、しかも死体はその辺に捨て置かれる。当然治安は急速に悪化の一途を辿り、暴力や略奪が街中の至る所で見られるようになる。
占領軍がその多くを徴発するため食べ物や生活必需品の価格は急騰し、街路には食べ物を求める乞食が溢れる。けれども、市民の誰にも己の持つ食料や財貨を他者に与える余裕は無い。結果、乞食は最後まで食べ物を乞いながら街路の隅で果て、およそ人のものとは思えぬほど痩せ細った死体を曝すことになる。
―――それが、普通だ。少なくともルベッタは今までそう思ってきた。
だが、ニルデアの現状はルベッタが知るそれとは全くそぐわない。
まず『百合帝国』の軍隊は、都市への破壊行動を一切行わなかった。
ニルデアの都市が誇る堅牢な防壁は、今もその形を完璧な姿で留めている。当然魔物の脅威は今も防壁が全て押し留めており、内側にいれば安全が確保される。
建物もそうだ。都市のシンボルである領主館も、警邏が利用していた詰所も、商店も、民家も。そのどれもが全く侵攻時に破壊を受けることはなかった。
但し、一方で戦争らしく『殺戮』は行われたようだ。ニルデアで軍属に就いていた者の全員が『百合帝国』により殺されたことが遺族の報告により判っており、死者の総数はおよそ2千人程度ではないかと言われている。
……多分に推測が混じっているのは、殺戮が行われたにも拘わらず、肝心の『死体』を見た者が誰も居ないからだ。
一体どんな魔法を使ったのか、『百合帝国』はニルデアの防備に就いていた兵士達の全員を、まるで『消す』かのように殺害している。
遺品は速やかに遺族へ届けられたが、死体が届けられることは無かったそうだ。街中にも殺戮が実行された痕跡は全く見られず、街路や路地のどこにも血糊に汚されたような場所は無い。
―――戦争自体が本当にあったのか?
市民の多くがそれ自体に疑いを抱かずにはいられない程、このニルデアには『戦争』が行われた痕跡がない。
もちろん市民は全員が『宣戦布告』を聞いているのだから、戦争が実際にあったことであるとは、判っている筈だ。
ただ、市民の誰もがそれを全く体感できていない。
まるで交渉により、ニルデアの都市が平和的に他者の手へ譲り渡されたかのようにさえ感じている。
結局の所、市民の大半にとっては『統治者が誰であるか』など些細な問題だ。
税を納める相手が『エルダード王国』であろうと『百合帝国』であろうと、彼らにとってはどうでも良い話でしかない。もちろん税の徴収量が変わったり、賦役が追加されたりすれば話は別だろうが。
『百合帝国』はニルデアの都市を占領したあとに、都市にある商会や市民から、金や食料を徴発するようなことを一切行わなかった。
だから占領前に較べて市民の生活にも全く変化は生じていない。食料価格は据え置かれたままだし、市民の懐にも通常通りの余裕がある。
そんな状況なので、侵攻が行われたにも拘わらず、市民の多くは『百合帝国』に対して別に悪感情も持っていない。
もちろん稼ぎ頭を殺された、軍関係者の遺族は別だが。それ以外の市民にとっては『百合帝国』を恨むような理由も別に無いのだ。
むしろ『宣戦布告』の念話の中で、丁寧で腰の低い言葉を用いて語りかけてくれたことや、安全の為に家屋の中へ避難しておくよう促してくれたことから、市民の中には『百合帝国』に好感を抱く者さえ少なくはないと聞く。
侵略を受けた都市の住民が侵略者側の肩を持つなど、最早意味が判らない……。
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お読み下さりありがとうございました。




