141. ユベル・レイピア(前)
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全部で6つもの『迷宮地』を擁することから、『迷都』の愛称で市民から親しまれるユリシスの都市は、北部の『観光区画』に限って言えば『湖都』という愛称もよく用いられている。
言うまでもなく、その全域が湖で覆われていることから付けられた愛称だ。気温と水温が共に一定に保たれているため、季節を問わずに泳ぎを楽しむことができる『観光区画』には、現在も多くの貴族や富豪が滞在していた。
同盟を結んでいることもあり、やはり滞在者にはニムン聖国やシュレジア公国に籍を持つ貴族や富豪が多いのだけれど。中にはそれ以外の第三国から来訪し、滞在している者も少なからず存在している。
レイピア王国の第一王女である『ユベル・レイピア』もその1人だ。
『転移門』の利用記録を調べてみたところ、ユベルとその護衛の騎士達がユリシスの『観光区画』へと来訪したのは、昨年の『冬月9日』のことらしい。
ユリシスが稼働を開始したのが昨年の『冬月1日』のことなので、都市の利用が解放された1週間後にはもう、ユベルは来訪していたことになる。
それから2ヶ月、つまり半年近くに渡って滞在してくれているというのだから、完全に『観光区画』にとって彼女達は『上客』と言って良いだろう。
政庁の記録も参照してみたところ、ユベルは『観光区画』の中でも最高級のホテル『ユリシス・バタフライ』、そこにツインルームを4部屋を借りてずっと滞在しているようだ。
部屋数が多いのは、護衛の騎士も一緒に滞在しているからだろう。
「これは―――ようこそお越し下さいました、ユリ陛下。本日はご宿泊ですか?」
豪奢なホテルの建物内に入り、受付へと移動すると。窓口に立っていたスーツ姿の美しい女性が、すぐにそう声を掛けて来た。
……確か、一度会ったことのある女性だ。僅かに記憶に引っかかるものがある。
ユリは原則として、1度でも会話を交わしたことのある女性の姿は忘れない性分なのだけれど―――彼女のことは不思議と、上手く思い出せなかった。
確か……『ヘイズ商会』の幹部女性の1人だっただろうか?
「見覚えがある顔ね。以前会った時には、もっと老けていたのではないかしら?」
「はい。お陰様で、すっかり若々しさを取り戻すことができました」
そう告げて、窓口の女性は深々とユリに頭を下げてみせた。
『変若水』を服用して若返れば、当然ながら容貌もまた変わることになる。若返る前の姿しか見たことが無かったから、上手く思い出すことが出来なかったのだろう。
「会頭から、もしユリ陛下が宿泊に来た場合には、無償で一番良い部屋をご用意するようにと指示を受けておりますが」
「ああ―――いえ、今日は泊まりに来たわけではないのよ。少し、ここに宿泊している客に用事があってね。呼び出して貰えるかしら?」
「承知致しました。部屋の番号か、お客様の名前は判りますでしょうか?」
「ええ、どちらも把握しているわ」
受付窓口の女性に呼び出しを頼み、ロビーで紅茶を飲みながら待つ。
すると5分と経たないうちに、姿勢がピンと伸びた、いかにも騎士といった佇まいの女性がユリの近くにやってきて。ユリの姿を見確かめたあと、即座に跪いた。
どうやら彼女は、国主であるユリの姿を知っているらしい。
……まあ、この国に滞在していれば、毎日のように『放送』を目にする機会があるわけだから。ここではユリの姿を知らない人のほうが珍しいだろうけれど。
「あなたは……。ユベル王女の護衛の騎士かしら?」
「はっ。レイピア王国にて男爵の地位を賜っております、近衛騎士のヘネス・クレマーと申します」
ただの騎士かと思っていたが、どうやら爵位持ちらしい。
彼女が腰に下げている剣からは、僅かだが魔力の気配が感じられる。なるほど、魔法武器を帯剣しているというのは、普通の騎士には有り得ないことだろう。
「百合帝国の女帝をしている、ユリよ。……もしかして何か、ユベル王女の都合が悪いタイミングで来てしまったのかしら?」
国主直々の呼び出しがあれば、普通は本人が出向くところだろう。
なのに本人ではなく近衛騎士が来るというのは、何か事情がありそうに思えた。
「申し訳ありませんが、姫様は昨晩から風邪を患っておりまして……。万が一にもユリ陛下に感染されては大変ですので、神殿から治療師を派遣して貰うまでの間、面会はお待ち頂けませんでしょうか」
「ああ―――なるほど。別に私と会うにあたって、ユベル王女自身の都合が悪いわけでは無いのね?」
「はい。姫様は自室で静養されておりますし、目も覚まされておられます」
「それなら気にしなくて良いわ。私に疾病の類が感染することは絶対に無いから、案内して貰えるかしら?」
「……よろしいのですか?」
「ええ。何かあっても絶対にそちらの責任にはしないと、確約するわ」
「し、承知致しました。それではご案内致します」
近衛騎士のヘネスに先導されながら歩き、ホテルのロビーを抜ける。
昇降機を利用して7階へと移動し、そこから更に廊下を歩く。
ちなみにユリシスの都市内で『昇降機』がある唯一の建物が、この『ユリシス・バタフライ』のホテルだ。
ヘネスはある一室の前で立ち止まり、ユリの側を振り返った。
「申し訳ありません、ユリ陛下。いま少しお待ち頂いても―――」
「ええ、承知しているわ。急に来てしまったのはこちらの側。ユベル王女にも色々と準備があるでしょうから、気兼ねなくゆっくり時間を掛けて頂戴」
「ご厚意に感謝致します。それでは、一旦失礼致します」
深々と頭を下げた後に、ヘネスは部屋の中へと入っていった。
ユリは廊下に佇み、窓の外を眺めながら『ギルドチャット』で語りかけた。
「―――セラ、少し良いかしら」
『睡蓮』隊長のセラに話しかけると、3秒ほど間があって返答が返ってくる。
『はい、ユリ様。何か私でお役に立てることが御座いますか?』
「今『睡蓮』で手空きの者は居るかしら? 誰か1名を貸して欲しいのだけれど」
『それでしたら確認するまでもなく、私の手が空いております』
「召喚しても構わないかしら?」
『はい、お願い致します』
手早く会話を済ませた後に、ユリは【配下NPC召喚】のスキルを行使して、その場に『睡蓮』隊長のセラを呼び出す。
転移してきたセラはユリの姿を認めると、ぺこりと小さく頭を下げてみせた。
「召喚ありがとうございます、ユリ様。私は何をすれば宜しいでしょうか?」
「来てくれてありがとう、セラ。この後に、この部屋に泊まっているレイピア王国の王女と面会するのだけれど、先方は風邪を引いているようでね。疾病の治療を頼めるかしら?」
「容易なことです。承知致しました」
セラを初めとした『睡蓮』の子達は【完全回復】系の治療魔法を行使できる。
これを用いれば、怪我だろうと疾病だろうと、あらゆるものを全部纏めて治療してしまうことができる。当然ながら『風邪』を鎮めるぐらいは造作もない。
「―――お待たせ致しました、ユリ陛下」
近衛騎士のヘネスが、部屋から出て来てそう告げると同時に。そこにユリ以外の人物が増えていることに気付き、訝しげな表情をしてみせる。
「ヘネス。彼女はセラといって、私の信頼厚き臣下の治療師よ」
「セラと申します。どうぞ宜しくお願い致します」
ユリが紹介する言葉に併せて、セラが深々と頭を下げた。
丁寧な物腰のセラに釣られるように、ヘネスもまた慌てて頭を下げてみせる。
「こ、近衛騎士のヘネス・クレマーと申します。わざわざ治療師の方まで、お呼び頂けますとは―――ありがとうございます、ユリ陛下」
「私が勝手にやっていることなのだから、礼なら結構よ。それで、ユベル王女にはもう会えるのかしら?」
「はい。ただ、ベッドの上での応対となりますことは、何卒ご容赦頂きたく」
「その程度のことも許せぬほど、私は狭量ではないわ」
「有難く存じます。それではご案内致します」
ヘネスに案内されて、ユリ達は部屋の中へと入る。
すると奥にある部屋からすぐに、なんとも辛そうな咳嗽の音が聞こえてきた。
どうやらユベル王女が風邪を召しているというのは、本当らしい。
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