98. 専門販売品
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「『不眠都市』ねえ。別に好きにやればいいんじゃないのかい?」
「あら……。こんなに簡単に賛成して貰えるとは、正直思ってなかったわ」
ソフィアから提案書を受け取ったその日の午後、ユリシスの『観光区画』にある最高級娼館を訪ねたユリが、その主であるオーレンスに相談すると。
ユリの予想に反して、オーレンスはあっさりと『不眠都市』化の計画に賛成の意を示してくれた。オーレンスが『好きにすればいい』と口にする場合、それが概ね『賛成』と同義に解釈して良いということを、ユリは既に知っている。
「商人と言っても色々な者が居てね。変革を嫌い保守的な利益を求める臆病な商人もいれば、変革を好機と捉えて更なる利益を求める強欲な商人も居る。
ヒヒッ……私ゃどちらかというと、後者のババアさね。あんたがこの都市を今後どんな風に変えていきたいのだとしても、好きにすればいいさ。それを利用して、せいぜい私たちは稼がせて貰うよ」
「豪毅なことね。―――身体が若返ったことで、精神まで若返ったのかしら?」
オーレンスは自身のことを『ババア』と言って見せるけれど。今のオーレンスの容姿からは、出逢った当初にあった老いがまるで感じられなくなっている。
どうやらユリが提供している『変若水』は、オーレンスにちゃんと有効活用して貰えているようだ。
「そうだね、それもあるだろうさ。あんたの渡してくれる『若返りの薬』は驚くほど効果覿面だからねえ……。でも私の精神が若返っているって言うなら、それはどちらかというとあんたが持ち込んでくれた『化粧品』のお陰かもしれないね」
「―――ああ、使ってくれているのね?」
「この娼館に勤める娼婦は勿論、『観光区画』の従業員共は全員アレの虜だよ。もちろんそのヌシである私を含めてね。
起床後と寝る前にアレを使うと、老いでカサカサになっていた肌が、嘘みたいに瑞々しく蘇るんだ。そりゃあ精神だって一緒に若返っちまうさね」
「気に入ってくれているのなら、嬉しいわ。開発したルピアも喜ぶでしょう」
実を言えば『化粧品』は、『百合帝国』の中ではそれほど好評ではなかった。
大絶賛したのは、普段火の前で仕事をすることが多い『調理』や『鍛冶』などの生産を行う『竜胆』の子達ぐらいで。他は概ね『あれば使うけれど無くても良い』ぐらいの反応だった。
これは『百合帝国』の皆がゲームキャラクターであり、老いと無縁の存在であるという事が大きいのだろう。
畢竟、化粧品というのは『肌の老化を防ぐ』のと『肌の老化を隠す』のが主目的の物なので、老いることがない子達にとってはメリットを感じにくいのだ。
ユリは毎朝毎晩使っているけれど、それも日本で生活していた時の習慣に倣っているからに過ぎない。本当は同じくゲームキャラクターの身体であり、老いることがないユリの身体にも『化粧品』は不要なものなのだ。
だからこそ、こうしてオーレンスから生の使用感が聞けるのは助かる。
化粧品はまだ『観光区画』で働いているヘイズ商会の人達に個人的に渡しているだけで、一般販売はしていないけれど。
ちょうど今日明日中にでも、まずは『観光区画』の中で先行販売を開始してみようかと、ユリとしては考えていた所なのだ。
ユリはオーレンスと協議して『観光区画』にて販売する『高級化粧品』の価格を決め、それから後日ユリシスの『迷宮区画』とユリタニアで販売する『一般化粧品』の価格も策定する。
「どうせ高くてもみんな買うよ。なら下手に安売りすることはないさ」
「あなたがそう言うなら、そうすべきなのでしょうね」
オーレンスの助言により、一般向けの製品もそれなりに高めの値段設定にした。
現在のユリタニアの景気状態は良好だし、ニムン聖国の都市についても悪くない状況にあるとアルトリウス教皇からは聞いている。
化粧品はそれほど消費が激しいものでもないし、ちょっと高級感がある単価で販売するぐらいのほうが、却って市場に受け容れられるかもしれない。
ちなみに『高級化粧品』の製品は、それはもう文字通り大変に『高級』な値段に設定することになった。
それでも『観光区画』を利用する富豪や貴族が、自身の妻や娘から熱心に強請られれば、財布の紐はどうせ簡単に緩くなることだろう。
「そういえば、娼館の調子はどう?」
「あんた、今この『観光区画』に外部の客がどれだけ来てるか、判ってて言ってるんだろうね?」
「あはっ。ごめんなさい、承知した上で訊いているわ」
ユリシスの都市が一般開放を開始してから既に1週間経っているにも拘わらず、これまで『観光区画』の側へ来てくれた客は、まだ僅か4組しか居ない。
いずれも好奇心旺盛な当主が率先して遊びに来たのに連れられた、といった感じの富豪や貴族の家族客で、人数で言うなら全部で18名になる。
「まあ、この区画へ滞在している4組の客のうちの男性―――つまり、当主と嫡男については、全員この娼館で骨抜きにしてやったけれどね」
「あら怖い」
ヒッヒッと笑うオーレンスに応じるように、ユリもまたくすりと笑う。
好奇心旺盛な当主男性ともなれば、『観光区画』の中で今までに見たこともない程に高級感のある娼館の建物を目にすれば、利用してみたくもなるだろう。
「特に、結構歳のいってるニムン聖国のどっかの貴族当主が、エイレーネのことを気に入ったみたいでね。ここのところ毎晩のように抱きに来ているよ」
「あら……。エイレーネはこの娼館の中でも、確か一番高いわよね?」
「きっちり1晩あたり20万bethを頂戴しているよ。お陰様で開業早々、大いに稼がせて貰っているとも」
「何よ、客が少ないとか言う割に、ちゃんと稼いでいるんじゃないの」
「ヒヒッ。誰も稼げて無いとは言ってないだろう?」
高級娼館は利用単価が高いので、客の総数自体は別に少なくとも問題無い。
重要なのは特定の個人客を、いかに引き込むことができるかだ。
娼婦の手腕ひとつに掛かっていると言っても良いだろう。
「でも毎晩娼館に来るとなると、奥さんは冠を曲げているのではないかしら?」
「貴族の妻ってのは、その程度のことにいちいち目くじらを立てやしないさ。妾を作られることに較べれば、当主が娼館に足繁く通うぐらいは何でも無いからね。
それに―――そこの所は、ちゃんとケアもしているよ」
「……ケア?」
「簡単に言えば、当主がここに来ている時はちゃんと奥方に連絡を入れているし、うちの娼館では『身請け』をやっていないことも説明してあるのさ。身請けが不可能なら、当主が入れ込んだ娼婦が妾として家に来ると言うことも無いから、奥方は安心できるしね。
ついでに言えば、手が余っている娼婦が奥方の元を訪問して、この区画の良さそうな場所へ案内して、一緒に遊んでいたりもするしね。あんたから貰った化粧品も少しばかり融通してやったから、むしろ奥方は娼館通いを喜んでいるぐらいさ」
「あら、まあ。―――客1人のために、そこまで気を回しているの?」
「客単価が高ければ、それだけ客に対して配慮できる余地も増えるってことさね。男が娼館通いをやめる一番の原因は『妻』か『娘』なんだから、そこを上手く障害にならないように折衝しちまえば、ストッパーを失って男は泥沼一直線さ」
「まあ怖い。まるで蟻地獄ね」
「ヒヒッ!」
ユリの反応を見て、オーレンスが心底愉快そうに笑う。
何にしても、経営が最初から好調なのであれば、望ましいことだ。
「そういえば、ユリに言っておきたいことがあってね」
「あら、何かしら?」
「公国から連れてきた『元奴隷』の奴らがユリタニアで職を探しているだろう? あれを60~70人ぐらい、ウチが経営する幾つかの娼館で雇用しちまっても構わないかね?」
「オーレンスにそれを話した記憶が無いのだけれど―――良く知っているわね?」
「情報に明るくなければ、娼館の経営なんて出来ゃしないよ」
ヒヒッと、唇の端を歪ませながらオーレンスは笑ってみせる。
まあ、ユリは『元奴隷』の人達へ特に口止めなどもしていないので、調べるのは別に難しく無いことではある。
ユリが公国の首都デルレーンから『攫って』きた奴隷達のうち、子供は全て新設した孤児院に住まわせ、大人は4ヶ月間だけ生活費を支給する手筈になっている。
生活費が支給される間に、大人達には自力で職を見つけて貰おうというわけだ。
大人の総数は全部で2000人を超えているし、その大半は女性になる。
その一部でも引き受けてくれるなら、施政者であるユリとしては有難い話だ。
「是非ともお願いするわ。もちろん娼婦になる意志を持っていない女性を、無理に娼館へ引き込むような真似をしては駄目よ?」
「安心おし、そんな非効率なことはこっちだって願い下げだよ」
ユリ個人としては、特に娼婦という職業に対して偏見もない。
女性の求職者が急増したことで、ユリタニアの都市はやや『買い手市場』になりつつある。そんな中でヘイズ商会が経営する幾つかの店が、就職先に立候補してくれるのであれば、喜ばしいことだ。
「ただ、どうせならウチで働く娘達にも『役得のある美味しい職場』だと思って欲しいからね。新しく働く子達の手にも回るぐらい、潤沢な『化粧品』の寄付を期待しても構わないかい?」
「ふむ……。どうせならオーレンス、ユリタニアとユリシスでの『化粧品』の販売については、あなたが一手に引き受けてみるつもりはない?」
ユリがそう提案すると、オーレンスは僅かに驚いた表情をしてみせた。
「そりゃあ別に構わないけれど、娼館で販売するってのかい?」
「違うわよ。娼館とは別に、あなたの商会で『化粧品販売店』も経営してみる気はないかって、そう提案しているの」
「……わざわざ化粧品の専門販売店を作れってのかい? 別にルベッタの奴が不在でも、ロスティネ商会の雑貨店に卸せば問題無いと思うんだけどねえ」
「できれば化粧品は、専門店で販売すべき商品なのよ」
現代日本で実際に化粧品を使っていた身として、ユリはそう考える。
確かにオーレンスの言う通り、ルベッタが不在のままでもロスティネ商会の副会頭に声を掛ければ、商品を雑貨店や薬品店などで扱って貰うことは可能だろう。
けれど、ユリとしては化粧品を購入しに来た客のひとりひとりを相手に、手間が掛かることを承知の上で『パッチテスト』を必ず実施して貰い、結果を確認した後に商品を販売するようにして欲しいと思っているのだ。
それを徹底するには―――化粧品を『専門店』のみに卸すのが手っ取り早い。
自分が卸した化粧品が、使用した人の肌をかぶれさせたり、アレルギーを引き起こさせるような。そうしたトラブルは出来れば目にしたくはないから。
ユリがそのことを説くと、オーレンスは納得したように頷いてくれた。
元々、この娼館に高級化粧品を贈った際に『パッチテスト』の必要性については重々説明してあるので、理解は既に得られているのだ。
「確かに、肌を綺麗にするために『化粧品』が欲しいのに、それで肌を荒らされていては溜まったモノじゃないからねえ。
―――ま、あんたがやれって言うのなら、うちの商会で販売を引き受けるぐらいは別に構わないさ。ちゃんと儲かるんだろうね?」
「それについては確実な保証をしてあげるわ」
「ヒヒッ。だったら何の問題も無いね!」
化粧品は購入間隔が長い代わりに高単価な商品なので、購入客のひとりひとりに時間を掛けて応対しても、充分な利益を上げることができる筈だ。
それに―――化粧品を販売するのなら、その商品を実際に使用している女性が、直接商うことが最も望ましいことは言うまでも無い。
娼館経営がメインということもあり、ヘイズ商会の構成員は美の追求に余念がない女性ばかりなので、そう言う意味でも化粧品販売を任せるには最適だろう。
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