第2話『毛利拓郎』
あれ、一匹居ねぇな…。
猫用のドライフードを一粒一粒、窓から小石の様に投げる。
敷地内にはいつも決まった5匹の野良猫がやってくる。今日は珍しく最後まで一匹現れなかった。
「おーいどうした、喧嘩したのかー?」
〝石投げ〟に飽きた俺は餌を盛った皿を外に置き、窓を閉めた。
椅子に座りパソコン作業に戻る。
「はぁぁぁー。進まねぇ」
今年中には終わらせないとコンテストに間に合わない。
小説家を志して10年。
過去に3度賞を取った事はあるけど、どれも銀賞や佳作、良くて特別賞。あと一歩の所で書籍化を逃した。今思えばその中途半端な成績を残した事で諦めきれていない自分が居るんだなと、後悔さえ感じている。
今回の主人公は無口で年老いた爺さん。真上に住んでいる住人を題材にしたサイコサスペンスだ。
ここに越してからまだ一回も上の爺さんと口を聞けていない。こちらから挨拶しても目も見やしない。24時間物音ひとつしない生活。分かっている事は近くの公園で池を眺めたり、俺がバイトをしているスーパーで魚を買ったり…という事だけ。そんな謎に満ちた存在の爺さんだからこそ想像や発想が広がる。
この作品では爺さんを芸術家のサイコキラーにしている。見かけは普通の老人でも実はプロのアート殺人者。部屋では監禁している
〝作品〟達が何人も居て…、という内容で順調にいってたのに昨日の夜から手が進まなくなってしまった。
ネタが思いつかないという訳ではなく……。
毎日、この話を書いていると上の爺さんが本当にサイコキラーに見えてくる、と、本気では思ってないけどストーリーを膨らませる為にそういう目で見る様にしている。
それで作業もスムーズに進んでいたのに余計な事が着想を邪魔してしょうがない。
……上に〝誰か〟が居るのだ。
あんな不愛想な老人が人を招く様には見えないが、急に物音がするようになった。さっきなんか〝ガッシャーン〟と2回も何かが崩れる様な大きな音がした。普通じゃない。流石にその時は倒れて死んだか?と思ったが、その後に聞こえた声で状況がさらに混迷の度を深めた。
〝それ私も同じこと言えますからねー!!〟
……確かにそう聞こえた。
大きな声で天井から伝わる響きだったからあれは上の階、204からだ。
訳が分からない。
声色も爺さんにしては高い気がする。あの部屋には〝誰か〟が居るんだ。
そんな事が今回の〝主人公〟に起きたもんだから作業に集中出来やしない。
明日は朝からバイトだ、今日はもう寝る事にしよう…。
関係ないと思うが昨夜、ほのかな光が窓から見えた。ちょうど2階部分で光ったと思うがあれは何だったのか。タイミング的にはそれからだが……。
また余計な事に思考を使ってしまう。
俺は布団に入った。
翌朝、バイト先のスーパーに向かおうと団地から不外へ出た時に子供の声が聞こえた。
〝あー見てー!大きー!〟と子供の声が聞こえた。
振り向くと2階の玄関前で爺さんと向かいの家族が鉢合わせていた。
俺は咄嗟に目の前にあるチャリ置き場の策の裏側へ隠れた。
見ると5歳くらいの男の子が虫取り網を持っていたのだが、爺さんはその倍くらいの長さの網を持っていた。しかもそれは雑に作られた物で、竿は緑色の細い支柱、網の部分に関しては台所にあるような小さな笊が付けられていた。そして左手にはスーパーのビニール袋…。
その爺さんの異様な姿に後から出て来た親も気まずい雰囲気で出ていく。
あんな物持って何処へ行くんだ…。
下へ降りて来る爺さんはそのまま止まる事なく歩いていく。向かって行った方にはいつも見かける公園がある。恐らくそこへ行くんだろう。昆虫採集でも始めたのか?いや、いつも池を眺めてたな…魚か?亀か?いずれにせよめっちゃ気になる。もしかするとこのままついて行けば204の謎が解けるかもしれない。がしかし、先日遅刻で注意されたばかりのバイトも遅れる事は出来ない。
「んーーー」
俺は爺さんと反対方向へと歩きだした。
一度、この事から離れて頭の中をリセットするのも良いかもしれない。そう思って仕事に向かった。しかしー
……それは逆効果だった。離れたら余計に気になりまったく仕事に集中できない。
まるで恋をしたかの様に何十秒かに一度、爺さんの顔がボンヤリと浮かんでくる。完全に生活に支障をきたしているじゃないか。
小説も進まず、仕事もミスして注意される……。もうやるべき事は一つしかなくなった。
204の中に行く。
明日、上へ行ってみよう。
実際にお爺さんが主人公の話を書いていると言って取材がてら中の様子を覗いに行ってやる。
話は聞けないかもしれないがドアの隙間から少し見るだけでもいい、とりあえずこの穴から抜け出したい。
俺は適当な質問表を作り、明日へ備えた。
しかし一体どんな奴が居るのか。危険な奴だったらどうしよう、詐欺師や取り立て屋が絡んでいる可能性だってある。身内……息子か?それなら喧嘩してあの物音も考えられるが温厚でないのは確かだ。何にせよ、心して 向かわないといけない。何か防衛する物を…。
そんな事ばかり考えていたら、全然寝付けないまま朝を迎えた。だが爺の呪縛から解き放れる事を考えたら寝不足なんてどうでもいい。
朝日が見えて、寝たのか寝てないのか分からない状態で暫くボーっとして、10時を回ったところで俺は部屋を出た。
改めて郵便ポストを見て名前を確認する。
「〝大山〟だな」
そして204へと向かい、居る事を願ってインターホンを押した。
〝ピンポーン〟
「……」
暫く待ったが反応は無い。
あの爺さんの事だ、居ても出て来ないのは想定内だ。ましてや誰だか分からなかったら余計に出て来やしないだろう。
「大山さんー、下の毛利ですー。こんにちはー」
反応は無い。
俺もここまで来たんだ、簡単には諦められない。
扉を〝トントントン〟とノックし話しかけ続ける。
「大山さん居ますか?下の104に住んでる毛利ですー。突然すいませんー。ちょっとお話聞きたくてですねー……」
反応は無い。
俺は次の作戦に出た。
一度、扉から離れて階段の所で待つ事にした。
「……マジで居ないのかな」
1分程待ったが反応は無かった。
はぁ、また明日か…。
そう思った時だった。
〝カチャ〟っと音がした。
……居た。
やっぱり居た。
扉がゆっくりと開き始める。
俺はそれを確認し、また204の前へと向かった。
「お、大山さん?すいません下の毛利拓郎と申します」
爺さんが〝やられた〟と言わんばかりに俺をチェーン越しに睨んでくる。
「……なんだ」
「あの、ちょっとですね、お話をー」
「なんのだ」
「えーとー、私、小説を書いてまして、それでーちょっと取材といいますか、いくつかー」
「小説家か?」
「あー、んまぁはい」
扉の隙間から中を覗こうとしたがダイニングに繋がる所に長い暖簾が掛けられていて見えない。
「毛利…、聞いた事ない。帰ってくれ」
扉が閉まりかけるが両手を隙間に入れ込む。
「あいや、これから売れるんです!……の予定です。ですので、ちょっとで構いません!少しお話を聞きたいんです!」
こんなに必死で人に頼み事するのは初めてかもしれない。自分でもどうかしてると思う。だがここまで自分を突き動かす何かを今、この爺さんは持っている。
「何でわしなんだ?」
「今、題材にしているのが大山さんみたいなキャラクターで、そのー、生活習慣とかも聞きたいと思いまして」
「そうか、断る」
再び扉を閉めようとするがまた手を入れる。
「ちゃんとギャラは払います!」
「……何だ?ギャラって?」
「取材料です、お金です」
爺さんは表情一つ変えず俺を見ている。
「……いらん」
ダメか……、なんて頑固な爺なんだ。
「お金はいらん」
「……え?」
「ちょっと待ってろ」
そう言って扉が閉まった。
……ちょっと待ってろ?なんだ、急に風向きが変わったぞ。もしかしたら中に入れるかもしれない。
少ししてまた扉が開く。
まだチェーンは掛けられたままだ。
「……すぐそばに公園があるだろう?」と部屋の中から声が聞こえる。
「公園?はい」
扉の隙間からビニール袋を握った爺さんの腕が出てくる。
「ミドリガメは知ってるか?」
「ミドリガメ…はい」
「取って来れるか?」
お金じゃなくて、……亀?よくわからないが取り敢えず「…はい」と返事をする。
「出来れば二匹以上。他の生き物は取らなくていい。しかし外来種だったら歓迎だ」
「外来種?え、どういう事です?」
扉が閉まる。
……なんだ、亀好きの爺さんか。それで中に入れてくれるならいくらでも取って来てやる。いつも池を眺めていたのはそういう事だったのか。しかし〝外来種なら〟って何の事だろうか……。ミドリガメってー。
携帯で調べてみるとミドリガメも別名アカミミガメという要注意外来生物に指定された立派な外来種だった。
「へー」
ふと、扉を見るといつの間にか扉が開いていて、爺さんが覗いていた。
「うわっ、え、はい?」
「生きたままな」
扉が閉まる。
……余計な事は考えず、俺は公園の池へと向かった。
その公園の池には確かにミドリガメが沢山いる。その他にも色違いのカモや種類の分からない魚等、様々な生き物がいるが、どれが外来種でどれが在来種か検討つかない。
「ミドリガメでいいか」
ちょっと待てよ……素手で取るのか?爺さんからあの不細工な掬い網…いや、笊でも借りればよかったな。
普段からランニング中の人や散歩している人が数人通るだけの公園なので人目を気にせず池に近づけた。
亀が意外と近くに居ない…。
団地に戻って来た頃には一時間程経っていた。靴は泥と水でグチョグチョ、持っているビニール袋の中には大、中、小と三匹の〝アカミミガメ〟がガサガサと蠢いている。
〝ピンポーン〟とインターホンを押す。
ガチャっと扉が開き、チェーンの上から爺さんが顔を出す。
「持ってきましたよ、アカミミガメいや、ミシシッピアカミミガメ通称ミドリガメ」
「…‥」
袋を手に取り中身を確認する爺さん。
「……ちょっと待ってろ」
またそう言って爺さんは扉を閉め、中へ入って行った。
1分程経った頃だろうか。〝カチャカチャッ〟とチェーンを外す音が聞こえる。
「おっ?」
ついに中に入れるのか?
……しかし扉は開く様子は無い。
これはー……、入って良いって事だよな?
俺は恐る恐る取っ手を回し、扉を開けた。
「お、お邪魔しますぅー」
玄関は至って普通だった。爺さんの靴が一足置かれ、靴箱の上には小さなオブジェがあったが、亀ではなく、金魚だった。
「おい、これで拭くといい」
暖簾から爺さんが顔を出し、タオルを差し出して来た。
「あ、ありがとうございます」
靴を脱ぎ、汚れた足を拭いていく。白いタオルがあっという間に茶色いタオルに変わってしまった。
「あの、すいませんタオルこんなになっちゃって」
「あげる」
「え、あ、はい、ありがとうございます…」
「トイレ壊れてるから…入らないでくれ」
「トイレ…はい」
爺さんはキッチンの方へと向かった。
「……」
玄関を入って直ぐ左にも部屋があるのだがそこには布団一枚が敷かれ、人が居る気配は感じられない。
という事はこの右の暖簾を潜れば、全てが分かるに違いない。誰が居るのか…、若しくはここ数日の異変の手がかりが分かるはずだ。
「失礼しますぅー」
暖簾を通ると……、キッチンがあり、ダイニングテーブルが置かれ、リビングにはソファとテレビ、棚には何だか難しそうな沢山の本、とよくわからない置物など、そしてブクブクとエアーポンプが動いている水槽の中には金魚が4匹泳いでいた。
…特に変わった様子は感じられず、爺さん以外に誰も居なかった。
「おい、何してる?」
ダイニングテーブルに着いている爺さんが俺を見ていた。
「あ、すいません」と自分も椅子に座る。
「手短に頼む」
「今日はーご協力して下さり、ありが―」
「そんな事はいいから、始めてくれ」
「……はい、では最初に、大山さんは今おいくつでしょうか?」
「76だ」
「76、凄い、全然見えないですね、てっきりー」
「そういうのはいいから、続けてくれ」
「はいすいません。えーとーご家族は?」
「倅が一人」
「失礼ですが、奥様は?」
「一年くらい前に死んだ」
「……そうですか、すいません。それからは此処で一人暮らしをー」
「その前から別居していた。……もういいか?」
「あ、すいませんもうちょっとですので、あのー、普段はどのような生活をされているのですか?」
「どのような?」
「えーとー、朝起きてから夜寝るまで」
「……」
爺さんは少し視線を逸らし、何か考えている様子が見えた。
「下に住んでいてお目にかける事も少ないので」
「なんの調査だ?」
「いえあの、純粋に今書いてる小説の資料にしたいと思いまして」
「……朝起きて、ご飯を食べて、たまに散歩して、本を読んで、ご飯を買って、ご飯を食べて、テレビを見て、終わりだ」
「お友達なんかはここに来たりしないんですか?」
「しない」
もう一度部屋を見渡した時、ある事に気が付いた。
……亀は何処だ?
さっき苦労して取って来た亀が見当たらない。奥の布団が敷かれた部屋で飼っているのだろうか。
「もういいだろう」
「あ、では最後に、さっきの〝亀〟はどうされるんです?」
その時だった。
〝亀!そうだ亀だっ!〟
あまりに突然の事で逆に反応が出来なかった。確実にトイレから大きな声でそう聞こえた。
「……」
「……」
俺も爺さんも無言になり、一気に静寂な部屋になった。
あの声は、一昨日聞こえてきた声に違いなかった。この爺さんはやっぱり〝何か〟を隠していやがる。この取材の本当の主題部分に触れるのは危険な空気も漂っていたが、こんな事が起きては俺も聞かずにはいれない……。
「……あの、誰か居ますか」
「倅だ」
「……え?」
「言っただろ?トイレが壊れててな、直してもらってるんだ。おい?どうだ?」
〝父上!トイレの故障はとても深刻だよ!〟
また大きな声でトイレから聞こえてくる。
「ち…ちちうえ、って呼んでるんですか…?」
「……そうだ」
〝難しいねーこれは!大変だよ!ちょっと亀持ってきてよ!〟
「毛利君、もう帰ってくれんか?疲れた」
「は、はい」
何からどう考えていいか分からない…。俺は静かに204を出た。
誰かが居たのは分かった。喋りからして多分外国人かと思われる。……にしてもおかしい、特に最後の〝亀持ってきてよ〟って何だ?なぜ爺さんは彼を隠す?
中途半端な結果に終わった事で余計にしこりが残ってしまった。
大山め、また絶対に行ってやるからな……。




