そのよん
「キャオラー!」
掛け声の直後、強烈な延髄斬りが炸裂しました。これは、飛び上がると同時に相手の延髄に蹴りを叩き込む技です。アントンは、この技で多くの敵を沈めて来ました。
その必殺技をまともに喰らっては、ひとたまりもありません。シンは、ばたりと倒れました。途端に、観客はどっと沸きます。
さらに、レフェリーのタカハシがカウントを数えます。十数えるまでに立ち上がれなければ、彼女の敗北が決まるのです。
「一! 二! 三──」
「ま、まだだよ……」
地の底から響くような声とともに、シンは立ち上がりました。アントンの強烈な技を立て続けにくらい、体力はとっくに底を尽いております。もはや闘うことなど出来ません。
にもかかわらず、シンはなおも立ち向かって行きます。
たったひとりの、少年のために──
「まだ来るのかコノヤロー、だったら、腕を折ってやるぞコノヤロー!」
アントンは、シンの腕を掴みました。さらに、アームブリーカーの体勢を取ります。
「折るぞコノヤロー!」
「折ってみろ!」
苦痛に顔を歪めながら、シンは怒鳴り返しました。腕を折られたとしても、この男に屈することは出来ないのです。
「じゃあ、折ってやるぞ!」
アントンが吠えた時でした。突然、彼の手が外れたのです。と同時に、シンの体は倒れこみました。
いったい何が起きたのでしょうか。シンは顔を上げ、辺りを見回しました。すると、想定外の光景があったのです。
リング上には、奇妙な男がアントンと向かい合っています。背は小さく、細マッチョな体型でした。見事な体つきではありますが、アントンとでは体格差がありすぎです。彼のナックルパートを食らったら、ひとたまりもないでしよう。
さらに、その男は奇妙な仮面を被っていました。虎にも似た、奇妙な動物を象った仮面……しかし、その額には不思議な形の宝石が付いていました。蜘蛛のような形をした、褐色に光る宝石です。
仮面の男は、静かな口調で語りました。
「行く手にどんな強大な障害が待ち受けていようとも、愛する者のためならば、己の命を懸けて立ち向かう……人、それを漢という」
観客たちは激怒しました。シンの腕が折れるかもしれなかったのに……一斉に、この新たな乱入者に罵声を浴びせました。
「お前誰だ!」
「引っ込めチビ!」
「コスプレ会場じゃねえんだぞ!」
「さっさと消えろ!」
すると、仮面の男は怒鳴ります。
「お前たちに名乗る名はない!」
その声に、観客は静まり返りました。しかし、リングで向かい合っているアントンは、違う反応をしていました。彼は、満足げに微笑みます。
「ウエンツさま、私は嬉しゅうございます。あなたこそ、そのライガーの仮面に相応しい人だと思っていました」
そうなんです。今、リングに立っているのはウエンツ王子でした。彼が被っているのは……伝説の魔人『ライガー・ソゼ』の姿を模した仮面です。額に輝く蜘蛛のような形の宝石「アシダカの星」は、誰にも負けない強さのしるしなのです。仮面を被った者に、最強の力を与える……それこそが、王国に代々伝わる伝説です。
もっとも、この仮面を被るには、ひとつの条件がありました。所有者として相応しい……と仮面から認められた者のみが、装着を許されるのです。そうでない者は、仮面に触れることすら出来ません。今まで、多くの勇者が仮面を手にしましたが、被ることはかないませんでした。結果、国王の宝物殿に封印されていたのです。
しかし今、ウエンツ王子が仮面を被りました──
当のウエンツは、アントンを無視してシンの方へと向かいます。唖然としている彼女の前に、恭しい態度でひざまずきました。
「シンさん、僕は……あなたが好きです! 心から愛しています! だから僕は、あなたに一生付いて行きます! 王子の地位など、今すぐゴミ箱に捨てても構いません!」
「は、はあ! なななな何を言ってんだよ!」
シンは、それまでのダメージも忘れて怒鳴り付けます。もちろん彼女は、目の前にいる仮面の男がウエンツであることは気づいています。しかし、まさかこんな場所で告白されるとは……。
その時、アントンが近づいてきました。
「お二人とも、いちゃつくのは俺を倒してからにしてもらいましょうか。伝説の魔人であるライガー・ソゼの力を得た者を倒せば……俺こそが最強だ!」
吠えた直後、アントンは身構え手招きします。
「勝負だ! コノヤロー!」
それを見たウエンツ……いや、ライガー仮面は、すっと立ち上がりました。
アントンの前に立ち、身構えます。
「来い! 相手になってやる!」
直後、アントンは猛然と襲いかかりました。強烈なナックルパートの連打を放ちます。
一撃必倒の拳が、土砂降りの雨のような勢いでライガーに降り注ぎます。その数たるや、一秒間に十六連打はあるでしょう。小柄なライガーがその拳を一発でも喰らえば、その瞬間に勝負は決していたはずでした。
しかし、驚くべきことが起きました。ライガーは、その全てを躱してのけたのです。アントンの矢のように速い拳の連打を、ライガーは華麗なるステップで避けました──
「こ、こんなことが……」
呆然と呟くアントンに、ライガーは怒鳴りました。
「これが、ライガー・ステップ……ライガー百の秘技のひとつだ。だが、まだ終わりじゃないぞ! 音速を超えた戦いを見せてやる!」
直後、ライガーは恐ろしい速さで走り出します──
「おい! なんだあれ!」
「ライガーが、何人もいるぞ!」
「どういうことだ!」
観客たちは、わけがわからず叫びました。リングで走っているライガーの体が、いきなり分裂し始めたのです。三人、四人……その数は、どんどん増えていきます。
「これが、秘技・マッハスペシャルだ!」
そう、ライガーの速度は音速を超えていたのです。肉眼では捉えることの出来ない速さで動き、時おり急停止する……その繰り返しが、残像を生み出していたのでした。
さすがのアントンも、ただただ呆然となっています。しかし、すぐに我に返りました。
「分身だと……上等だコノヤロー!」
喚くと同時に、アントンは目をつぶりました。目による情報に惑わされまいとしたのです。幾多の戦いをくぐり抜けて鍛えられた己の五感なら、残像と本体とを区別できるはず……とっさに、そう判断したのです。
しかし、それは無駄でした。アントンの五感は、残像であるはずのものを、本体であると伝えてきているのです。
「こ、これは……質量を持った残像だとでもいうのか!」
喚くと同時に、アントンは目を開けました。その瞬間、ライガーが間合いを詰めました。
「ライガーキック!」
ライガーの飛び膝蹴りが、アントンのアゴに炸裂しました。アントンの巨体が、リングの端まで飛んでいきます──
一方、ライガーはシンに近づいて行きました。彼女の手を取りそっと立ち上がらせます。
「さあ、最後の仕上げですよ」
「ああ、そうだね」
シンは頷きました。決着は、自身の手で付けなくてはならないのです。闘気をみなぎらせ、倒れているアントンを睨んだ時でした。
「二人の、最初の共同作業ですね」
嬉しそうに言ったライガー……シンは、反射的に彼の頭をはたいていました。
「バ、バカ言うんじゃないよ!」
直後、二人はアントンを睨みます。
「「二人のこの手が、真っ赤に燃える!」」
「幸せ掴めと!」
「轟き叫ぶ!」
二人の声が、リングに響き渡ります。しかし、息を吹き返したアントンが突進して来ました。
「幸せ掴むのは、俺を倒してからだコノヤロー!」
吠えた直後、シンめがけナックルパートを放ちます。
シンは、身を沈めて躱しました。と同時に、タックルを放ち組み付きます。さらに背後に回り、アントンを肩車の状態で担ぎ上げました。
直後、ライガーが跳躍します。アントンの首めがけ、ラリアートをぶち込みました。
次の瞬間、シンがバックドロップを食らわします──
アントンは、マットに後頭部を強打しました。
「これは……伝説の英雄ヘル・ウォーリアーズの合体技、ダブル・インパクト……見事でしたぞ、王子。このアントン、嬉しゅうございます」
そう言い残し、アントンは気を失いました。
ライガーは、シンの手を握りました。シンも、照れくさそうにしながらも握り返します。
二人してリングを降り、会場を出て行こうとしました。が、シンは途中で足を止めました。彼女の目の前には、先ほどの少年がいます。シンはしゃがみ込むと、ニッコリ微笑みました。
「さっきも言った通り、世の中は残酷なんだよ。正しい方が負けることもある……いや、むしろそっちの方が多いのさ。でもね、こういう奇跡が起こることもある。だからこそ、今を全力で生きるんだ。わかったね」
そう言うと、シンとライガーはふたたび歩き出します。が、アントンがまたしても起き上がりました。
そして、リングの上から叫びます。
「皆さん! 愛し合ってますか!」
観客は皆、唖然としています。この男は、何を言い出すのだろうかと。しかし、アントンは構わず言葉を続けます。
「愛さえあれば、何でも出来る! どんな障害でも乗り越えられる! 若き二人の門出を祝して……行くぞ! イチ! ニイ! サンダー!」
・・・
その後、この大陸には……ライガー仮面と、ライガー・ゼット・シンという二人組のヒーローが出現するようになりました。弱き者、正しき者の味方として、多くの人々から称えられたということです。




