そのいち
むかしむかしのお話です。
ある街に、シン・デレラという女の子がいました。シンは、とても美しい顔をしています。
しかし、とても残念なことがありました。シンは、恐ろしいくらい喧嘩が強かったのです。背は同じ年頃の若者よりも高く、体つきもがっちりしています。その腕力たるや、大の男が数人がかりで束になっても敵わないくらいです。
さらに、そのファッションセンスも無茶苦茶でした。頭には布を巻き付け、美しい髪を全て隠しています。また、出歩く時には抜き身のサーベルを常に持ち歩いているのです。しかも、ただ持ち歩くだけではありません。サーベルの刃の部分を口にくわえ、恐ろしい形相で街を歩くのです。
そんなシンは、街のみんなから恐れられていました。彼女の姿を見るや否や、すぐに目を逸らし見ないようにします。目が合ったが最後、何をされるかわかりませんから。
そう、シンは街でも一番の悪役でした。名ばかりの悪役令嬢とは違う、本物のヒールです。
ある日、シンは街を歩いていました。すると、幼い子供が路地裏から飛び出して来ました。子供は全速力で走りましたが、道の真ん中ですっ転びました。
「うええん! いだいよう!」
子供は、すりむいた膝を押さえて泣いています。シンは、じろりと子供を睨みましたが、そのまま無視して通りすぎようとしました。
ところが、そこに一台の馬車が走って来ました。とんでもないスピードです。このままでは、子供は馬の蹄で踏み潰されてしまうでしょう──
その時、シンは動きました。サーベルをくわえたまま、稲妻のごとき速さで移動します。子供の襟首を掴み、ぱっと道の端へと飛び退きました。
馬車は、二人を無視して猛スピードで走って行きます。子供は何が起きたのかとっさに把握できず、ぶるぶる震えていました。
一方、シンは鬼のごとき形相で子供を降ろしました。
直後、サーベルを振り上げ怒鳴りつけます。
「てめえ! 危ねえだろうがクソバカ! 死にてえのか! 道路の真ん中で泣いてんじゃねえ! わかったか!?」
子供は恐怖のあまり、泣きながらウンウンと頷きました。傍から見れば、サーベルを持ったデカくてゴツいヤンキー女が、いたいけな少年をイジメているようにしか見えないでしょう。
案の定、通りかかった女たちが、顔をしかめてヒソヒソと会話をしています。
「なんて下品な女なのかしら」
「見てよ、あの格好。センスの欠片もない」
「小さな子をイジメるなんて、人間のクズね」
「あんな悪い女、いつか天罰が下ればいいのに」
だが、シンはそんな陰口など気にもしません。子供を叱りつけた後、女たちを睨みながら帰っていきます。
シンは、まさに本物の悪役でした。
また別の日のことです。シンは、いつものごとくサーベルをくわえて街を闊歩していました。
やがて、彼女は貧しい人たちの住む地区へと足を踏み入れました。すると、黒人の子供がイジメられていたのです。
「おいコラ! ここから先はな、お前ら黒人が入っちゃいけねえ場所なんだよ!」
小さな子供を取り囲み、怒鳴りつけているのは、数人の白人の若者でした。彼らとて、裕福な生まれではありません。むしろ、貧乏な家の者たちです。にもかかわらず、さらに弱い立場の黒人の子供たちをいたぶる……貧民たちの間では、珍しくない光景です。
それを見ていたシンは、ずかずか大股で近づいて行きました。彼女は、サーベルを振り上げます──
次の瞬間、柄の部分でひとりの若者をぶん殴りました。刃の部分ではなく、柄の部分で殴ったのです。大事なことなので、二回書きました。
殴られた若者は、顔を押さえてうずくまりました。一方、シンの猛攻は続きます。手近な若者の喉を掴み、片手で軽々と持ち上げました。シンの得意技、コブラクローです。
「ぐ、ぐるじい……だずげで」
吊された若者は、手足をバタバタさせ、必死でもがきます。シンは、その若者を片手で放り投げました。
さらに、残った若者たちを睨みつけます。
「次は、誰が相手だ?」
もちろん、シンの相手をしたがる若者などいません。彼らは、慌てて逃げて行きました。
若者たちの逃げて行くのを確かめた後、シンは子供を見下ろしました。子供は、ぶるぶる震えています……当然でしょう。シンの悪名は、黒人たちの間でも知れ渡っていますから。
「お前、いつまでしゃがみ込んでるんだ? さっさと家に帰れ」
シンは、子供に言いました。近くでよく見れば、その黒人は女の子です。しゃがみ込んだまま、泣きながら首をブンブン振っています。なぜか、立ち上がろうとしません。
どうしたのだろうか……と、シンもしゃがみました。その時、ようやく事態を把握します。
女の子は、おしっこを漏らしていたのです。若者たちへの恐怖のせいか、あるいはシンへの恐怖ゆえでしょうか……スカートには目立つ染みが付いており、地面も濡れていました。
シンは、チッと舌打ちしました。直後、彼女は軽々と女の子を抱き上げます。
腕や衣服が汚れるのも構わず、そのまますたすたと歩いて行きました。
「ちょ、ちょっと! 汚れるから!」
女の子は、慌てて叫びます。ところが、シンは怒鳴りました。
「るせえ! 余計なことを言うな! 家までの道のりだけ教えろ!」
その言葉に、女の子はうつむき、小声で道を教えました。
シンはサーベルをくわえ、女の子を抱いたまま歩いて行きます。彼女の悪役ぶりは、黒人たちの間でも知らない者はいません。シンの姿を見るや、慌てて目を逸らし気付かないふりをしました。
女の子がおしっこを漏らしていることに気づいた人は、ただのひとりもいませんでした。
そんなシンですが、家に帰っても悪役の顔を崩しません。さっそく、シークおばあちゃんに憎まれ口を叩きます。
「こらババア、うろうろすんな! 座ってろ!」
言いながら、シークをベッドに寝かせます。
シンは幼い頃に両親を事故で亡くし、シークに育てられました。成長するにつれ、彼女のシークに対する口調は乱暴なものになっていったのです。
「おいババア、足出せ」
シンに言われ、シークは足を差し出しました。
すると、シンはその足をマッサージし始めました。リンゴすら握り潰す握力の持ち主である彼女ですが、シークの足へのマッサージは絶妙な力加減でおこなっています。
「シンちゃん、いつもありがとうね」
シークの言葉を聞き、シンはじろりと睨みました。
「るせえぞババア。てめえに死なれたら、あたしが葬式出さなきゃならないだろうが。長生きしなかったら、ぶっ飛ばすからな」
ある日のことです。
シンは、森の中にいました。シークおばあちゃんのために、薬草や木の実やキノコを採るためです。彼女は、カゴいっぱいに薬草や美味しい木の実やキノコを拾いました。
すると、向こうから騒がしい音が聞こえてきました。シンは、こんな姿を他の人間に見られたくありません。ぱっと、茂みに身を隠しました。
ややあって、数人の男たちがこちらに走って来るのが見えました。全員、黒いマントを羽織りフードを目深に被っています。それだけでも、充分に怪しいですが……彼らは、縛り上げた若い少年を運んでいたのです。
これは、もはや悪人確定でしょう。シンは悪役ではありますが、ゲスな悪人は大嫌いです。サーベルを振り上げ、彼らの前に踊り出ました。
不意を突かれ、彼らの動きが止まりました。その隙を、シンは逃しません。一気に襲いかかりました──
シンはサーベルを振り上げ、一番近くにいた者をぶん殴りました。もちろん刃ではなく、柄の部分でです。殴られた者は、頭を押さえて倒れました。
黒マントの一団は、一斉に身構えました。が、シンは並の悪役ではありません。街一番の悪役です。トップヒールの名は、伊達ではありません。
シンは、またひとりサーベルで殴り倒しました。さらに、コブラクローで喉を掴み持ち上げ、軽々とぶん投げる……シンの姿は、さながら狂える虎のようでした。その圧倒的な強さで、黒マントの男たちを蹴散らしていったのです──
気がつくと、男たちは全員倒れていました。
シンは縛られた少年へと近づき、縄をほどきます。すると、少年は彼女を見上げて礼を言いました。
「あ、ありがとう……ございます」
ところが、礼を言われたシンは硬直していました──
目の前にいる少年は、それはそれは綺麗な顔をしています。肌は舞い落ちてくる雪のように白く、金色の髪は美しくつやがあります。目鼻立ちは人形のように整っており、おとぎ話に登場する白馬に乗った王子さまのようでした。
シンは、こんな美少年を見たのは初めてです。何も言えず、口をあんぐり開けていました。
すると、少年は小首を傾げました。
「あ、あの……どうかされましたか?」
「は、はあ!? どどどどうもしてねえし! べべべ別に普通だし!」
わけわからんことを叫びながら、シンはぷいと横を向きました。本音を言えば、眩しすぎて直視できなかったからですが。
「そうですか。なら、良かったです」
少年は、にっこり笑いました。つられて、シンも笑いました。
「僕は、ウエンツです。あなたの名前は?」
「シン……シン・デレラだよ」
シンは、ぶっきらぼうな口調で答えます。
「シンさん、ですね! 素敵な名前だなあ!」
嬉しそうな表情で、ウエンツは言いました。その時、遠くから声が聞こえてきました。
「王子さま! ご無事ですか!」
それと同時に、大勢の人の立てる音も聞こえてきます。どうやら、こちらに向かって来ているようです。ウエンツは、はっとなりました。
「す、すみません。僕、もう行かないと……」
すまなそうな表情で挨拶し、ウエンツは歩き出しました。が、数歩進んだかと思うと、立ち止まり振り向きます。
「そうだ! 今度、宮殿で舞踏会をやるんですよ。シンさんも、来てくださいね」
そう言い残し、ウエンツは帰って行きました。
シンは唖然となったまま、しばらく動けません。
あのウエンツという美少年は、この国の王子さまだったのです。しかも、宮殿の舞踏会に招かれるとは。
彼女は、今の事態を未だはっきりと把握できぬまま、ただただ立ち尽くしていました。