第12話 その4
はっとして視界が開ける。
そうするとどこにも列車だった風景はなくて、真っ暗な自分の部屋が眼前に広がっていた。右目に眼帯なんてないし、服装だって寝間着のままだ。夢を見ていただけと言わんばかりに、僕は布団から起き上がっている。
額は汗でびっしょりと濡れていて、身体中を不快感が襲う。けれどさっきまでに比べたら100万倍はマシだ。心臓の鼓動が少し早まっているくらいで、心の方はだいぶ落ち着いていた。
夢だったのか。あるいは、僕のこの瞳のような能力によるものだったのか……?
それを確かめる術はもうどこにもない。
「シャワーでも浴びようかな」
どっと疲れがたまり、布団に手を置いて楽な姿勢になる。その時、枕の下に何かが挟まっていることに気がついた。
まさか。
恐る恐る枕を取り除くと、そこには列車の中で見せられた、あのゴーゴリの死せる魂があった。
「……え?」
あれは夢だった、そして現実でもあった。まるで矛盾しているかのような事実を叩きつけられる。
本に触れる。ハードカバーの質感は古き良き書物という雰囲気を醸し出している。
古書特有の形容しがたい、どこか懐かしいような香りが、窓から吹く風に乗って僕の鼻腔を刺激した。
喉が、鳴る。
カバーをめくると香りはよりいっそう強くなる。印刷のインクか、紙の質からか、一体何がこの香りを生み出してくるのだろう?どこか黄色っぽく日焼けした紙が何かを語ることはない。
心が安らいでいく。やっぱり僕はこの香りが大好きだ。本に囲まれていた幼い頃を思い出す。懐かしい、という表現は当時の記憶を呼び覚ますからこそ出てくるものかもしれない。
*
『死せる魂』、そして同時に収録されていた『外套』。その二作を読み終えた頃、窓からは朝日がうっすらと差し込み始めていた。
読み始めてから何時間が経ったのだろう。起きた時の時間を確認していなかったし、作品を味わうことに夢中になっていたせいで、定かではない。
――難しかった。
随所に脚注が散りばめられていて、それぞれ当時の帝政ロシアについて、あるいはロシアにゆかりのある物品についての説明がされているのだが、それらを把握しておかないと作品の流れそのものに支障が出てしまう。
内容そのものは長い上に複雑で、ん?と思った時に度々読み返す必要があった。読了した今でさえも、おそらく完璧に把握しきれてはいないだろう。
一番印象に残ったのは地の文だった。まるで主人公を友人のように扱いながら話すし、形容する時には数種類のものを例に挙げる。翻訳者の腕によるものなのか、元の文からこのような具合だったのかはわからないが、僕にとってこのような文体は新鮮極まりなかった。
こんな具合だったから、読了の瞬間はやった、読み終えた!というような達成感に包まれた。
当然疲れは溜まっているのだが、不思議と眠たさは感じない。ゾーンに入った、とでも形容しようか。そんな気分だ。
僕は本棚の中から宮沢賢治全集を取り出し、銀河鉄道の夜を貪るように読み始めた。
何度読んでも、美しい世界を魅せられている感覚を覚える。心地よい水面の上に浮かびながら、時間を気にすることなく星を数えているような。人間の命が儚く輝いた、そんな歴史を僕たちは読まされているのだ。
死せる魂ほどではないにせよ、銀河鉄道の夜を読了する頃には日が高く昇っていて、それを確認しながらゆっくりと布団の中へ沈んでいった。
もちろん、寝巻きのまま。時計は結局見ていないけれど。
そして僕は心のどこかで確信していた。夢の中で、またあの列車に乗ることができると。





