第10話 その1
僕は今日もまた、あの神社に足を運んでいた。もし本当に神様なんて存在があるのなら、僕にも加護を分け与えてもらいたいからだ。
とはいえ心の底からその存在を信じているわけでもない。あったらいいな、とかそんな具合だ。
やはりというべきか、今日も境内で人影を確認することは叶わなかった。そこにあるのは寂れた社や鳥居と、敷地を囲むように植えられた、御神木と思しき大きな何かの樹木だけ。人の心が離れ続けていることを象徴するかのような景色が残っている。
その樹木の枝々についた木の葉が風でこすれると、それは共鳴するように響きあい、いくつもの葉と葉が重なり合ってざわざわと音楽を奏で始める。この空間はそれで満たされていて、ほかに空気を揺らすものは存在しなかった。
もはやこの神社に神様が残っているかどうかは疑わしい。御神体がどこかに移動させれている可能性もある。それを確認する方法はないけれど、寂しさが言葉を使うことなくそれらを物語っているかのようだ。
それでも僕は神に祈る。
神様に縋るのとは微妙にニュアンスが異なる。僕自身を心の中で勇気づける、というのが一番の理由だ。ずいぶんと消極的な方法だと自分でも思う。けれど、どこかで効果を発揮してくれた気はする。
文芸部に入部することで、学校内の顔見知りが三人に増えたことは喜ばしいことだった。友人と呼べるほどの親しさはまだないけれど、それはこれからの話なので気にしすぎてはいけない。
これがもしも縁結びの神様による加護で、それが僕にまとわりついているのだとしたら。そう思い込むことで、少しでも積極的に行動できるような気がするのだ。物事をポジティブに考えることは大事だと、沖田さんとの出会いで身に沁みている。
いつも通り、からからという乾いた鈴の音が響いた。
とまぁ、そのように学校生活に対して意気込んだのはいいけど、朝一番から僕は困惑する他ない状況に陥っていた。
いつもの通り下駄箱を開けて上靴を取ろうとしたとき、その中に手紙のようなものが差し込まれていることに気が付いてしまったからだ。
まさかこんな習慣が現代にも残っているとは思わなかった。メールを通り越してSNS時代となりつつある中、この手法は古典的と呼ばれても仕方ない。ただ単に僕の連絡先を知らなかったからこうせざるを得なかったのだろう、というような予想はつくけれども。
しかし内容が気になるのはもちろんだが、差し当たって最初の問題は他人にこれを見られることが挙がってくる。
人はこの手の話題というのに目がない。僕だって普通の生活を送っていたら、すぐさま食いつくだろう。
ただでさえ僕についてはろくでもない噂話が流れている。はっきりと否定したり、他人と交流できなかった僕にも原因はあるけれど、その中に新たな火種を放り込むとどうなるだろうか。少なくとも再炎上することはわかるだろう。
周囲を確認して、誰もこちらを注視していないことを願いながら、制服の内側のポケットにすりこませる。万引きでもしているような気分だ。もちろん今までやったことはないが。
人の噂も75日なんて言うけど、75日も経ったら夏休みに突入してしまう。杞憂に終わることが一番望ましいが、自分のできる範囲で禍根を断つことも必要だ。
肝心の内容なのだが、これも教室内で堂々と開封するわけにはいかない。
中を見るタイミングというと、授業の合間にある10分の中休みでは短すぎる。落ち着いて確認するなら、1時間の昼休みを使って余裕を持つべきだ。
しかし昼休みは学生がその辺を歩き回っているのだから、いつどこで目が向けられているかわかったものではない。昼食を食べていて感じるのだが、案外僕のことを見る人は多いらしい。この眼帯は目立つものだし、それに引っ張られるのは自然なことと言えるだろう。





