第0話 その1
佐々木栞。高校一年生女子。それが僕のパラメータ。
二年前はどこにでもいるような、普通の女の子だった。過去形なのは、さっきまでの醜態を見ていれば理解してもらえるだろうか。
中学二年の夏、交通事故で両親を亡くした。僕自身も一ヶ月近く生死の境を彷徨ったらしく、次に目を覚ました時、腕や足を動かす筋力は残っていなかった。
正直な話、今でもまだ両親が亡くなった事実を受け入れられていない。いや、理解はしている。それでも荒唐無稽というか、どうにも何を信じていいのやら、はっきりとわからない。
僕からすれば、長い間眠っていただけだった。その間に両親がいなくなった。その程度の事実としてしか、現実を認識できていない。あまりにも突然な話だったのだ。
精神科の先生には生き残った罪悪感について懇々と説かれたけれど、こんな有様で到底受け入れられるはずもなかった。そもそも罪悪感など微塵も抱いていないのだから。
一年間の休学を経て、リハビリに勤しんだ。自分の体を自分の思うように動かせないことは、精神的にも身体的にも疲労と苦痛が襲い続けた。
結果として腕や足は満足に動かせるようになり、特に身体に麻痺が残ることもなく体調は回復した。
しかし右目には大きな大きな後遺症が残った。
まず視力の低下。くっきりと見える左目に対して、右目は常にもやがかかったような景色が映るばかりだった。
そして黒い瞳は碧色に変色した。虹彩異色症、世間一般的にはオッドアイと呼ばれる症状だ。これが一番辛かった。
いままで気にすることなく付き合ってきた右目だけが、突如異変に侵された気持ち悪さは例えようがない。碧色は僕の心に異物として突き刺さり、他人に見せることは憚られた。
事故の代償は高校生になっても響き続けた。
他人に触れることを避けるように、両親の遺産を元に一人暮らしを始めた。施設の人は誰もが僕の瞳を知っていて、なじられることこそなかったが、僕の方から他人に接することがどうしてもできなかったからだ。
そして友達はできなかった。事情を知らなければ「年上の同級生」というレッテルはマイナスポイントになるし、何より眼帯は気持ち悪がられた。もっと事故のことについて話せばよかったと、今更後悔してもあまりにも遅すぎた。
もっとも、話すことを恐れた僕自身に責任がある。
もはや出会いなどなく、僕の人生から色彩は失われつつあった。
ただ死のうとは思わない。それはもったいない気がするから。けれど強く生きる実感もわかない。
吉田松陰の「生きながら死んでいる者がいる」とは、今の僕にふさわしい言葉なのだろう。