68 マイホーム 2
「先生。長い間、ご利用ありがとうございました。少し寂しくなりますね」
遂に家を手に入れたイングリット達。本日は宿を引き払って拠点を移す日である。
宿の鍵をカウンターに返すといつも受付にいる夢見る羊亭の看板サテュロス娘がクリフに向かって頭を下げた。
「こちらこそありがとう。宿泊はしないけど、今後も食堂は利用しますから」
効果絶大なポーションを生成し、暇があれば街の薬屋にポーションを卸してお金稼ぎ、美少女にはタダでポーションを配るというクリフは先生の愛称で親しまれてる。
この娘の他にも宿の常連客からは別れを惜しむ声が掛けられており、ただ棲家を移すだけにも拘らず惜しまれるという事はそれだけクリフが皆に慕われている証拠なのだろう。
他にも常連客に対して可愛らしい妹的なポジションを確立しているメイメイにも同様の声が掛けられ、貴族でありながら一般民に対して気さくなシャルロッテにも丁寧に礼を述べる者が多い。
「俺は?」
「イ、イングリットさんは……その、ほどほどにね?」
重厚な黒い鎧を身に纏い、物々しい雰囲気のイングリットは別の意味で一目置かれている。
特に傭兵組合で起こした件はパーティメンバー全員がその場にいたにも拘らず『一番目立つイングリットのみが行った』という事になっているようだ。
しかも噂が湾曲しすぎてイングリットが傭兵組合内で大暴れした、という事しか伝わっておらず真実を知る者は少ない。人伝の噂というのは怖い。
そんな訳で、イングリットには感動的なシーンは訪れなかった。
その事に対して少々の愚痴を零すイングリットとメンバー達が、ラプトル車に乗って向かうのは先日手に入れたばかりの家。
鉄製の門を開けて家の庭にあるラプトル厩舎に停車し、ラプトルを厩舎に入れた後で家の正面玄関へ。
シャルロッテが不動産商会から受け取った鍵でドアを開けると最初に現れるのは小さな玄関ホール。
そこを抜けるとまずリビングに到達する。清掃と家具の再配置を終えたばかりの室内はピカピカに輝いているように見えた。
「はい、ちゅうもく~」
リビングに到着するとメイメイが可愛らしい声で皆の注目を集めた。
「今日から早速、みんなの装備を点検しま~す。全員装備を渡してくださ~い」
工房付きの家を手に入れた1番の理由は冒険中に破損した装備の修理と点検を行う為。それを行うメイメイは早速仕事に取り掛かるようだ。
というよりは、冒険の移動中に常に何かを作ったり弄くり回している彼女は手に入れた工房を使いたくてたまらないといった様子。
まだ付き合いの短いシャルロッテでさえ、彼女の心情を読み取れるくらいソワソワしているのを見て全員が苦笑いを浮かべていた。
「イングは全部脱いでね~。損傷が激しい胴から手を付けるから、兜とかは天日干ししておいて~」
イングリットの着用する鎧は全身を覆っている為、匂いが篭る。鎧を着用する際はインナーを着ているがそれでも匂いは移るのだ。主に血と汗の交じり合った匂いが充満している。
簡単に言えばめっちゃ臭い。血と汗とドラゴン臭がヤバイ。
「良いのか? 日替わりダンジョンで素材集めは?」
装備が無ければ魔獣狩りが行えない。特にタンク役であるイングリットの装備が無ければ日替わりダンジョン内で安全に素材を集める事も不可能になる。
「大丈夫~。在庫で足りてる~」
そんな心配をしての発言だったが、普段のんびりとしたメイメイも装備の事になればしっかりしている。既に手持ちの素材の数を確認し、全員の装備を修理点検に使う数も確認済み。
「んふふ~。装備の改良もしちゃうんだ~」
自分の体よりも大きい鎧の胴部分を両手で抱えながらニコニコと笑みを浮かべるメイメイ。
「改良もするんじゃ、結構時間掛かるか?」
「ん~。3日で終わらすよ~」
イングリットの問いに可愛らしく頬に指を当てながら少しばかり考えた後に告げる。
全員分の装備を修理点検し、さらには改良まで加えるのを3日で終わらせるというのは驚異的な早さだ。
コイツ、また寝ないで作業する気だな。という考えがイングリットとクリフの脳内を過ぎる。
だが彼女は満面の笑みを浮かべながらソワソワと体を揺らす。こうなると何を言っても無駄だ。言っても聞かない、最早頭の中には装備の事しか無い状態。
2人は長年の経験から察して何も言う事は無かった。
「じゃあ3日間で次の冒険に使う物を買い込んでおくか」
「そうだね。シャルちゃんは私と洋服買いに行こうね」
「分かったのじゃ!」
「じゃ、早速取り掛かるね~」
るんるんとスキップしながら工房のある方へ向かうメイメイ。
彼女が熱中する3日間。次の冒険に使う物を準備しようと予定が決まった。
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3日後の昼。遂に工房に繋がる扉が開かれた。
「できました~」
そう言いながらリビングに現れたメイメイは全員の装備をインベントリから取り出して並べて行く。
クリフの魔導杖やシャルロッテのクロスボウ、イングリットの鎧と大盾。その中でも一番に目を引くのはイングリットの鎧だろう。
ボコリと凹んでいた胴の部分はしっかりと修復され、新品同様に光り輝いているように錯覚する程。
「全員分の修理点検は終わり~。それとボクとイングのガントレットは改良した~」
大きく変わったのは2人のガントレットだ。
メイメイが壊れてしまっていた自分用のガントレットを腕に装着した後に、胸の前で腕を交差させる。
すると、ガントレッドの一部がカシャカシャと瞬時に変形して小さなラウンドシールドが現れた。
「もう痛い思いしたくないから~。ギミックで防御用の子盾がでま~す」
おお~、と3人の声が上がる中、メイメイはイングリットのガントレット左腕を持ち上げて彼に差し出す。
「イングのもギミック加えたから装着してみて~」
渡された左腕のガントレットを装着。改良前と変わった点は前腕部分が右腕用の物と比べて1.5倍程大きくなったところだろう。
両方装着したら左腕だけが大きい。少々アンバランスな見えるが、他ならぬメイメイが行った事。
イングリットは何か理由があるのだろう、と特に不安は感じていなかった。
「ここにね~。魔石爆弾を装填しておけば、手の甲を上側へ2回連続で反らすと発射するようになってるの~」
そう言われたイングリットはクイクイッと素早く手を上側へ反らす。
すると、手首下側の部分が稼動して短い筒状の砲身がニョキっと出現。
今は魔石爆弾が装填されていないので発射されないが、ガントレットの側面にある装填口から最大で3発程入れられると説明を受けた。
「なるほど。咄嗟の遠距離攻撃に良いな」
イングリットが何度か繰り返しギミックを発動させるが、稼動は素晴らしい程にスムーズだ。
これなら隙を突いたり、咄嗟の攻撃に丁度良い。痒いところに手が届く感覚だろうか。
「それだけじゃないんだな~」
ニコニコと笑みを浮かべるメイメイは少々離れた位置に木製のマネキンをインベントリから取り出して床に置く。
「左腕をマネキンに向けて、今度は手首を下側に反らしてみて~」
言われた通り、イングリットが手首を下側に反らす。
すると今度はガントレッド上部から魔法で作られた『アンカー』が木製マネキンに向かって射出された。
射出されたアンカーは木製マネキンの胴にグルグルと巻き付き、もの凄い勢いでマネキンを引き寄せる。
「魔法アンカーで狙った獲物を引き寄せま~す。これで遠距離攻撃してくる敵もイングの得意な接近戦に持ち込めるよ~」
「こりゃすげえ!!」
左腕のガントレッドに加えられた改良は遠距離攻撃と敵を引き寄せる拘束ギミック。
特にアンカーは大変気に入った様子。
逃げながら遠距離でチマチマと攻撃して来るうっとおしい相手を強制的に引き寄せ、大盾でぶん殴る事が可能になったのだ。
攻撃手段の乏しいイングリットの弱点をフォローする素晴らしい改良と言えるだろう。
「さすがメイ。最高だ」
「えへへ。えへへ」
イングリットに褒められ、照れるメイ。
他に装備は改良を加えていないがその出来上がりはどれも素晴らしい。
敵の攻撃を防いで傷だらけだった大盾は傷が消えて新品同様。クリフの杖も宝玉を設置している部位のメンテナンスによってスムーズな起動を実現。
シャルロッテ用のクロスボウも本人がボルトを装着する際のレバーが硬い、という不満を見事に解消して素早い装填を可能にしていた。
「すごいのじゃ。魔王都の工房でもこんなに綺麗に修理できんじゃろう」
初めてメイメイの生産職たる実力を見たシャルロッテも素直に驚きと感動を抱く。
自分よりも小さく幼い少女がベテラン職人以上の仕事をしてみせるのは流石と言いようがない。
イングリットはいつも通り鎧を着用し、各自装備を手にする。メイメイの手に掛かった装備に今更違和感なんてモノは皆無だ。
「これでいつでも冒険に行けるな」
「うん。じゃあ、明日1日休んだら出発しようか。みんな、大丈夫?」
「大丈夫なのじゃ」
「バッチおっけ~!」
メイメイが作業している間に冒険で使う備品の買い物も終了しているし、メイメイの手によって各自装備も完璧。
完璧になった装備を持てば「さぁ、冒険に出かけるぞ!」という気持ちが沸いて来る。
1日の休息を行った後に出発。次の目的地は魔王国の隣国である亜人の国ジャハームだ。
「じゃあ、今日の夕飯は――」
景気付けにゲーム内で得た料理アイテムを食べよう。そうクリフが言おうとした時。ソイツは現れた。
カサカサ。
それはクリフの足元を素早く走る、黒い物体。
ある世界では別惑星で人型になり、ある世界では全てを食い荒らす邪神の如き存在。どんな異世界にも存在し、忌み嫌われるモノ。
G。
この世界では拳大の大きさを誇り、実害は無いが見るだけで嫌悪感を抱くモノ。非力で最弱種族の子供でも倒せると言われる昆虫型の魔獣。
それは魔王国だけでなくどこの国でも存在し、特に魔王国と亜人の国のような風通しの良い(建築レベルが低い)建物内にすんなりと侵入して来る招かれざるモノ。
「ぎ、ぎゃああああ!!!???」
そんな昆虫魔獣を大の苦手とするのは魔導師クリフ。
ダンジョンでも昆虫型の魔獣が出現するタイプが存在する。
それらのダンジョンは制覇する為に仕方なく我慢はするが、1度制覇してからは2度と行かない。行くならパーティを抜ける、と言う程だ。
特に嫌いなのは黒いヤツ。昆虫全般が大嫌いだが黒いヤツと遭遇した時のクリフは必ず大混乱に陥る。
昆虫型魔獣などこの世からいなくなれば良い。そう言う彼は見つけ次第に撃滅滅殺。
魔力ポーションをガブ飲みし、飲みすぎて腹を下そうとも消滅させなければ気が休まらない。
ダンジョン外である今回も同様だ。
彼の絶叫が響くと同時に、無意識に翳した手には炎属性の第6階梯魔法――バーニングストームの魔法陣が浮かんでいた。
「ヤバイ――」
イングリットは傍にあった大盾を引き寄せながら、メイメイとシャルロッテの服を掴んで自身の後方へ急いで投げ捨てる。
そして、大盾を構えて防御態勢を取った瞬間――
ゴバアアアッ! という轟音と炎の火柱がクリフの傍で発生した。
天を突き抜ける火柱は家の天井を焼き壊して空高く舞い上がり、魔法発生の余波と高温の風がイングリットが構える大盾を襲う。
家の中の物が瞬時に燃えて行く中、イングリットは大盾でシャルロッテとメイメイを庇いながら耐え続ける。
そして、火柱が治まると自分達がいた場所――工房付きの家は消滅していた。
地面は真っ黒にコゲ、僅かに燃え残った家の残骸が空から降り注ぐ。
「大丈夫か!?」
イングリットが振り返るとシャルロッテとメイメイはポカンと放心しながらも怪我1つ無い様子。
若干ススで汚れたように衣服や頬が黒くなっているだけなようだ。
2人の無事を確認したイングリットが視線を元に戻し前方へと向ける。
そこには原因となったクリフが立っており、こちらもパッシブスキルで発動している魔法耐性のお陰で無事なようだ。
「おい」
「はい」
クリフはイングリットの声に真顔で返事を返す。ただ、彼は全身真っ黒に汚れて髪はチリチリのアフロ状態になっていた。
青々と広がる空の下。
イングリット達は家を失った。
読んで下さりありがとうございます。
魔獣避けの鈴を置くか街に売っているホウサンダンゴ的な物を設置すれば、今回の悲劇は回避できたのじゃ…。
次回は金曜日です。




