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65 商人組合本部


 魔王都イシュレウスには2つの国営機関が存在する。


 1つは傭兵組合。嘗ては冒険者組合という名であったが、苦しい情勢の中で大陸戦争へ特化した組織へと変化した。


 もう1つは商人組合。こちらも元々は冒険者組合のように自由に商売を行う商人達をより良くサポートする組合であった。


 傭兵組合と同様に名こそ変えてはいないが国の組織として吸収され、大陸戦争の前線へ物資を送る事が主な組織へと変化したのだ。


 ただ、経済というのは仕組みを急激に変化させてしまうと混乱が生じる。


 街から街に物を売り歩く行商人や大量の商品を輸送する商人の集合体(パーティ)であるキャラバンは国内流通の要であるし、彼らのサポートを無にすれば他種族に侵略されている現状が更に悪くなるのは必至。


 そこで、先々代の魔王は商人組合を冒険者組合のように大陸戦争特化の組織にはせず、職員を増員して前線へ物資を輸送したり軍への魔法装備供給を行う専門業務を新設させた。


 先々代魔王の采配によって元々の商人達をサポートする業務と前線へ物資を送る業務の2つを両立させる組織とし、国の安定と前線への円滑な物資輸送を可能に。


 これが現在の商人組合となった経緯である。


 ただ、この政策を行った先々代魔王が作り上げた負の遺産とも言える荷物を国が抱えてしまっているのも事実。


 負の遺産――それは経済を司る組織の長が国に属する貴族という事。


 国が運営する組織になったという事は、トップは国に属する政治を扱う者達になるというのが普通だろう。魔王国イシュレウスも例に漏れず、特権階級たる貴族が長を勤めているのだ。


 長年負け続けの国に属する特権階級共は常に自分の身の事しか考えなくなってしまった。


 国が侵略され、毎年大量の兵士が死に、民が乏しい食事しか食べられない現状なのに貴族達は己の私腹を肥やすのみ。


 そんな貴族達の中で『極上の仕事場』と呼ばれるのが商人組合のトップ。商人組合本部長だ。


 傭兵組合の長は荒れくれでガサツな者達を纏めて戦場に送り込まなければいけないし、大陸戦争で領土が奪われれば国の重鎮会議で他の貴族達からネチネチと文句を言われてしまう。


 だが商人組合長は違う。何故なら大陸戦争に関わる業務が前線への物資輸送と軍への装備供給のみだからだ。


 国を横断する行商人やキャラバン隊から物資を買取して前線へ送り、たまに舞い込んでくる珍しい装備類を『国の命令』として買い叩いて軍に渡す。これさえしていれば文句を言われない。


 むしろ、大陸戦争で領土を奪われた際は「ウチが必死に供給してんのに!」と文句を一番に言える立場だ。


 さらに。買い取る側である商人組合では物が集まる。定番の食料も、地方でしか摂れない珍しい嗜好品も、本来ならば加工する金や銀も、軍へと渡すはずの強力な魔法装備も。商人組合のド真ん中である本部には何でも集まるのだ。


 ここまで言えばお分かりだろう。私腹を肥やす貴族が最高の職場と称する意味を。


 商人組合本部長。それは国内にある、ありとあらゆる物を一番に手に入れられる職なのだ。



-----



 イングリットとシャルロッテは金貨と銀貨の入った麻袋を抱えながら商人組合本部の扉を開き、中へと入って行く。


 商人組合の内部には行商を行っている者やキャラバン隊の代表らしき者が受付カウンターで書類を記入していたり、買取金額の精算を行っていたり。組合の職員達は傭兵組合の職員に比べて忙しそうに働いている。


 そんな彼らはいつもの日常に飛び込んできた、異例の客に視線を送る。


 黒い鎧を着用した者とその隣にいる身なりの良い美少女。一目で貴族とその護衛であると判断できた。


 いつもならば「貴族が趣味の品を買い取りに来たか、売りに来たか」と思うところであるが、今回は違う。


 いつぞやの職員会議で本部長より伝えられた『要注意人物』の身なりと重なったからだ。


 丁度空いている受付カウンターの女性職員はイングリットとシャルロッテの姿を確認した後に、カウンターの下にある引き出しを開けて中にある紙を確認する。


『全身黒い鎧の男とその仲間』『レガド氏を侮辱した要注意人物』『買取拒否。もしくは通常よりも安く見積もるべし』


 職員の女性が確認する紙には大きな文字でそう書かれている。


 彼女が顔を上げるとそこには案の定、要注意人物が空いている彼女が担当するカウンターへとやって来ていた。


「買取を頼む」


 イングリットはそう言ってカウンターの上にドスンと麻袋を2つ置く。


 職員の女性も置かれた麻袋を見つめながら「随分と重そうな物だ」と怪訝に思いながらも「中を確認します」とマニュアルに沿った返事を返す。


「えぇ!?」


 だが、麻袋の中身を見た瞬間に商人組合本部で2ヶ月以上訓練して覚えた業務マニュアルの内容は空の彼方へとぶっ飛び、驚きの声を上げてしまう。


 彼女の声に他の職員や商人達も何事かと注目を送るが、声を上げた当の本人はそれを気にする余裕など一切無い。


「こ、これ全部ですか!?」


 麻袋の中にはギッシリと詰まった金貨と銀貨。しかもそれが2袋。


 金貨を恐る恐る1枚手に取ってみれば、ズッシリとした金の重みが手に伝わってくる。


「全部だ。あと、これ」


 山盛りの金貨と銀貨に加えてイングリットがカウンターの上に置いた1枚の紙。


 アポスの街で得た信用証だ。


「…………」


 職員の女性は目が点になるほど驚愕してしまった。


 要注意人物とされた人物が山盛りの金貨と銀貨を持ち込んだまでは良い。国からの命令で~といつもの文句を言いながら他の商人達よりも査定金額を下げて提示すれば良いからだ。


 だが「この者とは対等な取引をせよ」という証である信用証を出されてはそれが出来ない。


 何かと理由を付けようにも信用証を発行しているのは他ならぬ商人組合だからだ。御宅が発行した証書だよ? あれあれ? とクレームが入って面倒な事になるのは目に見えている。


 どうすりゃ良いんだ。職員の女性は内心頭を抱えながら悩む。


「……少々お待ち下さい」


 悩んだ末、出した答えは建物の2階にいる本部長へ相談というモノだった。



-----



 職員の女性が2階へと駆けて行ってから10分後。イングリットとシャルロッテは戻って来た彼女に案内されて、建物2階にある本部長室に案内された。


 案内をする職員の女性が部屋の扉をノックすると中からは「入れ」という男性の声。


 本部長室の扉を開けて中へ通されると部屋の窓際に備えられた執務机には、デップリと腹の膨らんだフロッグマン種――カエルの見た目をした魔族で男性しか存在しない種――の男が座っていた。


 彼は窓から差し込む太陽の光で高級服に施された金の装飾を反射させる。その光の豪華さは貴族という特権階級を表す中でも最上位に思えるだろう。


 しかし、折角の高級服と豪華な金の装飾も肥えに肥えた腹で服をパッツンパッツンにしてしまっていては台無しである。


 イングリットは内心で「喋るオークはキング以来だな」と呟き、シャルロッテの表情には「うわ、典型的な王都貴族なのじゃ。キモ」という感想が浮かんでいた。


「商人組合本部にようこそいらっしゃった。君、お茶を頼む」


 だが彼はパッツンパッツンになっている身なりにも、対面するイングリットとシャルロッテから醸し出される雰囲気には全く気にしていない様子。


 イスから立ち上がりながら職員の女性にお茶を頼み、2人を応接用のソファーへと手を向けて座るよう促す。


「まずは自己紹介を。私はフログ。フログ侯爵である」


 彼は魔獣の革張りで座り心地の良いソファーへ身を沈めた後に、茶色の地肌の頬肉と顎肉をぶるぶると揺らし、偉そうに胸を反らせながら己の名を口にする。


 フログ侯爵――それはとある噂(・・・・)で有名な人物。その噂はシャルロッテの耳にも入っているほどで、彼女はその噂を思い出して身を竦めた。


「私はシャルロッテ・アルベルト。アルベルト伯爵家の次女なの……です」


 国の貴族たるシャルロッテは自分の家よりも位が上にあるフログへ頭を下げながら礼をした。


 すると、フログは何かに気付いたのかシャルロッテの上半身と顔を舐めますように見つめた後に目を伏せた。


「アルベルト家……ご家族の件は聞いている。残念であったな」


「は、はい……」


 彼の顔に浮かぶ表情はとても「残念」という言葉が似合わない。己よりも下の者を見下し、己が王と言わんばかりの顔と態度。そして、その視線はシャルロッテの胸に実るたわわな果実に釘付けである。


 その後、彼はテーブルの上に置かれた麻袋に手を伸ばして中身を確認。


 大量の金貨と銀貨を目にすると一瞬だけ目を見開いて驚きの表情を浮かべるが、それをすぐに引っ込める。


 コホン、と1度咳払いをした後にシャルロッテへ顔を向けて彼は口を開いた。


「職員から既に話は聞いている。単刀直入に言おう。その信用証は無効だ」


「え!?」


 フログの言葉にシャルロッテは驚きの声を上げた。


 信用証が無効という話はこれまで一度も聞いた事が無い。地方で得た信用証も本部で使えるという説明はアポスの街の組合長に確認済みだったからだ。


「何故なのじゃ!?」


 目上の者に対して敬語を使っていたシャルロッテも、この時ばかりは素に戻ってしまった。


 この信用証は魔獣に襲われていた行商を助け、更にはイングリット達が持っていた魔法装備を対価に得た物だ。タダではない。それが無駄になってしまう。


「理由は言えぬな。国の決めた事だ」


 これは嘘でもあり、真実でもある。


 信用証を認める、認めないの裁量権は各組合の長にあるのは事実。だが、信用証の発行を行っているのは組合の長が行う事。それを疑ってしまったり、認めなければ内部の分裂に繋がる可能性もあるので基本的にはタブーだ。


 しかしながら目の前にいる男は商人組合の中でも頂点に君臨する男。地方の組合長なんぞ吹けば吹き飛ばせる程の権力を持った者だ。


 それに加えてイングリット達が要注意人物になっているという事実。


 レガドを侮辱したという罪で傭兵組合の長とフログが決めた2組織間の取り決めだ。


 傭兵組合はイングリット達を見つけたら絡んでも良い、というお墨付きに加えて組織加入の拒否を。商人組合は買取拒否もしくは査定金額の大幅割引を。


 魔王国内の市中2大組織に睨まれてはどうしようもないだろう。身の程を知れ、という制裁である。

 

 ただ、傭兵組合長は純粋に4将のレガドを心酔している為に行った取り決めだったが、フログは違う。


 レガドに恩を売っておけば後々己にとって有利になるだろう、という裏があっての事だ。


 彼がイングリット達に制裁を行う理由はどうあれ、フログの目論見通りに事が進められてしまっている状況だろう。 


 シャルロッテが「そんな……」と呟きながら絶望の表情を浮かべていると、フログはニヤけ顔を浮かべながら更に追い討ちをかける。


「それに国が侵略されているのだ。これは接収させて頂こう」


 私腹を肥やす貴族の筆頭たるフログの目の前にあるのは大量の金貨と銀貨だ。


 国に提出すれば得点稼ぎになる。それにこれだけ大量にあるのだから半分以上を懐に入れてもバレないだろう。


 フログの脳内は既に金貨と銀貨をどうしてくれようかとウハウハだ。


「ま、待って!」


 まさに最悪の事態。シャルロッテが慌てながら立ち上がったところで、フログは「ただ……」と付け加える。


「シャルロッテ嬢。君が私に付き合ってくれれば、考えなくもない」


 フログはそう言ってニタニタと、ゲロゲロと喉を鳴らして笑う。


 金貨と銀貨を手に入れられれば良し。格下の娘を味わえても良し。どちらにしてもフログにとっては最高の結果になる。


 彼の手は贅肉なのかオスのアレが膨らんでいるのか判別できない膨らむ腹の下に添えられ、シャルロッテの美しく整った容姿と男受けする身体に我慢できんといった様子だ。


「そ、それは……」


 フログの提案にシャルロッテの背筋が凍る。フロッグマン種と言えば単一性別の種族で交われば確実に子を宿らされると噂される種だ。


 勿論、フロッグマンの中にはフログのような醜悪な者だけでなく紳士的な者もいて、ちゃんと他種族の女性と婚姻を結んでいる者も数多く存在する。


 だが、フログ侯爵という男はそれに当て嵌まらない。貴族達の中でも無類の女好きと噂されるゲスな男。その噂は王都から離れていた嘗てのアルベルト家領地にも轟くほどである。


 シャルロッテは悩む。どうすれば良い。このままでは全てが無駄になってしまう。かといって、この醜悪な男と寝るなどオークに捕まるのと同等くらいに絶望的な事だ。


 だが、それは大人しく隣に座っていた男の言葉によって霧散する。


「殺すぞ。カエル風情が」


 まるで地獄の底から響くような、殺意に満ちた声音。


 シャルロッテとフログが同時に声の主へ視線を向けると、黒い鎧を着用したイングリットが腕を組みながら全身から怒りのオーラを撒き散らしていた。


「コイツが交渉は任せろと言うから黙って聞いていれば好き放題言いやがる。ただでさえオークみてえな見た目にも拘らず、性欲もオーク並み。テメェも何時ぞやの人間と同じくオークの親戚か?」


 何時ぞやの時と同じように、盾師がマスター盾師より学ぶ煽り術がイングリットの口から飛び出した。


「き、貴様! なんと言う無礼! 立場というモノを――」


 イングリットの言葉を聞いて唖然としていたフログであったが、我に返ると顔を真っ赤に染めて怒りに満ちた赤いカエルに変化する。


 身分の違いを教えてやろうと、このフログ侯爵に逆らえばどうなるか教えてやろう、と。


 しかし、彼の『ありがた~い言葉』は最後まで紡がれない。


 彼が言葉の続きを発しようとした時、何かが首を絞める強い感触と足元で何かが壊れる破壊音が響く。


「ぐ、ぐが! ゴゲゲ!」


 首を絞められる感触の正体はイングリットから伸びる無機質なガントレット。そして、響いた破壊音はイングリットが踏み壊したテーブルが折れる音だ。


「しかも俺の物を接収するだと? テメェ、ふざけるのもいい加減にしろよ」

 

 兜の中にある赤い瞳をギラギラと光らせ、イングリットは目の前にいるカエルの命を握る。


 もう少し力を入れればフログの喉は粉砕されるだろう。絶妙な力加減で首を絞め続けた。


「テメェが好き放題できるのは俺達以外だ。俺達に敵対してみろ。俺の物を奪おうとしてみろ。必ず殺す。徹底的に殺す。それが誰であれ、どんな立場であれ、必ず。殺す」


 フログは息が出来ず苦しみながらも、目の前にいる男から発せられる警告を強制的に聞かされながら、本能で理解するのだ。


『コイツの言っている事は嘘ではない』


 間違いなく、目の前の男は有言実行するだろう。


 兜の隙間から見える憤怒に満ちた瞳と声音。首を絞める手の感触がそれを物語る。


 そもそも、世の中の全てが侯爵である自分の思い通りになると思っている事が勘違いだ。


 手を出してはいけない相手が存在する事を彼は知らない。手を出してはいけないモノがあるという事を彼は知らない。


 単純に知らなかった、では済まない事もある。無知は罪に値する事もあるのだ。


 ただまぁ、命を握られるフログはそこまで頭が回っていないのも事実。この苦しみから早く解放されたいフログは顎の肉が邪魔するのを感じながらとにかく頷き続けた。


「次は無い」


 イングリットはそう言ってから手を離す。


 ゴホゴホと咳き込み、ソファーから崩れ落ちるフログを尻目にシャルロッテへ声を掛けた。


「シャル。帰るぞ」


「わ、わかったのじゃ」


 怒りの治まらないイングリットは2つの麻袋を抱えて本部長室の扉を蹴破り、扉を廊下に吹き飛ばしながら出て行くとシャロッテも彼に続いて行った。 


読んで下さりありがとうございます。


木曜日に投稿する予定でしたが無理そうだったので前倒し。

次回の投稿は土曜日の予定です。

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