236 赤と黒
竜化したイングリットがアリムと戦っている頃、彼の中では複数の声が怒声を上げていた。
『なぜ勝てぬ!』
『なぜ殺せぬ!』
『我等は赤の力を得た!』
『なのに何故勝てぬ!』
暗い闇の中で複数の声は怨敵へと呪詛を吐くように叫ぶ。
何故勝てない。
こんなにも赤の力は凄まじいのに。ドラゴンブレスを撃てば周りにいる雑魚は一撃で灰にし、四肢による攻撃は地面を抉るほどだというのに。
『何故、勝てぬのだッ!!』
怒りに満ちた声をイングリットは暗い水の底で意識を取り戻し、静かに聞いていた。
目を開ければ竜が暴れ回って人間と戦っている光景が映る。
なんとか体を動かし、支配権を取り戻そうとするが鎖で縛られたかのように動かない。
イングリットが藻掻き続けていると、声の主達はヒートアップしていく。
『攻撃だ! 力こそが全てだ!』
攻撃、攻撃と声の主達が喚いている間に尻尾が斬られた。次は腕、翼。
目を抉られて瀕死に陥ると複数の声の主から唸り声しか聞こえなくなった。
(クソッタレ、ここで死ぬのか)
藻掻き続けるイングリットが覚悟を決めると、予想もしなかった事が起きた。
シャルロッテが割って入って来たのだ。
(やめろ!)
このままでは彼女に攻撃が当たる。
やめろ、避けろ、どけ、と叫ぶが届かない。
(あああああ!)
彼女は左腕を失くし、倒れる。
イングリットは顔を歪め、彼女を守ろうとするも本体は動かない。
『好機。女が防いだ隙に今こそ一撃を――』
複数の声はシャルロッテを放置し、尚も人間と戦おうとする姿勢を見せた。
もう我慢の限界だ。
イングリットは歯を食いしばり、怒りで顔を真っ赤に染めながら力を入れる。
体に巻き付いた鎖を引き千切り、目の前にあった暗い水を掻き分けて。体を支配している声共の前に飛び出した。
「ふざけるなァァァァッ!!」
地を這うような低い声。怒りに満ちた声はイングリットの中にいる者達を硬直させる。
彼は上を見上げ、水面の向こう側から沈んで来たシャルロッテへ手を伸ばす。
「シャルッ!」
彼女の体を抱きとめて、闇の中に紛れる声の主達を睨みつける。
「テメェ、ふざけるのも大概にしとけよ。人の体を乗っ取って、俺の大切なモンを殺そうとしやがってッ!」
体が自由になり、発言ができるようになったイングリットは声の主達へ溜まった鬱憤をぶつけ始めた。
「何が攻撃だ! アホウめ! 当たらなきゃ意味がねえんだよッ!」
そうだ。どんなに高火力な攻撃でも当たらなきゃ意味が無い。
「ぶんぶん振り回してるんじゃねえッ! それが許されるのはアタッカーだけだッ!」
そうだ。自由な攻撃を許されるのはアタッカーに限る。
「テメェ等はタンクを舐めてんのかッ! 敵の攻撃から味方を守るのがタンクだろうがッ!!」
言いたい事の2割を吐き出すと、闇に紛れる者の1人が声を出す。
『貴方は赤のはずだ。黒じゃない」
「あ?」
「貴方は最強の力を持つ赤竜だ。黒竜のように防御に適した力を持っていない。なのに、なぜ守ろうとする? なぜ本来の力を使わない?」
声の主は心底「わからない」と思っているのだろう。
最強の力、憤怒の力を持った赤竜が何故他人を守ろうとしているのか。
「そんなモンは捨てた。俺はタンクだ」
そうだ。彼はタンクだ。
ゲームを開始した当初、育成失敗でタンクとして生きる道しか残されていなかった。
憤怒の力と成長率の高かった攻撃性パラメータなど初期も初期に捨てて一切振っていない。
『なぜ……』
果たしてそれは本当に『育成失敗』『間違えた』という事象で済まされるのだろうか?
それとも……イングリットの魂に微かに残っていた記憶がそうさせたのだろうか?
「俺は確かに失敗したかもしれん。だが、仲間に出会った。アイツ等を失いたくない。何かを失うのが怖い」
ゲーム内でお宝を奪われるのが何よりも嫌だった。それは恐怖を感じていたからだろう。
現実の世界に来て、本当の死があると知った。
仲間が死に、二度と会えないのが怖い。今、腕の中にいる彼女と会えなくなるのが怖い。
『守るだけでは守り通せない……。守っても、相手を殺さなければ守れない……。だから、赤の力が必要だ。だから私達は赤を求めた……』
声の主からは悲痛な感情が伝わった。
しかし、イングリットは首を振る。
「テメェ等はわかってねえな。タンクは重要ポジションだ。絶対に破られない防御があれば、相手の攻撃は他人に届かない。攻撃を受け続けながら殴れば良い。非力でも死ななければ勝てる」
こちらの攻撃が1だったとしても、100積み上げれば100になる。1000を積み上げれば、1000になる。
『何故そこまでして、防御に拘る』
「さぁな。タンクとして生きていくと決めた」
タンクになるしか道が残されていないと分かった時、意地でも貫こうと思えた。
確かに苦難の道ではあったが、諦めようとは思わなかった。
それに、とイングリットは呟く。
「昔、誰かが……守る事で力を振るわせていた」
それはイングリットの中にある微かな記憶。
鮮明さの欠片もないが、誰かが誰かを守り、守られている者が力を振るって相手を倒していた映像が浮かぶ。
これこそ、タンクのあるべき姿だ。
あれこそが、イングリットの目指したタンクの理想像と言えるだろう。
『そう、ですか……』
声の主が力無く答えると、闇が晴れる。
晴れた闇の向こう側には5匹の黒竜と1人の竜人。彼らはイングリットに頭を垂れた。
『王よ。度重なる無礼、謝罪致します』
竜人は顔を伏せたまま謝罪を述べると、顔を上げてイングリットへ告げる。
『貴方は赤だ。本当の意味で黒にはなれない。ですが、赤と黒を混ぜれば……今以上に貴方は輝くでしょう』
そう言って、再び顔を伏せた。
『王よ。今こそ、我等が力を使う時』
『王よ。今こそ我等の魂を食らい、更なる高みへと至る時にございます』
周りにいる黒竜達も言葉を告げた。
「どういう事だ?」
『貴方一人では無理でしょう。ですが、貴方には王妃様がおります』
竜人がそう言った時、シャルロッテの目がパチリと開いた。
「イング……。なんか寝ている間に夢で色々聞いたのじゃ。赤と黒って何なのじゃ?」
くしゃくしゃと目を擦りながら言うシャルロッテであるが、イングリットもさっぱり何の事かわからない。
『貴方達は繋がっている。深く、魂が繋がっております。1つの魂に1つの色。ですが、繋がっていれば同時に存在するのと同義』
竜人がそう言うと、イングリットの胸とシャルロッテの腹にあった淫紋を結ぶ赤い糸が可視化した。
『それは呪いではございません。運命でございます』
2人とって最悪の出会いの象徴。それを彼は運命と言った。
『さぁ。あまり時間は残されておりません』
『我らが魂をもって、我らが無念を晴らして下さいませ』
『我らが魂をもって、全ての敵を打ち払い下さいませ』
黒竜達の体が光ると光の玉に変わった。
最後に残った竜人は顔を上げ、イングリットを見る。
『私を覚えていますか?』
そう言って、ジッと顔を見つめるがイングリットは首を振る。
「さぁ。覚えてねえな」
イングリットの昔の記憶は封印されている。覚えてなくて当然だ。
イングリットと同化した事でその事はわかっていたが、竜人は顔を伏せてから口元を寂しそうに歪めて目を閉じた。
「だが、どこかで会った気がする」
どこだったか? と首を捻るが思い出せない。モヤモヤした気持ちがどうも気持ち悪く、イングリットは舌打ちを鳴らした。
その姿は竜人にとって懐かしい光景だ。いつも彼の主は不機嫌そうにしていた。
懐かしく、少しでも記憶に残っているのだと分かると、竜人は顔を伏せながら涙を流す。
『王よ。貴方と戦えて光栄でした。どうか、私達と共に……』
そう言って、彼も光の玉へと姿を変えた。
「それで、どうするのじゃ?」
未だイングリットの腕の中にいるシャルロッテは、彼の首に腕を回しつつ見上げながら問う。
「奴等は1人に1つと言ってたな。1つずつ手にすりゃ良いんじゃねえか?」
「そうじゃな」
宙に浮かぶ光の玉は2つ。
お互いに1つずつ、光の玉に手を伸ばす。指先が光の玉に触れるとチリッと音を鳴らして『情報』お互いに流れ込む。
「これは……」
竜人は運命だと言った。
確かにそうだ。自分達が出会ったのは運命であったと。
流れ込む情報は黒竜達が持っていた記憶の残滓。その中に自分達の姿があった。
「イング……」
シャルロッテは頬を赤らめながら彼を見上げる。
出会いは最悪だった。ファドナ皇都から助けられ、全裸で布に包まれて放り投げられ。
利用してやろうとしたらカウンターを食らい、離れられなくなってしまった。
これが運命だとしたら、なんと酷い運命だろうか。
「それでもお主は妾を見捨てなかったな……」
何だかんだ言いながら、一緒にいる事を許してくれたイングリット。
ぶっきらぼうでありながら面倒見が良く、嫌な顔を浮かべながらも話を聞いてくれる。
「俺もお前を利用しただけだ」
イングリットも最初は彼女を鬱陶しい温室育ちのお嬢様だと思っていたが、なかなかに根性を見せる姿に関心を抱き始めた。
冒険者というモノを理解しようとし、役に立つとアピールして。
戦いでは仲間を守る為に体を張って見せた事もある。 徐々にパーティメンバーとして欠かせない存在になって、今では大事な仲間で……。
プライベートでも呪いのせいで離れられず、色々な姿を強制的に見せられた。
幻滅する事もあったがどこか放っておけない。
出会いも最悪ならば、付き合いも最悪の連続だっただろう。
「妾はお主を愛している」
「ああ、俺もだ」
しかし、出会えてよかった。再び出会えた事に神へ感謝したい。
だから認めよう。お互いに愛している事を。
「ずっと傍におるぞ」
「次こそは必ずお前を守る」
2人はそう言って――宙に浮かぶ『輝く魂』を手に取った。
黒竜の魂は王と王妃を祝福すると共に2人の中へと流れ込む。
魂を喰らう。それは純粋な生物としての進化と言えるだろう。
イングリットの頭打ちだった魂の器は再構築されてより大きく。それによって黒の力を新たに得られた。
シャルロッテの中に流れ込む竜の力は、彼女の力を増幅させてイングリットから流れ込む赤竜の力をより強く受け止められるように。
そして、力の源である魂同士が赤い糸で再び結ばれる。
「さぁ、いくぞ」
「わかったのじゃ!」
2人は水面を見上げ、意識を覚醒していく。
次こそは勝つ。2人には確信があった。
赤の力と黒の力。王と王妃。
時を経て、仲間の仇を討つ為に。因縁を断つ為に。
運命の赤い糸で結ばれた2人は覚醒する。
読んで下さりありがとうございます。




