221 my home
帝国帝都のメインストリートを魔王軍の兵士2人と共に歩く、ローブで身を包んだ者がいた。
フード付きのローブで全身覆い被った姿からは、辛うじて胸の膨らみから女性だという事がわかる。
活気を取り戻した帝都のメインストリートを静かに歩く正体不明の女性と2人の兵士。周りから見ている者からしてみれば異質で近寄り難い。
ただ、当の本人達からもそれは都合が良かった。
ローブの中身、姿を隠して帝都の様子を伺う正体は聖樹王国から逃げ出したハイ・エルフのリデル。
まだ正体を明かすなと魔王国に言われ、ローブで姿を隠しながら生活しているのだが……。
何故この場に彼女がいるのかというと、彼女が『母と父の故郷を見てみたい』と申し出たからだ。
彼女の両親は嘗て帝都で暮らしていた。その後は人間達によって聖樹王国へ連れて行かれ、雑種街で生活する事になった。
物心つく前から雑種街で暮らしていたリデルは両親と共に帝都で暮らしていたという記憶は無い。
小さな頃から彼女は両親に帝都という場所がどのような場所なのかを聞かされながら育てられた。
『自然と一体化した街』
確かにそうだ。家屋の一部が木と融合していたり、大きく太い木を繰り抜いて作られたような建物もある。
『みんな幸せそうで』
確かにそうだ。暮らしている住民達の目は濁っていない。
王種族達によって奴隷という立場から解放され、王種族によって守られている帝都のエルフ達の表情は誰もが明るい。
新たに王種族によって齎された料理や仕事に満足し、誰もが活き活きしているではないか。
「…………」
自分が暮らしていた地獄――雑種街とは大違い。正反対のような世界。
人間達の下品な笑い声が聞こえない。
そこら辺にエルフの死体が転がっていない。
血のこびり付いた床を掃除する子供のエルフなど存在しない。
まるで正反対だ。
大人達は汗を流して仕事をしながらも笑顔を浮かべて、子供達はキャッキャと笑い声を上げながら走り回る。
リデルは「何だこれは?」という違和感と感想を抱いてしまう。
「ハッ……」
周囲の幸せそうな景色を見て、彼女は自分の抱いた感想との齟齬に鼻で笑った。
自分が逃げ出さないよう付き纏う2人の兵士曰く、これが『普通』だそうだ。
この甘ったるく、幻想のような景色が普通だと言う。
じゃあ、自分が暮らしていたあの世界は何だったのだろうか。あの世界で暮らしていた自分の数十年間は何だったのだろうか。
これが普通なのであれば、彼女の抱く通り本当に地獄そのものだったのだろう。
リデルは奥歯をギリッと噛み締めながら、周囲を睨む。
「おい、どうした」
「……何でもないわ」
突然止まった彼女に魔王軍の兵士が問いかけると、彼女は振り向きもせずに再び歩き出す。
今回、彼女が帝都を訪れた理由は両親が暮らしていた街を見たいという理由に加えてもう1つある。
嘗て、両親と自分が暮らしていた家を見に行く事。
両親の昔話によく登場した、帝都の家。
メインストリートを真っ直ぐ進み、右手に見えてくる精霊を称える小さな教会を右折。
そのまま進んで、噴水のある公園の向かい側に大樹が生えた庭付きのログハウス。
両親が語ってくれた嘗ての家。彼女は幼い頃に聞かされた通り、道を進む。
すると、どうだろう。
確かに教会があって、先に進めば噴水のある公園があった。
公園を追い越して、向かい側へ進むと――庭に生える大樹が一際目立つ家があるではないか。
あそこだ。
一目見ただけで理解できた。フラッシュバックするように、両親が小さな自分を見下ろす絵が浮かぶ。
だが、どうしても両親の顔が見えない。空に浮かぶ太陽の影となって、両親の顔は真っ暗だった。
もう自分は両親の顔すらも思い出せないのだろうか。忘れてしまったのだろうか。
一瞬だけそう思ってしまったが、そんな事は無いと首を振って否定した。
嘗て暮らしていた家を見ていた彼女の足元に小さなボールが転がって来た。
ボールはリデルの足に当たり、彼女の足元で止まる。
遅れてそれに気付いたリデルへ駆け寄って来る小さな影。
ハッとなって影を見下ろすと――
「お姉ちゃん、どうしたの?」
影の正体は小さなエルフの女の子。
女の子はボールを拾い上げ、フードの中にあるリデルの顔を見上げていた。
「いいえ。何でもないわ」
精一杯、笑顔を作ってみたつもりであるが自分は笑顔を浮かべられているだろうか。
不思議そうにする女の子はリデルを見上げたままだったが、リデルは女の子に問う。
「あの家は貴方の家?」
嘗て自分の家だった場所を指差すと、女の子は指の先を追った後に頷いた。
「うん。私のおうち」
「そう……」
もしかしたら、彼女は自分なのかもしれない。
過去に戻って、幸せな時を見ているのかもしれない。そんな馬鹿げた考えが浮かぶ。
すると、家の玄関が開いて出て来たのは大人のエルフ。女の子の両親だと容易に想像できた。
「あの、うちの子が何か……」
自分の子が魔王軍の兵と一緒にいる謎の人物と話しているのだ。両親は不安に思うのも当然だろう。
女の子の父と母は少々ビクつきながらリデルへ問う。
「いえ、違います。大丈夫ですよ。街を見て回っているだけです」
慌てた魔王軍の兵がそう言うが、リデルは反応する事が出来なかった。
嘗ての自分の家に、嘗ての自分達のような家族が暮らしている。
父と母と小さな女の子。どうしても、過去の自分と重なってしまう。
もしも、人間がこの世界にいなかったら。
もしも、両親が奴隷として連れて行かれなかったら。
自分はこの女の子のように、ここで幸せな暮らしをしていたのではないか。
もしも。そう、もしも、だ。
そんなあり得ない結果を夢見てしまう。
(何でコイツ等は……。何で私だけが……ッ!)
それと同時に怒りが込み上げた。
何故、自分だけが。お前達の暮らす家に本来住むのは、自分と両親じゃないのか。なんでお前達がいるのだ、と。
ドロドロとした怒りと憎しみが彼女の心を覆う。今すぐに、この幸せそうな家族を殺して、その足で女帝を殺しに行きたいと思ってしまった。
最後は街に火を放ち、全てのエルフを皆殺しにしてやりたい、と。
爪が食い込む程に固く握りしめた拳からは血が垂れ、地面に一滴零れ落ちる。
リデルは殺戮衝動を何とか抑え、身を反転させた。
「……もう用は済んだ。帰るわ」
「あ、おい!」
彼女の願いはまだ叶えられない。まだ我慢しなければならない。
理解しているからこそ、必ず成し遂げるという意思があるからこそ、怒りを抑えられたのだろう。
リデルはフードの中で唇を噛み締めながら目に怒りを浮かべて涙を流す。兵士の声には応えず来た道を戻って行った。
読んで下さりありがとうございます。
次の展開へ続く前に、予定通りなら暗い話が後1話続くと思います。




