201 女帝の帰還と駐屯地の副団長
「陛下。無事のお戻り、何よりにございます」
「ええ。どうだったかしら?」
ファティマが帝都に帰還し、城の入り口で馬車を降りると待っていたのは彼女の右腕たる家臣。
彼女が不在中の城の様子はどうだったかと問うと、家臣の男は小さく首を縦に振る。
「特には。シズル様はトッド所長様とお茶をお飲みになられまして。作業は結局中止に」
「中止?」
「はい。何らかの不手際があったようで、また次回となりました」
「そう……」
ファティマが思案しようとすると、家臣の男はそっと小さな声で呟く。
「飲んだお茶は私も頂きましたが、特に異常は無く。体にも異常もありません」
「………」
ただ、単純に作業が出来なかったのだろうか。ただのお茶だったのだろうか。
疑いは思えば思うほど湧き上がるが……既に過ぎた事。今考えてもしょうがないと割り切るしかなかった。
家臣と別れ、ファティマが執務室を目指して城内の廊下を歩いていると、まるで見計らったかのように曲がり角から姿を現したのはトッドであった。
彼はニコリと笑いかける。
「おや。お戻りになられたのですか」
「ええ。先ほど」
ファティマは女帝という立場になってから培った表情筋のコントロール技術を駆使して平静を保つ。
そして、言葉は短めに。これが何よりのコツだ。
「大変ですね。視察は如何でしたか?」
「聖樹王国による支援のおかげか、平穏でございました」
そう言って彼女は頭を下げた。
「そうですか。それは何よりですね。急に視察へ行かれたので何かあったのかと思いましたよ。魔族と亜人が攻めて来たのか、と部下も心配していましたよ?」
肩が跳ねそうになるが、頭を下げたままだったのが幸いした。彼女は少しだけ奥歯を噛み締めてから、何事も無かったかのように頭を上げていつもの冷静な様子を見せる。
「いいえ。単純に政務でございますので」
「ふーん。精霊をあんなに気にしていたのに。それを部下に任せてまでの視察なんて心配になるじゃないですか」
トッドの視線が一瞬だけ鋭くなる。
対するファティマはネチネチと続く質問に心底『嫌なヤツだ』といつもの感想を抱いた。
だが、これはどう言い訳するべきか悩む。少々黙り込んだファティマは敢えて素直な気持ちを表に出す事に。
「それは……私がどうこう言える立場にないので。諦めました」
「ほう。諦め。諦めですか」
言われたトッドは意外な理由に笑いだす。
「ははは! まさか諦めたと言われるとは!」
彼が知っているファティマだったらもっと違う言い訳をしたのかもしれない。
だが、思っていた以上の素直な理由に腹を抱えて笑う。
「……失礼致しました」
表向きは同盟であるが、実のところは従属。従属している相手に『お前らに何を言っても無駄だろ』と言ったようなモノだ。
ファティマは深々と頭を下げて許しを乞う。
「いえ、いいですよ。笑わせて頂きました」
その言葉を聞き、ファティマは頭を上げる。
トッドは目尻から涙を零す程の笑ったようで、指で涙を掬い取っていた。
「これからは、何か諦めなければいけない事が起きないよう善処しますよ」
「はい……」
ファティマは再び頭を下げると、トッドの横をすり抜けて執務室へ向かって行った。
トッドは彼女の背中を見送りながら、
「まぁ、貴方次第ですがね」
薄く笑い、トッドは胸ポケットにあった携帯端末で時間を確認しながら廊下を歩いて行った。
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同日、トレイル帝国領土内にある聖樹王国駐屯地。
駐屯地に建設された司令官用簡易宿舎内では、この地を任された聖樹王国聖騎士団副団長であるブライアン・オオゴエが酒を片手に一日の日報を書いていた。
駐屯地で軍が何を行ったか、という内容を一日分書くのだが、最近の内容は特に代わり映えしない。
北西砦侵略に失敗した時は1ページでは収まらず、別紙として報告書形式で本国へ送ったりもしたが最近は静穏そのもの。
日々の訓練内容のほかに森からオークが顔を覗かせていた、慰安用のエルフが足りないなどの注文事しか書くことが無い。
いつも通り、形式に沿った内容を書いて部下達の訓練を視察しに行こうとした時、胸ポケットに入っていた携帯端末が鳴った。
ディスプレイに表示されるは親友であり、戦友である騎士団長様の名が。
「はい。こちらオオゴエ」
『私だ。こちらでの会議が終わった』
開口一番に飛び出した言葉を聞き、ブライアンは内心で「ようやくか」と漏らす。
『トッドの実験も終わり、成功したと報告を受けた。今年の選別の儀は2倍から3倍に増やすようだ』
「3倍も?」
『ああ。2次昇華薬に加えて、こちらの研究所で進めていた従属種の量産も同時に成功してな』
「そうですか。働きアリが増えるのは良い事ですね」
聖樹王国は何かと人手不足であった。特に奴隷のように働く労働者が足りない。
今まではファドナから労働者を集めていたが、あちらも王種族との戦いで数を大きく減らしてしまっている。
ファドナ騎士団も国民から徴兵して増員するという話しもあったので、労働者が減ってしまうと懸念の声が上がっていたが、それが改善されるのは喜ばしい事だと素直に思う。
『第2軍の兵も隊長格から2次昇華を行う予定だ。ファドナ軍とエルフ、聖騎士団1個大隊を現地に残し、お前はトッドを回収してから帰還してくれ』
ようやくこの退屈な日々からおさらばできる、とブライアンは歓喜する。
が、友の言った後半部分を思い出して声のトーンが下がった。
「トッドを回収……。いつです?」
トッドという男は実験の事になると他が見えなくなるタイプだ。
もしも、新しい実験内容が浮かんでいたら……もう少し待てと言われるだろう。そうなれば、ブライアンはまだこの地にいなければならない。
電話越しの騎士団長は彼の心情を察したのか、小さく笑い声を漏らす。
『安心しろ。機材の撤収準備を含めて2週間後には帰ると言っていた』
「そうですか。良かった」
面倒な事にならずによかった、と胸を撫でおろす。
「ところで、先に帰ったギルとシオンは?」
シオンとギル。
北西砦で王種族を捕獲するべく向かったが、結局失敗してしまった2人。
失敗したせいで主に何か罰を受けていないだろうか、と付き合いの長いシオンと弟の事が気がかりになっていた。
『安心しろ。姫様が庇って下さった。シオンはいつも通り。ギルは罰として訓練を倍にしている』
「ギルの訓練は5倍にして下さい。じゃないと、罰にならない」
心優しい敬愛すべき王と姫が庇ってくれた事に感謝しつつ、不甲斐ない身内に対しては容赦無く注文を入れた。
『次は必ず捕獲すると姫様も申していた。だが、数は指定するとも』
時間稼ぎが必要か。ブライアンはそう察した。
「わかりました。そちらは戻ったら詳しく聞きます」
『そうしてくれ。戻ったら、一杯やろう』
「ええ。楽しみにしています」
ブライアンは通話を切ると、同時に日報を閉じる。
「さて、戻る者の選定をしなくては」
独り言を呟いた声音はとても機嫌が良いと分かる。彼は制服の襟を整えると、部下達のいる訓練場へと向かうのだった。
読んで下さりありがとうございます。
本日で年内の投稿は終了します。
年明け投稿再開は1/4からとなります。
2019年、当物語を読んで頂き誠にありがとうございました。
来年もお付き合い頂ければ幸いです。
残り数日となりましたが、よいお年をお過ごし下さい。




