194 聖樹王国の姫 / トレイルの女帝
聖樹の根本がある神殿の最奥。
クリスティーナとキュリオは膝をつき、頭を垂れる。
一方で、太く大きい聖樹の幹に腰掛けながら彼らを見下ろす少年は大きなため息をこれ見よがしに吐いてみせた。
「君達人間は本当に使えないクズだね。僕から力を与えられながら、王種族一人捕らえられないとは思わなかったよ」
「……申し訳ございません」
少年の言葉に謝罪するキュリオ。隣にいるクリスティーナはピクリと一瞬だけ体を震わせた。
「男神を逃してしまった。僕の寛大な慈悲により更に力を与えた。なのに失態を続ける。全く以て人間の愚かさには、神である僕もほとほと困り果ててしまうよ」
少年は2人を馬鹿にするように、手をあげてヤレヤレと首を振る。
それからも彼の罵倒は続いた。
クズ、馬鹿、使えない。
自分が庇護する種族へ投げかける言葉とは思えない。だが、こんなものは日常的な一コマと言えるのだから彼らの関係性は異常と言えるのかもしれない。
例え信仰している神からここまで言われれば怒りを露わにするのが人というもの。
だが、キュリオとクリスティーナは表情に出ないようグッと耐える。
耐えなければいけない。耐えなければ、人間は簡単に消されてしまう。
例え自分達が便利な駒であると分かっていたとしても、心の内を表に出してはいけない。
目の前にいる幼い見た目をした神が自分達の内心を読み取れない事だけが救いだ。
「しかし、主よ。奴等は一度捕らえた味方を自らの手で殺したと……」
控えめながらキュリオが意見を言うと、神は笑顔のままに頷いた。
「うん。そうだね。あいつ等も散々僕に食われたんだ。学習はするだろうね。そこを踏まえて、君達には行動を示してほしかったねぇ」
「申し訳ございません。どうか、浅はかである我らに主の知恵をお授け下さい」
キュリオに代わってクリスティーナが土下座するように乞う。
彼女が縋る様子を見せれば神はクスクスと笑った。
「全くしょうがない。あー、しょうがない。君達は100年以上も全く変わらないね。慈悲深い僕が君達を元の世界から救い出した時から全く、これっぽっちも変わらない!」
「…………」
「この世界に来て、男神の眷属共と満足に戦えなかった時もそうだ! 君達は馬鹿の一つ覚えみたいに頭を下げて願いを乞うばかりだ!」
心の底から2人を小馬鹿にする笑い声が、神殿の最奥に響く。
(私達から、強制的に、奪ったくせに……!)
クリスティーナは自分達人間が今の……諸々全ての現状に怒りを滲ませる。
強制的にこのような状況にした元凶が高らかに笑う姿は、過去から今も尚彼女の心に恨みを蓄積させ続ける。
「まぁ、君達は大事な僕の眷属。見捨てはしないよ? だからちゃんと用意しようじゃないか」
「は……。ありがとうございます」
キュリオは娘が抱く心情を察しながらも、彼女を一瞥する事は無く形式通りに頭を下げる。
「そろそろ、選別の儀式でしょ。それまでに用意しておくよ。選別の儀で増えた聖騎士と一緒に、今度こそ魂を持って来てよね」
「はい。かしこまりました」
「主の寛大な慈悲に感謝致します」
「うんうん。僕は優しいからね。でも、次失敗したら……分かるよね?」
幼き神がそう言うと、頭を下げていたクリスティーナの頬を聖樹の蔓が撫でる。
次は無い。
失敗すれば自分の未来は……容易く想像できる。
クリスティーナの全身にゾッとするような怖気が走る。父であるキュリオも娘を失うかもしれないという恐怖に身を震わせた。
いつもそうだ。
いくら身を怒りに焦がしても、容易に抗う事は許されない。
だからこそ……。
「次こそは必ず。偉大なる主の為に」
「敬愛する主の為に」
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トレイル帝国帝城にあるファティマの執務室内には、部屋の主であるファティマと彼女の右腕である家臣が話し合いを行っていた。
話の内容はエルフ軍の領内警備部隊から齎された内容。
「常闇の森にいるオークが魔族と一緒に行動していた?」
家臣が警備部隊から上がって来た報告を行うとファティマはいつもの無表情を珍しく崩し、目を見開いて驚きを露わにする。
「驚かれるのも無理はありません。私も報告書を読んだ時は馬鹿な、と思いました」
オークは魔獣だ。それも知性ある種族達にとっては最も害悪な存在と言える。
言葉を理解できず、種族問わず異種族のメスを捕らえて繁殖する。
そんな愚かしい存在と一緒に行動する、そんな事を100年以上生きていながらもファティマは想像した事が無かった。
「しかし、本当なのか? 見間違えでなく? 繁殖用に囚われた女性じゃないのか?」
「いえ、行動していたのは男も女もいたと。遠見の魔法を用いての偵察中だったようですが、目撃したのは軍の中でも一目置かれるベテランの兵です。見間違いでは無いと思いますが……」
遠見の魔法という遠距離を透視する精霊魔法を用いた偵察を行ったのは軍の中でも実績あるベテランの兵士。
その兵士は軍の中でも、軍事部門の文官の中でも信頼は厚い。
そんな彼が確証の無い報告を上げるとは思えない。例え想像し難い内容であったとしてもだ。
「ですが、これはチャンスではありませんか?」
「森の中で魔族と接触を図る、か」
ファティマは眉間に皺を寄せて脳裏に策を巡らせる。
「常闇の森の中ならば領内にいる聖樹王国軍に目撃されません。それに森を通過してこちら側へ招ければ、聖樹王国軍の背後を取れます」
家臣の提案は魅力的だ。
だが、エルフは過去に魔族と亜人を裏切った。
種族存亡の為に裏切らざるを得なかったというのがこちらの認識だが、あちらはそう思うまい。
「あちら側がこちらを容認する対価を用意せねばならぬ」
「そう、ですね……」
エルフ達は人間の軍門に下り、元々この世界に存在していた種族達全てを裏切った。
種族存亡は出来たものの、人間からは奴隷のような扱いをされている。だが、先ほどの通りエルフ族の現状は魔族と亜人にとっては関係無き事。
それらを含めて、相手を納得させる為の魅力的な対価を示さねばならない。
「……私の代で帝国が無くなるかもしれんな」
エルフが捧げられる対価など、ほとんどありはしない。
この身を捧げて、などと言えれば良いが――ハイ・エルフである自分が死ねば精霊の管理が出来ずにエルフ族は魔法が使えなくなってしまう。
ならば、どうするか。
ファティマは全てのエルフの為に、あの世に行ったエルフの始祖達から売女、国賊と言われる覚悟をしなければならない。
存続を選び、裏切りを選択したのはファティマではなく自分の父。
きっと父もあの世で始祖達に罵られているだろう。親子2代で愚か者と呼ばれようとも、彼女は何としても現状を変えなければならない。
「陛下……」
「よい。全てに終止符を打つのも、先代の娘である私の役目だ」
ファティマは背後にある窓へと体を向け、茜色の空の下にある大きな森へ視線を向けた。
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