185 大手レギオンの選択 1
スーパーマーケットや冒険者組合が存在する魔王都南西エリア。
人々の喧騒が昼夜問わず響くエリアの中でも人が寄り付かない場所がある。その場所にポツンと立ちながら空を見上げる少女が一人。
まだ5歳くらいであろう少女は口を半開きにしながら黙って空を見上げる。
否、少女が見つめているのは青い空じゃない。大きな建物の窓であった。
『ママァァァァ!!』
『ママ? ママァァァ!!』
少女の耳に先ほどから届く声は母親を探す声だ。窓の向こう側から聞こえる声に、少女はただひたすら黙って耳を傾けていた。
「マリィちゃん!」
「あ、ママ!」
少女が窓の向こう側に何があるのか、と想像を膨らませていると自分の母親の声が背後から聞こえて振り返る。
「もう、ここは来ちゃいけないって言ったでしょ?」
「えー? でも、この建物の中にいる人、ママを探してるよ? ママ見つからないのかな? かあいそうだよ……」
少女は母親の胸に抱かれた後に、建物を指差して言った。
そんな娘の言葉に困った表情を浮かべる母親は、この建物をどう説明していいか分からず言葉に詰まってしまった。
「あのね。ここは子供が来ちゃいけない場所な――」
『ママァァァ!!』
「ねえ! ほら! ママを呼んでる!!」
「…………」
母親を呼ぶ声はどう聴いても成人男性の声である。
小さな男の子の声ならまだしも、成人男性が「ママ、ママ」と呼ぶ声が響く建物を子供に何と説明すればいいものか。
そもそも、この母親はこのイカれた場所に己の娘を一秒たりとも留まらせたくない。子供に説明をするよりも、そんな気持ちが勝った。
「マリィ。スーパーマーケットでお菓子を買ってあげるわ。行きましょう?」
だから、魔王国では少々高価な部類に入る『お菓子』というモノを買ってあげると口にした。
母親の持つ、とびきりの切り札だ。
今月の家計が少々圧迫してしまうが、それでも子供をこの場所から遠ざけたかったからだ。
「ほんと!? うわぁい! ママ! 早くいこ!」
子供という存在は良くも悪くも欲に忠実だ。
先ほど抱えていた疑問などどこかへ吹き飛び、今ではお菓子の事しか考えていない。
マリィと呼ばれた少女は母親の腕を掴むと、早く行こうと引っ張った。
母親はホッとしながらも、家でお菓子を食べさせる前にこの場所へ絶対に近寄ってはならないと念を押そうと決めた。
「…………」
そんな親子のやり取りを影から黙って見ていたのはサクヤとマグナだった。
2人は顔を見合わせた後に絶対に死なないと決めた。
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そんな決意を胸に秘めた2人がやって来たのは冒険者組合だ。
魔王都に来て既に1日。到着したのは昨晩の事で、魔王都側で待っていたソーンに案内されて街を見て回れず宿屋に直行だった。
ゲーム内の魔王都と比べて遥かに賑わう街の様子は新鮮であったが、今日はセレネとの会合がある。
観光したい気持ちを抑えて目的地にやって来た2人は現地魔族の受付嬢による案内で3階の会議室へ通された。
「おう。来たか」
会議室の中にはセレネと貴馬隊のメンバーが1人。商工会のレギオンマスターであるモグゾーはいないようだ。
サクヤとマグナはセレネの対面にあるソファーに腰を降ろし、サクヤだけが運ばれてきた紅茶を一口飲んだ。
「さて、うちのレギマスは今復活中でな。使い物にならねェ」
セレネの言葉を聞いて、サクヤは来る途中にあった『収容所』を思い出す。あの親子がいた建物だ。
外まで聞こえる「ママ」という絶叫。あれは死亡したプレイヤーが復活した際の後遺症であると説明を受けている。
なんだそれは、と聞いた時思ったが想像以上に酷いモノだったと今では思う。
あのママと呼ぶ声の中にユニハルトの声はあったのだろうか。
「ユニハルトが正気を取り戻す前に聞きたい。お前達、百鬼夜行は今後も大陸戦争に参加する気か?」
「勿論でありんす。もはや百鬼夜行はPvE専門レギオンではなくなりんした。新エリアのクエスト攻略の為にも大陸戦争に参加するのは必須事項でありんす」
サクヤ達のような後発組が運営から受け取ったクエストは1つ。
味方の領土を広げて魔族・亜人の生活圏を広げろ、という内容だ。
これは大まかな題材であるが、クエストアイテムである『繁栄の手帳』というアイテムを起動すると細かい内容が更に表示される。
例えば人間から領土を奪って街を作れ、補給線を構築せよ、といった目標を達成する為に必要な素材アイテムの収集など細かい指示が与えられている。
しかし箇条書きでいくつも条件がある事から全てをクリアしなければならない、といった事ではなさそうだと推測していた。
要は出来ることからクリアしていく任意制のクエストといった具合である。しかも、一人でクリアするのではなく、これは後発組全員に共通するクエストなので誰がクリアしても良い。
協力してクリアするのが基本であるが、サクヤやマグナの考えでは大手レギオンの百鬼夜行が先陣を切ろうという考えだ。
「足掛かりとして魔王国に拠点を構えたい。宿舎の用意はどうなっているでありんすか?」
サクヤが今宿泊している宿屋ではなく、貴馬隊のような専用の建物は用意しているのかと問うとセレネは首を傾げた。
「は? なんで俺達が?」
「はぁ? 宿舎を用意してくれんのでありんすか?」
考えの行き違いにセレネとサクヤは同時に疑問符を浮かべる。
「ここに来るまで少々街を歩いたが、既に商工会の宿舎は建築を開始しているようであったが?」
補足としてマグナが告げると、ようやくセレネは2人が言っている事が理解できたようだ。
「ああ。あれは商工会が冒険者組合の傘下に入ったからだ」
「傘下?」
セレネの言葉に次はマグナが首を傾げた。
「そう。商工会は冒険者組合の傘下に入って商売する事になった。アイツ等は冒険者組合の持つ販路と販売施設を使うし、大型工房も作る。対価は商工会で生産されるアイテム類の提供だ」
商工会は魔王国の経済を牛耳る冒険者組合の傘下にレギオン単位で下った。
これにより商工会は巨大な販路と商業施設での店舗利用権、専用の大型工房を手に入れたのだ。
対価は彼らが作るアイテムの独占権。商工会は冒険者組合のみにアイテムを卸し、冒険者組合が決めた金額で販売をして売上を得る。
「な!?」
マグナが声を上げて驚き、サクヤは黙ってはいるが目を見開いて驚きようを見せていた。
2人が驚くのも無理はない。商工会は自らアイテム販売をせず、資金稼ぎの機会を完全に放棄したからだ。
商工会が作るアイテムは質が良い。Ver2.0 で追加されたアイテムもある。稼ごうと思えば新エリアでも十分に稼げるはずだ。
だというのに、販売権を冒険者組合に預けるとは驚きどころの話じゃない。
「あー……。アイツ等、アイテム生産できるけど金無いからな」
セレネは驚く2人を見て、後頭部をガリガリと掻きながら言う。
そう。商工会は金が無い。アイテムを販売すれば、出品するだけ売れる。
だが、得た金は全て素材の補充に消えるのだ。
補充された素材を使って好き勝手アイテムを作るメンバー達。ドールの洋服を買い漁るレギオンマスター。
金は右から左へ。川の流れのように、どんどんと流れていく。売上金はあるだけ使うし、そもそも一日の売り上げを数えたりもした事はない。
とにかく経営なんぞ面倒だというメンバーが多いのも原因の一つだろう。商工会に所属するメンバーは生粋の技術屋で経営者じゃないというのが、あのレギオンを観察したらすぐに分かる。
故に全くレギオン金庫に金が貯まらない。それは新エリアに来る前もそうだ。
向こうでは既にシステムとして工房が用意されていたが、この世界は違う。現実世界故に建設しなければ工房は使えない。地面から生えてくるなんて事は無いのだ。
じゃあ、工房を作るには?
金がいる。
金だ。現実では金が全てだ。どこぞの竜人がそう言っていた。
「んで、メイメイとモグゾーが仲良いだろ? そこでイングリットが提案したのさ。出資してやるって条件でな」
アンシエイル・オンライン随一の生産レギオンである商工会を手中に収めた元凶は、やはりあの強欲竜。
といっても、今回はメイメイに頼まれたからでもあるのだが。
セレネの話では昨晩のうちにモグゾーがメイメイに相談し、メイメイがイングリットに相談し……という流れのようだ。
「今朝から建設開始した宿舎、明日から着工する大型工房。両方合わせて1億エイルをポンと出してたぜ」
アイツはどんだけ金持ってるんだ、と首を振るセレネ。
サクヤとマグナは口を開けて呆けていたが……。
「宿舎の値段はいくらでありんすか?」
「土地代含めて1億くらいじゃねーの?」
「何ででありんすか! 商工会は工房も含めて1億でありんしょう!」
セレネは少し考えてから金額を言うが、明らかにおかしいと異を唱えるサクヤ。
「いや、だって。この辺りの土地は全部イングリットの土地だし。土地代含めてって言ったろ。このあたりは冒険者組合関連の施設が出来てから高騰してんだ。細かい事はルルララ……は今いないから、下の事務員にでも聞いてくれ」
冒険者組合が出来てから魔王都南西エリアの土地は爆上がり中だ。最早、魔王都内では一番高い。
利便性の高い商業施設や依頼をこなしてくれる冒険者組合、美味い食事を出す冒険者食堂と屋台群。
誰もが南西エリアの近くに住みたいと口を揃えて言うくらいに人が集まる場所。となれば、土地も高くなるのが必然である。
「という事は、土地代の値段交渉するなら大元のイングリットに相談せねばならんか?」
マグナがガイコツの顎を骨の手で摩りながら問うとセレネは頷きを返す。
「そうだな、それが手っ取り早い。それか、商工会みたいに傘下に入るかだな」
「ぐぬぬ……!」
傘下に入るというワードがサクヤは気に入らないようで唸り声を上げる。だが、拠点は欲しい。
どうすれば最善か、と1時間程度悩む2人であった。
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