169 赤竜姫の役目
顔を半分破壊された巨大デキソコナイは床に沈む。
だが、イングリットは相手が絶命したにも拘らず攻撃の手を緩めることはなかった。
鋭利な爪で相手の死肉を切り裂き、引き千切っては遠くへと投げ捨てる。
憎き怨敵を許すまじと続けられるそれは、自分や仲間が死にそうになった事への報復ではなく別の何かが含まれているような。
死肉を弄ぶイングリットを見ながら、シャルロッテは内心で「あれはマズイ」と思った。
あんな姿は自分の知るイングリットではない。それに先ほどの戦いぶりもそうだ。怒りで力を高めるのは赤竜族の特権ではあるが、あれは怒りなんてものじゃない。
あれは恨みや怨嗟の類であると一目で分かる。
怒りで防御を捨てて捨て身の攻撃をする姿はまだしも、イングリットは死を迎えた者を弄ぶような男ではない。
彼の中に別の意志があるような……シャルロッテの中にある『何か』が違うと叫ぶ。
「あれは……イングなの?」
気絶しているメイメイを介抱するクリフも様変わりしたイングリットの後姿に違和感を覚えたのか小さく呟く。
「違う。あれはイングじゃないのじゃ」
シャルロッテは首を振りながらクリフの呟きを否定する。
あれはイングリットじゃない。
確かに窮地から脱したのは今の彼のおかげだ。でも、違う。
今のイングリットは鎧が変化してまるでブラックアダマンタイトの鱗を纏ったリザードマンのような姿。あれに竜の翼と尻尾が生えたならば、ブラックドラゴンと呼べるような姿になるだろう。
だが、違う。イングリットという竜人にはあんな姿は似合わない。
本当の彼はもっと気高く、安心感のある背中を持った赤竜王として相応しい姿があるとシャルロッテは本能で否定した。
彼女は未だ死肉を弄ぶイングリットへと近づいて叫ぶ。
「イング、止めよ!」
だが、彼は振り返る事もなく両腕を振るい続ける。
「止めよ! 止めんか!」
少々怒気を含ませてもう1度叫ぶと、ようやくイングリットは彼女へと振り返る。
彼の赤い目には盾としての信念はない。恨みと怒りの篭った瞳をシャルロッテへと向ける。
「ガァァ……」
邪魔するな、邪魔するならばお前も殺すと言わんばかりの殺意に満ちた視線を向けられる。
付き合いの長いクリフでさえ、身をビクリと跳ねさせた後にシャルロッテへ下がれと叫ぶ。
しかし、視線を向けられている当の本人は怯まない。
「お主、何者じゃ?」
「………」
彼女がそう問うが、視線を向けられたまま答えは返って来ない。
「妾のイングを返すのじゃ!」
シャルロッテは内心で沸々と怒りが湧きあがってきた。それは彼女の中にあるモノが『違う』と叫び続ける事への同期から引き起こる感情だった。
返答の得られなかったシャルロッテが叫ぶように言うと、次はリアクションを起こす。
だが、最悪のリアクションだ。イングリットは鋭利な爪のある腕を振り上げ、彼女の頭上へ振りかぶった。
「やはりイングではないのだな!」
彼女はこの行動で確信を得る。
自分の知るイングリットという男は仲間に攻撃を加えるなどという行動は起こさない。仲間思いで、自分が傷付こうとも仲間を守る彼が自ら仲間に危害を加えるなどありえない。
何者かがイングリットを支配している。
確かに自分が今生きているのは、彼の中にいる何者かのおかげである事は十分に承知している。
だが、自分の中にあるモノが恩着せがましく私の最愛を勝手に支配するなと叫び続け、それに呼応するように彼女の感情もより昂ぶっていく。
「返せ! 妾のイングを返すのじゃ!」
怒りに満ちた声を上げると、彼女の体に赤い魔力が渦巻く。
目はドラゴンの瞳になり、背中のコウモリ羽がドラゴンの翼へと変化し、尻尾もドラゴンのモノへと変わっていく。
それは勇者と対峙した時に見せたドラゴニュート化。あれ以降、一度たりとも使えなかった力が再び覚醒した。
彼女が纏う赤い魔力がイングリットの赤黒い体に纏わり付くと、振り被った腕が宙で止まる。いや、動かせなくなった。
「ガッ!?」
ぐ、ぐ、っと何度も力を入れて目の前にいるシャルロッテを叩き潰そうと試みるが全く動かせない事に驚愕の声を上げる。
この隙に彼を攻撃すれば、誰もがそう思うだろうが彼女の取った行動は違う。
彼女はゆっくりと歩み寄って、イングリットの背中に腕を回した。
「イング、戻って来るのじゃ。一緒にいてくれなければ、妾は困るのじゃ」
シャルロッテは彼の竜のような兜を見上げながら、優しく言葉を掛ける。
すると、振り上げていた腕がゆっくりと下がって生えた腕の鱗がパリパリと剥がれ落ちていき、赤黒い腕は失われた。
膝に力が入らなくなったのか、イングリットはずるりと崩れ落ちると竜の頭を模していた兜が真っ二つに割れて床に転がる。
兜の中から出て来たのは見慣れたイングリットの顔。シャルロッテ好みのワイルド系イケメンが顔を晒した。
「シャ、シャル……」
「良いのじゃ。よく頑張ったのじゃ」
イングリットの顔を自分の胸に抱きしめた後、少しだけ彼の顔を持ち上げてシャルロッテは彼の唇にキスをする。
赤い魔力が2人を渦巻く中で、イングリットは最愛の胸に抱かれながら意識を手放す。
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「ああああ!! 妾は何してるんじゃあああ!!」
床をゴロゴロと転がるのは先ほどの慈愛に満ちた雰囲気から一変したシャルロッテ。
クリフの目の前でイングリットと接吻などという行為をしてしまった彼女は我に返ると恥ずかしさで床を転げまわる。
「いやー、まさか目の前で熱いチッスをするとはね~」
事が収まったことに安堵したクリフはイングリットの腕をくっ付けて元通りにしたり、メイメイの治療して一息つくと先ほどの事をイジり始めた。
といっても別に悪意があるわけじゃない。イングリットとシャルロッテの仲が少々進展しているのは随分前から気付いていた。
いや、見ていてじれったいとすら思っていたのだ。
元々2人は魔力供給という切っ掛けで生まれた関係であったが特別な仲に進展してもおかしくないとも思っていたし、クリフはどちらも大切な仲間として受け入れている。
故に、そんな2人が恋人になったとしたら。こんなにも嬉しく、祝福したいと思う事はないだろう。
「妾のイングを返すのじゃ!」
「あああああッ!!!」
クリフが声真似をするとシャルロッテは耳まで真っ赤にして顔を手で覆い隠しながら床をゴロゴロと転がる。
「ははは、でも実際助かったかな。またイングがああなったら、シャルちゃんがどうにかしてくれそうだしね」
「う、うむ……。でも、妾はまだまだじゃ。もっと力をつけて役に立たねばならぬのじゃ」
顔を真っ赤にしたままムクリと上体を起こしたシャルロッテはクリフから顔を背けながらも呟く。
「そうかな? 竜化で体が変化しても倒れなかったし……。それに呪いやボウガンの使い方も上手くなってるじゃない」
竜化する能力は魔力欠乏症で倒れないように、とクリフに使わないように制限されていたが彼の監修の元少しずつながら訓練は行っていた。
しかし、今日まで再び発動する兆しは見えていなかったのだが。
「竜化のコツは何となくじゃが分かったのじゃ」
クリフへ振り向いたシャルロッテの目が赤い魔力を帯び始めるとドラゴンの目へと変化する。
どうやら今回の事で任意かつ部分的に使えるようコツを得たようだ。
「愛の力だね」
ニコリと笑うクリフにシャルロッテは再び顔を背けた。
「でも、誰かの為にって気持ちはステキな事なんじゃないかな。そういう気持ちはきっと……強さになるよ」
「お主もそうなのか?」
クリフの言葉にシャルロッテが返すと、クリフの脳裏にノイズ塗れの映像が一瞬だけ過ぎる。
映像には顔の分からない女性が自分を見下ろす姿。どういう訳かは分からないが、相手が自分を見下ろしながら泣いているのが理解できた。
「クリフ?」
黙ってしまったクリフにシャルロッテが声を掛けると、彼は我に返って慌てて笑顔を浮かべた。
「あ、ああ、そうじゃないかって事だよ。よく聞く話だしね。因みに、2人が恋人になっても私とメイは一向に構わないよ。このパーティは恋愛禁止なんて規則はないしね!」
どこぞの馬が作ったレギオンのように、パーティ内恋愛禁止などという規則はないと胸を張って言い放つ。
「う、うむ。べ、別に恋人などと……」
ゴニョゴニョと小声で呟くシャルロッテをクスリと笑ったクリフが立ち上がる。
「2人が目を覚ましたら行こうか。それまで私は周囲を調べてくるよ。シャルちゃんは2人を見てて」
「分かったのじゃ」
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