156 北西砦に落ちた男女
北西砦内にある司令室には貴馬隊のメンバーが常駐しており、統括的権限を任されていたのはカク猿族のメンバーだった。
彼はセレネから受けた命令通り砦の城壁に魔王軍を配置して防衛に備える。
防衛のみに注力してこちらからは手を出さない。その理由は圧倒的な戦力差があるからだ。
ハーピーによる上空偵察によれば北西砦から50キロ以上離れたトレイル帝国領土内に、一ヶ月ほど前に聖樹王国の騎士団が到着。
駐屯地を構築してトレイル帝国の首都である帝都周辺の守りを固めているという。
その報告だけならばまだ安心出来た。だが、北西砦からやや北東に位置するファドナ皇国の作った駐屯地にも聖騎士部隊が何組か派兵されているようだ。
現代の魔族・亜人最強と謳われる貴馬隊メンバーを苦しめた聖騎士の噂は既に魔王軍・ジャハーム軍両軍の上層部の耳に轟いている。
勿論、この砦を指揮するカク猿のメンバーの耳にも入っていた。
そんな強者達を数少ない貴馬隊メンバーと魔王軍だけで進軍して相手しようなど愚の骨頂。中核を担う貴馬隊メンバーが倒され、勢い付いた敵はついでとばかりに北西砦を落としにやって来るだろう。
故に防衛。無理をしない。無駄に命を落としてキルレートを下げるなど初心者特有の愚かな行為に走らない。それが上位メンバー!
「つってもよ~。いつ攻められるか分からんからな~」
カク猿のメンバーは椅子に座り、足を机の上に乗せながら鼻をほじっていた。
こちらが手を出さなければ相手も手を出して来ない、なんて道理は通じない。それが人間とエルフだ。
しかしながら上位メンバー達は何度も修羅場を切り抜けた猛者達。常に冷静沈着で「相手が来たらとりあえずキルするけど」くらいの気構えを見せる。
「魔王城からの指示も応援も期待できません。如何致しますか?」
だが、余裕を見せるのは貴馬隊のメンバーだけだ。
最大戦力である貴馬隊すらも苦戦する相手が目と鼻の先にいると知る魔王軍の軍人達は常に緊張していた。
先の戦いでは防衛できた。しかし、それは相手がファドナ騎士だったからだ。
ファドナ騎士にも苦戦する魔王軍がそれ以上の力を持つ聖騎士と相対すれば瞬殺されてしまう。
いつ攻めて来るか分からない恐怖。対峙した時が人生最後になるかもしれないという恐怖。そのまま故郷にいる家族すらも殺されてしまうかもしれないという絶望感。
だと言うのに本国からの応援や指示も来ない。足掻こうにも足掻けない、底なしの沼に嵌ったような感覚と表現すれば良いだろうか。
これらが軍人達の胸の内に渦巻き、極度の緊張となって周囲の仲間達にも伝播していた。
「如何しますかってよ~。待機だよ。待機」
「し、しかし……」
「このまま何もせず、相手が攻めて来るのを待つだけですか!?」
軍人達は見えない恐怖に怯え、完全に焦っている様子。余裕を見せる貴馬隊に苛立ちを覚える軍人もいるようだ。
「あ~? じゃあ、訓練しろよ。訓練。少しでもパッシブスキル上げて自己能力の研鑽に勤しめよ」
カク猿のメンバーや他の貴馬隊メンバーが現状の軍人達に何もさせていないわけじゃない。
砦内にある訓練場では案山子を相手に武器を振るわせ、模擬戦も繰り返し行わせている。
この指示はパッシブスキルという常時発動型の基本スキルを最上とし、大陸戦争において最後に頼れるのは装備差ではなくパッシブスキルの多さであると豪語する貴馬隊ならではのモノ。
案山子相手の素振りや模擬戦で得意武器を扱う為のパッシブスキルが上がれば良いと目論んでいたが、そもそも現代人達は「パッシブスキルって何?」と首を傾げていた。
プレイヤー達はゲーム内のスキル情報を知っているし会得しているが、現代人は『魔法』の存在は知るものの『スキル』という存在も概念を知らない。
パッシブスキルを上げろ、と指示されても意味不明である。それを詳しく教えない貴馬隊にも問題がある。
訓練をしろ、という指示は理解できるし訓練すれば己の力を磨いて抵抗せよというのも理解できる。だが、意味不明な単語が引っ掛かって若干の不審感を感じているのも否めない。
ようするに、彼らが抱える大きな恐怖感もあって訓練に身が入っていない状態だった。
「しかし、何か突破口や事前に策を用意しなければ……」
軍人達が抱える『最後の望みである貴馬隊すらも殺されてしまう』という恐怖が大きすぎて即効性の力を求めてしまっているのも問題だ。
例えば、伝説級の剣があれば、とか。人間達が使う兵器のようなモノを作りましょう、とか。
非現実的な力を求めたり、目に見える安心感を欲してやや現実逃避する状況に陥っていた。
「だからよ~。最終的に頼れるのはパッシブスキルっつー基本がね? いくらレジェンダリー武器を持っててもそれを扱う重要なスキルが――」
「し、失礼します!!」
如何に武器パッシブスキルが重要かと説明している最中に一人の軍人が勢いよくドアを開けて司令室に駆け込んできた。
駆け込んできた軍人の顔を見て「遂に敵が動き出したか」と焦る魔王軍の面々。
だが、彼の口から出た言葉は――
「そ、空から人間の男とエルフの女が降って来ました!!」
何というファンタジー。
カク猿は異世界で絶大な人気を誇るというジ○リを思い出した。
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「いたッ!」
「うぐッ!」
地上から1メートルほどの高さから落ちてきたのは聖樹王国から転移魔法で飛んで来たユウキとリデルであった。
「こ、ここは……」
背中から地面に落ちたリデルは痛みに顔を歪めながらも周囲を見やる。
転移魔法に設定した座標はトレイル帝国から1キロ離れた場所だったはず。だが、目の前には大きな壁と砦が見える。
母から聞いていたトレイル帝国周辺の景色と違うし、聖樹王国で狩りをしているエルフ族の持っていた地図を見た時には帝国周辺に砦は無かったはずだ。
「もしかして……」
リデルは横に転がるユウキを睨みつけた。
転移魔法を発動させる為の陣は非情にデリケートなモノだ。転移させるモノの詳細を組み込み、細かい計算を陣に書き加えなければならない。
発動寸前で魔法陣に飛び込んできた異物のせいで計算が狂い、指定座標からズレてしまったのかと推測した。
「チッ。最後の最後で邪魔して! 役立たずのクセに!」
彼女が蹲るユウキの背中に暴言を吐くと彼は顔中に脂汗を浮かべながら苦悶の表情を向けた。
「リ、リデル……! クソ、クソォ……」
ユウキは転移寸前で彼女が口にした事を詳しく話せ、と言いたい。だが、斧で切断された手首から流れる血の量が多すぎて意識が朦朧としていた為に上手く喋れない。
なんで手首を切ったのか、なんで裏切ったのか、口にしていた生贄とは何なのか……親切に魔法を教えてくれていた時の彼女は偽りの姿だったのか。
今まで積み重なってきたリデルというエルフの女性の姿が脳内でぼやける。
親切にしてくれて、仲間と言ってくれて、笑顔を向けてくれた彼女。接するうちにユウキはリデルに恋心を抱いていた事も否定できない。
好きになっていた女性が裏切った、という真実はまだ若いユウキにとっては受け入れ難い事だろう。
自分の目で、耳で知った事と脳内にある彼女の姿が重ならず、混乱を極めていた。
「さっさと移動しないと……。えッ!?」
ユウキから視線を外し、1人でこの場から離れようとしたリデルであったが、こちらに向かって来る一団を見て驚愕の声を上げる。
彼女の視線の先にある砦からやって来るのは魔族だ。
ここは魔族の住む領土内で目の前にあるのは魔族が守る重要拠点だと理解する。転移魔法の座標はユウキが飛び込んできた事で随分と狂ってしまったようだ。
「なんでよ! ようやく地獄から逃げられたのに!」
彼女は頭を抱えながら状況を打破する策を考える。
向かって来る魔族は20人程度。さすがにハイ・エルフである彼女といえど戦闘経験が不足しているので20人と戦うのは論外だ。
走って逃げてもすぐに追跡されてしまうだろう。
それに魔族の領土内付近となれば侵略目的で駐屯する人間がいるはず。外の世界にいる人間に見つからないよう帝国近くに座標を設定したのに……。
全てコイツのせいだ、ともう1度ユウキを睨みつけた。
「そうだ!」
彼を睨みつけて1つの案を見出す。逃げられないのであれば、逃げなければ良い。
魔族はエルフと敵対しているが、有力な情報を提供すれば保護してくれるかもしれない。なんとも甘い考えに思えるが、今の事態が差し迫ったリデルに取れる策はこれ以上に上等なモノがあるとは思えなかった。
彼女が提供できるのは聖樹王国の内情、それと――這い蹲るユウキ。
敵の情報と異世界からやって来た者を差し出せば、自分が助かる見込みはある。
「感謝しなさい。私の為に生かしてあげるんだから」
そうと決まればユウキが死んでしまっては困る。リデルは回復魔法を使って彼の切断された腕を癒して流れる血を止めた。
回復魔法を受けたユウキの腕は新しい手が生えてくる……なんて奇跡は起きない。
彼の腕は魔法陣のあった雑種街の一室に置いてきてしまった。回復魔法で欠損した部分を直すなんて禁術の類はいくらなんでも使えないし、使えたとしても使う気が無い。
血が止まって出血死しなくなっただけも感謝してもらいたい、と一方的な感情を睨みつけながらユウキに押し付けた。
「なんで、俺は、な、なんで……」
出血は止まったが朦朧とした意識の中でうわ言を漏らし続けるユウキ。魔族との接触時に彼がヘタな事を呟かれても困る。
「うっさい!」
故にリデルはユウキの顎を思いっきり蹴飛ばして意識を刈り取った。
黙った彼を見下ろしていると、丁度近くにやって来た魔族達は武器を構えながら2人を包囲する。
リデルは両手を上げながら投降する意思を見せて口を開いた。
「こちらに抵抗の意思はないわ。私は聖樹王国から逃げて来たの。情報提供する代わりに保護して欲しい」
彼女の申し出に顔を見合わせる魔族達。
少々悩んだ部隊長の魔族は槍の先を彼女に向けながら大人しく付いて来るように告げた。
読んで下さりありがとうございます。
ストックが溜まるまでまた2日に一度の投降になります。




