151 夢のような日々の終わり 1
ユウキへ30分後に待ち合わせと言ったリデルは中央街の路地裏で準備を整えていた。
準備と言ってもやる事は簡単だ。
この一ヶ月で集めてきた魔石を使って王都を混乱させる。これだけ。
勇者達が倒した魔獣から魔石を回収し、ユウキ達に魔法技術を教えるという名目で数個だけ使う。余った物を懐に入れて少しずつ貯めていたのだが、この日の為に100以上の魔石を彼女は集めた。
人気の無い路地裏に魔法陣を書く為の道具――魔石を研磨して作ったチョークのような魔道具で地面に特定の魔獣を召喚する為の召喚陣を描く。
召喚する対象は『腐臭ネズミ』『飢餓虫』『空腹イナゴ』の3種類。飢餓虫はご存知の通り、鉄でも肉でも何でも食べる最悪の虫系魔獣である。
他2種類の腐臭ネズミと空腹イナゴも飢餓虫と大体同じ性質を持った小型の魔獣。何より3匹の共通点は何でも食して体が小さく厄介、という点だろう。
1つの魔石を触媒にして召喚すると大体10匹程度が召喚されて姿を現す。100個以上の魔石を使って3種類の魔獣を街中で使えば……どうなるかは想像するに容易い。
召喚魔法というのは通常、召喚者を認識できるくらいには知性のある魔獣を召喚して使役する。
しかし、この3種は知性など欠片も無い。
召喚した途端に動き始め、近くにいる召喚者すらもエサとして認識するので召喚術を開発したエルフ族の中ではタブーとなっている魔獣達だ。
だが、リデルは解決策を持っていた。
勇者達がキャンプする際に使う魔獣避けの魔道具をちょろまかして自身の腰に備え付ける。これで効果が切れるまでは襲われる心配は無い。
ガリガリとチョークで召喚陣を3種類描き、陣の中央に魔石を配置。順次、召喚を続けた。
普通のエルフなら召喚魔法を連続で行う事など出来ないが、彼女の正体はハイ・エルフ。持っている魔力量の桁が通常のエルフとは段違い。次々と混乱の素は召喚されていった。
キチキチ、と歯を鳴らす飢餓虫は目に付く物を食い荒らし始める。
路地裏にある壁を食う虫もいれば、もっと美味い物があると気付いて路地裏から表通りを目指す虫も見られる。
空腹イナゴは空中に飛び上がり肉の匂いを辿って中央街の食堂が並ぶ場所を目指し、腐臭ネズミは名の如く腐った物を好むので王都にあるゴミ捨て場の方角へ群れで移動し始めた。
「ふう。これで終わりね。急がなきゃ」
全ての魔石を使用したリデルは額に浮かぶ汗を服の袖で拭きながらユウキの待つ場所へ走る。
早くしなければ正義感の強い彼がリデルが召喚した魔獣の討伐に参加してしまうだろう。その前に確保しなければならない。
向かっている途中で人間の悲鳴が耳に届く。恐らく裏路地付近にいた人間が魔獣の姿を確認したのだろう。
まだ待ち合わせの場所まで距離があるのでユウキが気付くまで時間はまだありそうだ。
待ち合わせの場所である中央街の噴水前に行くと周囲はまだ平和そのもの。虫やネズミの出現に気付いている者はいない様子。
間に合った、と安堵しながら噴水の前で立つユウキを見つけるとリデルは駆け寄りながら手を取った。
「ユウキ!」
「リ、リデル!? どうしたの? 着替えて来るんじゃあ……?」
彼女がユウキの手を掴んだ瞬間、後方から悲鳴が上がった。
「ま、魔獣だ! 虫の魔獣がいるぞォォォ!」
声の方角に振り向く2人。
そこには屋台があり、屋台の屋根には飢餓虫が数匹へばり付きながら木材を食べていた。
他にも鉄板の上にあった商品を食い荒らすイナゴと屋台の亭主の足に齧りつく飢餓虫もいるようだ。
屋台の亭主は「痛い、痛い」と悲鳴を上げ、近くにいた利用客も手に持っていた商品を投げ捨てて逃げ始めていた。
襲われた始めたのは一箇所だけではなく、通りの向こう側にあったカフェからも悲鳴が聞こえ始める。
「おい、行くぞ!」
「ああ!」
その悲惨な様子を見たユウキの護衛騎士は現場に向かって走り出す。
護衛騎士は剣を抜いて飢餓虫を刺し殺し、イナゴを両断するが彼らの視線の向こう側には逃げ惑う一般人と虫共の群れが映る。
「何だこれは!?」
「おい、応援を呼べ!!」
緊急事態に護衛騎士達は慌てふためき、ユウキを護衛するどころじゃない。
大陸の覇者であり、異種族よりも強い人間は飢餓虫や空腹イナゴなどと戦って死ぬ事はないだろう。
しかし、例え弱い魔獣であろうとも群れになれば駆除に時間が掛かる。
私服騎士や騒ぎを聞きつけてやって来た騎士達も街に突如現れた魔獣の駆除に集中し始めた。
その様子を視認したリデルは薄く笑う。
計画通りに進んだ。別に人間を殺そうとも思っていない。ただ、自分が成す事の時間を稼げれば良い。
人間共が夢中になっている間に目的地まで彼を連れて行けばいいだけだ。
「ユウキ、着いて来て!」
「え!? あの魔獣を倒さなきゃ……!」
「いいから! 走って!!」
リデルはユウキの腕を引っ張りながら走る。目指す場所は雑種街にある自分の住処。
「待ってくれ! 何だ、何なんだここは!?」
中央街の裏路地を駆け抜け、地下鉄入り口のような階段を降り、地上とは全く違う姿の雑種街を見たユウキは悲鳴のような声を上げた。
それもそうだろう。
地上には痩せこけて今にも死にそうなエルフはいない。人間に殴られてぐったりしているエルフもいない。店の中からエルフの悲鳴と人間の笑い声が聞こえるような店も存在しない。
この国の闇を凝縮した世界にユウキは戸惑いと混乱で頭が一杯になり、腕を引っ張るリデルに説明を求めるが彼女は一言も答えない。
早くしなければこの場にも召喚した魔獣がやって来るだろう。モタモタしていたらユウキの腕輪に刻印された位置探知の印を頼りに捜索しに来た人間達が追って来るかもしれない。
それらを考えれば答える余裕など無い。今彼女の頭の中には目的地を目指すこと以外無かった。
猛スピードで雑種街を走るリデルと人間を見て驚くエルフ達だったが、何事かと疑問に思いながら走る姿を見送るだけ。
リデルは背中に視線を感じながらも自分の住む寂れた酒場へと辿り着く。
入り口の扉を足で蹴るようにしながら強引に開けて、驚くバーテンダーの老人の顔を見る事も無く地下へと駆け下りる。
自室の扉を開けて中にユウキを入れたら鍵を閉めた。加えて念のために少しでも時間を稼げるように机をドアの前に移動させて完全に塞ぐ。
「お、おい! 何がどうなってんだ!? いい加減説明してくれ!!」
何も説明されず、状況が掴めないユウキは少々声に怒気を交えながら叫ぶ。
「その腕輪を貸して!!」
しかし、リデルは彼の言葉には答えず腕に装着された腕輪を掴んで引っ張った。
だが、腕輪は外れない。
魔法のような力で固定されているのか、いくら引っ張っても腕から外れない。
自室の床に描いた転移魔法の魔法陣中央に神力の宿った腕輪を置かなければ魔法陣は起動しない。ユウキを中央に添えれば起動するかもしれないが、彼のようなお荷物を連れて行くのは御免被りたい。
舌打ちをしたリデルは外れない腕輪を見ながら考える。ここまで来て後には退けない。あと一歩で自分の野望は叶うのだ。
考え、閃いた答えは『強引に外せば良い』だった。
リデルはユウキの腕を引っ張りながら床に転がる護身用の手斧を拾い上げる。
「お、おい!? 何するんだ!! まさか!!」
そして、リデルが何をするのか想像した抵抗するユウキの腕を強引に机の上に置いて――リデルは精霊力と魔力を使って身体強化を図りながら思いっきり手斧を片手で振り下ろした。
「ぎゃあああああ!!!」
ズパン、と肉と骨を叩き切る切断音から少し遅れてユウキの絶叫が室内に木霊する。
腕輪の嵌っている手首を切断されたユウキは切断面から溢れる血を無事な手で抑えながら地面にうずくまった。
そんな彼の様子など微塵も気にしないリデルは切断した腕から腕輪を抜き取る。推測通り装着者から離れれば固定の魔法は無効化されるようだ。
血まみれになった腕輪を魔法陣中央に置いた彼女は魔法陣を起動するべくその場にしゃがみ込む。
胸ポケットから取り出した魔法陣を描く為のチョークを取り出し、起動スイッチとして意図的に描いていなかった最後の部分を陣に書き込んだ。
最後の一文字を書き込むと魔法陣中央に置かれた腕輪から力を吸い取り始め、魔法陣は徐々に青白く光り始める。
「よし!! 起動した!!」
力を充填し始めた魔法陣を見てリデルは歓喜の声を上げた。
ようやく、ようやくこの地獄から抜け出せる。
転移魔法に指定した座標はトレイル帝国のすぐ傍だ。転移して半日も歩けばエルフの住む場所に辿り着けるだろう。
村か街に辿り着いたら旅人か狩人見習いとして街に潜りこめば良い。
ようやく死んだ両親が夢見た生活を送れる。ここに残ったエルフ達がどうなろうと知ったことか。
両親を庇わなかった同族など、どうなっても構わない。手首を切断されたユウキがここで死のうと、もう自分はここにはいないから構わない。
「リ、リデル……!」
苦悶の声で自分の名を呼ぶ声にリデルは振り返った。
血が溢れる手首を押さえながら自分を睨みつける人間の青年に彼女は笑みを浮かべる。
「ありがとう。貴方のおかげで私は自由になれる」
青白い光が強まり、床の魔法陣が強烈に発光する中でリデルはユウキに礼を言った。
「ふ、ふざけるな……! なん、なんで……!」
何で裏切った、とユウキは叫びたかったが手首が燃えるように熱くて言葉を上手く発せない。
「何言ってるのよ。どうせ貴方は生贄にされるんだから、遅かれ早かれ死んでた。なら、私が死期を決めても構わないじゃない?」
何も知らず、ヘラヘラと勇者ゴッコを楽しむ異世界の住人。
「なんで、なんで……!! いけ、にえって……!!」
彼女の口から飛び出す意味不明な理論と未来にユウキは必死に問いかけるが……。
「私がどれだけ苦労しているかも知らないくせに。正義の勇者ゴッコをするアンタを見ると吐き気がする」
正義を語って弱者を救おうとする彼ら。目の前にいる本物の弱者の事は知りもしないくせに。
リデルは今まで溜め込んでいた本音を撒き散らす。
「まぁ、これでお別れ。じゃあね」
青白い光が一際発光した際にリデルは別れの言葉を告げた。
「リ、リデルゥゥ……!」
だが、発光した瞬間にユウキは力を振り絞って魔法陣内へと飛び掛った。
「きゃッ!? アンタ――」
飛び掛ってきたユウキを見たリデルは小さく悲鳴を上げたが、その瞬間に魔法陣は完全起動。
転移魔法を発動させた魔法陣の発する強烈な青白い光が部屋の中を包み込む。
光が収まると……部屋の中には誰の姿も無い。
残されたのは力が吸い取られてガラクタになった腕輪と魔法陣だけだった。
読んで下さりありがとうございます。
誤字報告もありがとうございます。本当に助かります。




