134 対聖騎士 4
ファドナ騎士を吹き飛ばしながら聖騎士へと駆けるイングリットの中では、止んだはずの声が再び響く。
声の主達は怨念の篭った声音で『殺せ』とイングリットへ呟き続ける。自分の内側で木霊する声に突き動かされ、聖騎士を殺さずにはいられない使命感のような感情が彼を支配する。
「貴様! ここは通さな――グギャ!」
「…………」
幻獣王型のデキソコナイと戦った時のように、怒りで我を忘れ暴れ回るような竜の雄叫びは一切無く。無言で聖騎士を睨みつけながら、道を塞ぐ『肉』を粉砕して行く。
大盾でファドナ騎士を吹き飛ばしながら貴馬隊へ剣を振り下ろす聖騎士の背中を捉えると、内側で響く声の1人が冷静な声音で呟く。
『まずは背後からの奇襲で1人目を殺せ』
声の通りに聖騎士の背中をロックオン。相手は聖騎士の隊長と共に貴馬隊4人と戦闘していた者だ。
イングリットは走りながら大盾を変形させ、ペンチの状態へ。
「ッ!?」
聖騎士の1人が背後から駆けて来る気配に気付き、体ごと振り返るがもう遅い。
持ち手をしっかりと握り締め、背後から飛び掛るようにして相手の腹を挟み込んだ。
「ぐあああッ!」
飛び込みと同時にペンチに挟まれた聖騎士は地面へと倒れ、いつぞやの金髪勇者と同じように地面に体を縫い付けられながら脇腹に感じる圧迫感に苦悶の声を漏らす。
ギリギリと腹が締め付けられ、白銀の鎧が嫌な音を立てながらへこむ。歪に変形した鎧が聖騎士の脇腹の肉へ食い込み、圧殺される恐怖が彼の心を支配した。
「こ、このッ!! はなせェェェ!!」
焦った聖騎士は必死になって金のオーラを纏わせた剣をペンチのハサミへ叩きつける。
ガン、ガン、ガン、と金属を叩く音が何度も聞こえるがハサミを斬る事は出来なかった。だが、何度か繰り返していると片方のハサミに小さなヒビが入り始める。
ギリギリ助かるかもしれない。そう思った聖騎士に余裕が戻ったように見えたが、それも一瞬の事。
「ぐぎゃあああ!?」
バキンと音を立ててハサミが白銀鎧の一部を破壊。破壊された箇所から飛び散った破片が脇腹に食い込み、ハサミから発せられる高熱が聖騎士の肉を焦がし始める。
着用していれば暑さも寒さも感じさせない聖騎士団ご自慢の鎧。だが、その下にある肉体は人間の物と変わりはしない。
「離れろ、離れろォォォ!!」
聖騎士は焦がされる肉の痛みに狂乱しながら、必死に剣をハサミに叩きつけた。
メキメキと肉を潰しながら焼き焦がすハサミに入ったヒビが徐々に広がって行く。このまま死ぬのが先か、ハサミが壊れるのが先か。
聖騎士の顔には数分前まであった余裕は全く見えず、荒い鼻息と鬼の形相を浮かべながら剣を叩きつける。
「離れろッ! 離れろよォォォ!!」
もう既に脇腹の骨はいくつか砕け、己の肉からは白い煙が立ち込めるようになっていた。脇腹の感覚も無くなった聖騎士は涙を流しながら助かりたい一心に叫ぶ。
「貴様ッ! 離れろッ!」
聖騎士の隊長が部下の異変に気付き、金色の斬撃をイングリットへ撃とうと上段構えを見せるが――
グチャン
遂に聖騎士の腹は押し潰され、焦がされた肉が両断される。
イングリットは無言で死んだ聖騎士を見下ろし、次なるターゲットへ兜の中で赤く光る瞳をゆっくりと向けた。
「貴様ァァァァッ!!」
まさか聖騎士が魔族に殺されるなどと夢にも思わなかった聖騎士の隊長は怒りの声を上げる。
怒涛の勢いで金色の斬撃を複数飛ばすが、イングリットは手に持っていたペンチで防ぐ。
だが、ヒビの入っていたハサミ部分に直撃して断罪の黒盾は壊れてしまった。唯一の武器が壊れてしまったイングリットはペンチを投げ捨て、両手をクロスにしながら聖騎士の隊長へ一直線に走り出す。
『奴等はアレとは違う。不完全で弱き者よ』
『不完全体など恐るるに足らず』
内に響く声はイングリットを前へ前へと突き動かす。飛んで来る斬撃で鎧の一部が破損しようとも構わず、急所である頭と心臓が破壊されなければ良いとばかりに。
「チッ! このッ!」
斬撃だけではイングリットを殺せないと感じた聖騎士の隊長は翼を動かし、急加速を行う。
両者は互いに急接近し、遂にはゼロ距離での近接戦闘へと移行。
「劣等種めがッ! 貴様等に負けるなどあってはならない!」
聖騎士の隊長は鋭い突きを繰り出すと、イングリットの肩口へと命中。黒鎧の肩にあったパーツが粉砕され、破片と共に中身の血肉を宙に撒き散らす。
しかし、肩の肉を抉られて散らす程のダメージを受けながらもイングリットは一切怯まない。
『肉など不要。骨が動けば十分である』
彼の内に無骨な男の声音が響く。
『仲間の武器を使いなさい。戦友の魂で悪しき者を打ち砕け』
凛とした女性の声は地面に落ちている武器を拾って利用せよと促す。
声の通りに動くイングリットは素早く地面に落ちていたショートスピアを拾い上げ、聖騎士の胸を目掛けて何度も突き出す。
だが、タンクしかやってこなかったイングリットに盾以外を使う技術は無い。聖騎士の隊長からしてみれば素人同然の突きであった為に、剣で全て防がれてしまう。
何度目かの打ち合いでショートスピアの刃が折れてしまい、聖騎士の隊長は隙が出来たイングリットへ鋭くコンパクトな突きをお見舞い。
心臓目掛けて突き出された剣の刃が吸い込まれる寸前、イングリットは手を剣へ向けて突き出した。
「なにッ!?」
剣は掌を貫通し、軌道がずれて胸には届かず。貫通した剣を抜こうとするが、イングリットは剣の柄まで掌を貫通させたまま伸ばした。
伸ばされた手は柄に届くと血を滴らせながらガッチリと握り締め、小手に仕込まれた射出口からアンカーが発射されて聖騎士の腕に絡まる。
ガチガチに巻かれたアンカーを外す事ができず、聖騎士の隊長の額から汗が流れた。
マズイ。そう思いながら顔を上げると彼の背筋が凍りつく。
目の前には兜のバイザーから見えるギラギラと光った赤い瞳が。明確な殺意と怨念が充満した赤き光は聖騎士の隊長を恐怖させるのに十分であった。
「まだだッ!!」
聖騎士の隊長は恐怖に支配されそうになる心を鼓舞するように叫びながら、腰に差していた短剣を引き抜く。
そして、恐怖の象徴であるイングリットの瞳へ向けてバイザーの隙間から短剣を刺し込んだ。
いくら魔族と言えど、目に刃を刺し込まれては無事では済まないはず。恐怖に打ち勝ったと安堵するが……。
ズドン、と胸の辺りで何かが爆発する音が響く。
聖騎士の隊長が視線を下に向けると、相手の腕が己の胸に密着しながら煙を上げているではないか。
煙を上げている物の正体は黒鎧のガントレットに仕込まれた魔石爆弾の発射機構。ゼロ距離射撃で白銀の鎧はへこみ、イングリットは最後の一発を続けて発射した。
「ぐがっ!?」
ゼロ距離射撃によって白銀の鎧は破損。聖騎士の隊長は胸に破片が突き刺さり、爆発で肉を焦がす。
彼がイングリットの隙を逃しはしなかったように、イングリットも怯んだ隙を逃しはしない。
武器が十分に扱えないイングリットは武器を使う事を諦めたのか、素手で相手の顔面を強打。
兜を装着していなかった聖騎士の隊長は鼻血を出しながらよろめく。
『殺せ』
『滅せよ』
『完膚なきまでに』
イングリットの拳は何度も聖騎士の隊長の顔面を殴りつける。何度も、何度も。
相手も抵抗すべくバイザーから引き抜いた短剣を振り回すが、黒い鎧に傷を付けるのみ。顔面を殴打され続ける聖騎士の隊長の抵抗は次第に弱まり、遂には短剣を手から離してしまった。
それでもイングリットの殴打は終わらない。鼻の骨を砕き、目を陥没させ、折れた歯が口から飛び出して兜にカツンと当たるが構わず殴り続けた。
容赦無い顔面の殴打は5分以上続き、いつしか戦場にはイングリットが顔面を殴打する音だけが響く。戦いを横目に見ていた敵味方問わず唖然としながら聖騎士の顔が歪な形に変形していくのを見ていた。
遂には聖騎士の隊長の膝が折れ、力の抜けた体はガグリと崩れそうになるがアンカーで繋がった状態では地面へ崩れるのさえ許されない。
そこへイングリットはトドメの一撃とばかりに振りかぶった拳を叩きつけると、聖騎士の首の骨が音を立てながら折れてダラリと背中の方へ垂れ下がった。
「………」
未だに聖騎士の死体とアンカーで繋がっているイングリットは兜の中や鎧の隙間から血を流しながらも無言で立ち尽くす。
だが、兜の中にある赤い瞳の光が消えると彼は地面に崩れ落ちて動かなくなった。
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