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W 003話 舞台の幕は上がる

 時を遡ること◯◯年前……


19◯◯年6月 『東京 とある料亭』


「お連れ様がお見えになりました」

 女将の声の後から「よおっ!」と軽く手を挙げながら一人の若い男が座敷に入って来た。

 体格が良い青年だ。


 部屋にいて既に料理に箸をつけていた若い痩身の男も「おおっ!」と気軽にそれに応える。

 気軽な応酬は更に続く。


「元気でやっちょるか!」

「元気でやっちょるよ!」

「儲かってまっか?」

「ぼちぼちでんな」


 二人とも訛りはない筈なのに下手な方言で遣り取りしている。

 まるでステレオタイプの関西商人を素人がわざと演じているようで聞き苦しいが、本人達は楽しそうにやりとりしている。

 

 しかし、もしこの遣り取りを他の者が見たら仰天したに違いない。

 先に座って料理を食べていたのは伏見宮博恭王。

 後から入って来たのは閑院宮戴仁親王。

 二人の皇族が料亭で密かに会っている。


「先にいただいてたぜ」

 伏見宮博恭王が陽気な口調でそう言った。


「どんぞ、どんぞ、おっ! これ、もしかして青ギスの天ぷらけ?」

 閑院宮戴仁親王はそれより軽い口調で返事をする。


「当たり。平成の時代じゃ幻となった東京湾の青ギスだよ」


「いいね! いいね! この時代に飛ばされて何より嬉しいのはこういう現代で幻の物が食える事だよ」


「まったくだ。こっちはホンマモンの江戸前のアサリの天ぷらだぜ」


「いいね、いいね。21世紀じゃアサリの95パーは中国産で、地元じゃ江戸前なんて食えなかったよな。おぉーっうまい!」


 二人は暫くの間、他愛もない事を話しながら美味い料理を楽しむ。


「で、どう思うよ、この状況?」

 暫く美味い料理に舌鼓を打っていた二人だったが、伏見宮博恭王が用件を切り出した。


「うーーーん。やっぱ、俺達をもて遊んでいる恐らくは高次元的な存在な何かの意思ってやつじゃないか」

 閑院宮戴仁親王はちょっとの間、考え返答した。


「そうだよなぁ。それしかねぇよなぁ」


「同じ人物にまたも憑依だか転生だかをしたって事は前回と前々回の結果が気に食わなかったのかもしれん」


「そうかもな。だが違うかもしれん。真実は分からん」


「確かに」


「それでも仮定として前々回の結果が拙くてこうなったと考えるのならば、俺の場合は海軍で日米開戦を回避する方向に持っていったからかもしれん」




 伏見宮博恭王は、何度も繰り返される夢か憑依か転生かわからない終わりなき人生において、前々回に伏見宮博恭王として生き、そして人生を全うしている。

 その次は閑院宮戴仁親王としての人生を送っている。


 今回の歴史では伏見宮博恭王と閑院宮戴仁親王の二人に同時になっていた。

 分身したのか、精神が分裂したのか、ともかく二人いるのが今回の歴史だった。



 前々回の歴史において伏見宮総長は「日独伊三国同盟」の締結に反対した。

 史実では「日独伊三国同盟」に賛成であり、海軍における推進派である。


 史実でも前々回の歴史でも1939年に海軍大臣になったのは吉田善吾中将だった。

 吉田海軍大臣は「日独伊三国同盟」の締結に反対であり、アメリカを敵とする事を回避しようとしている。

「(海軍はアメリカと1年しか戦えない。戦争を始めるのは暴虎馮河の愚である。陸軍に引っ張られず、軍備の再検討を含め、日本の今後を研究せよ)」と海軍の中堅幹部に言っていた。

 しかし、史実では「日独伊三国同盟」を推進する声は大きく、心労が重なり身体を悪くして辞任する。


 だが、前々回の歴史では海軍内部に大きな影響力を持つ伏見宮総長が「日独伊三国同盟」の反対派に回り吉田海軍大臣を全面的に後押ししたのである。


 また、同期の山本五十六中将が海軍次官を務め吉田海軍大臣を支えた。

 史実では、この時期、吉田善吾中将が連合艦隊司令長官から海軍大臣となり、海軍次官だった山本五十六中将が連合艦隊司令長官に就任する。

 しかし、山本五十六中将が吉田善吾中将を心配し留任を申し出て、それを耳にした伏見宮総長が、山本五十六留任を後押しして、この人事となっていた。


 山本五十六中将が吉田善吾中将の心配をしたのは、その人となりだ。

 吉田善吾中将はよく言えば神経が細やかだった。悪く言えば細かい所までうるさい。

 その為、部下達から影でつけられた仇名が「小言甚兵衛」であり、あまり部下の信望を得ているとは言えなかった。それを同期の山本五十六中将は心配していたのである。


 こうした心強い後押しを受けた吉田善吾中将は史実とは違い、身体を壊す事なく長く海軍大臣を務め日米開戦回避に尽力する事になる。


 また、伏見宮総長は吉田海軍大臣を利用して海軍省における人事に容喙し、「海軍第一委員会」のメンバーを史実とは違ったものにしていた。


 史実では「海軍第一委員会」は親独反米派の牙城となり、日本の針路を南進に傾け、その勢いのままに日米開戦に至った経緯がある。


 しかし、前々回の歴史では、その「海軍第一委員会」を親独反米派の牙城とはさせなかった。

 史実で「海軍第一委員会」のメンバーだった者は、重要な時期には海上勤務をさせ、海軍省や軍令部から遠ざけたのである。


 その結果、「海軍第一委員会」は日米開戦への牽引役となる事は無かった。


「日独伊三国同盟」は締結されず、仏印進駐と言った南進策も伏見宮総長と吉田海軍大臣が一丸となって阻む。

 その結果、アメリカとの関係は一定以上の悪化をする事はなく太平洋戦争の開戦は避けられたのである。

 それが前々回の歴史だった。




「そっちがそうなると、こっちも差し詰め陸軍を押さえて日米開戦を回避したからかもな」

 閑院宮戴仁親王が腕を組んでそう言う。



 閑院宮戴仁親王は何度も繰り返される夢か憑依か転生かわからない終わりなき人生において、前回も閑院宮戴仁親王として生き、そして人生を全うしている。

 

 その前回の歴史において閑院宮戴仁親王は、米内内閣を延命させるように動き、日米開戦を回避していた。

 

 史実における閑院宮総長は「日独伊三国同盟」に賛成であり推進派でもあった。

 それ故に「日独伊三国同盟」に反対の立場をとる1940年1月に成立した米内内閣倒閣の動きに出る。

 影響力を発揮して畑俊六陸軍大臣に辞表を出させ、その後の陸軍大臣は出さないという圧力をかけて米内内閣を退陣に追い込んでいる。

 

 しかし、前回の歴史では中身の違う閑院宮総長は「ナチは好かん」と一言で切って捨て、「日独伊三国同盟」に断固反対の立場をとったのである。


 畑俊六陸軍大臣も実は同盟反対派であり、史実では皇族の閑院宮総長に逆らえず、その指示に従っていた経緯がある。

 前回の歴史では、閑院宮総長から「日独伊三国同盟を締結させてはならん」との指示を受け、それに従っている。

 

 また、閑院宮総長は参謀本部から史実における陸軍での問題人物を悉く排除し、または寄せ付けなかった。

 そうして忌避された人物は何人もいるが、その代表は史実で強引な北仏印進駐を行った富永恭次少将や、日米開戦をゴリ押ししようとした田中新一少将、同じく積極的な日米開戦派でアメリカ軍の実力を過小評価した佐藤賢了大佐などである。


 陸軍内部に対米開戦積極派とでも言うべき人物達が存在した理由の一つには、この佐藤賢了大佐の存在もある。

 彼は過去に3年間程アメリカに駐在した経験があり、彼の言う所では、アメリカ軍には規律も無ければ愛国心もなく、兵器は貧弱で恐るるに足らず、とアメリカ軍を酷評し、積極的に対米開戦を主張していた。

 そうした人物が開戦前に陸軍省軍務課長の要職にあり、しかも東条首相の側近でもあったのである。

 アメリカの事をよく知らぬ者達が3年もアメリカにいた人物、しかも陸軍省の要職にある者の言葉を信じても、それは無理からぬ事であるとも言えた。


 ただし、陸軍にはそういう人物ばかりでなく、史実で「加藤隼戦闘隊」を率い「空の軍神」とまて言われた加藤健夫は少佐の時にアメリカに行った経験があるが、日本に帰って来てからは、その工業力を見た事から「アメリカとだけは戦ってはいけない」と言っていたという。


 ともかく閑院宮総長は参謀本部と陸軍省にも影響力を発揮して穏健派で両組織の中枢を固め、史実における対米開戦積極派は忌避したのである。


 更には世論操作の仕方にも介入した。

 簡単言えば米英批判を抑えたのである。


 史実における新聞やラジオは日米開戦に近付くにつれ完全に御用新聞と化し、政府及び軍部の言うがままに記事を書いていた。


 長引く日華事変に物資の国家統制は強まり、新聞を刷る紙もまた国により統制されている。

 しかも内務省が検閲しているのだ。 

 そういう事情では政府や軍部の言うがままに記事を書くしかない。

 逆らえば紙が入手できず新聞を刷れなくなり売れなくなる。

 そうなっては新聞社はお終いだ。

 全ての新聞が政府と軍部の息がかかっていると言ってもよかった。 

 そうなると国民が目にするのは政府と軍部の意向に沿った記事ばかりである。


 当時はインターネットやテレビが無く自由な報道が保障されていなかった時代である。

 言論の自由など無いのだ。

 国民は新聞や雑誌、ラジオでしか情報を得られない。

 そうしたマスコミに政府と軍部の息がかかっているのである。

 国民の意識が政府や軍部の都合のよいように動かされるのも当然だ。

 世論が操作されるのも当たり前なのである。


 現代において某大学教授などは「開戦の責任の一端は国民にもある。国民が戦争を煽ったからだ」という主張をしているが、そんな理屈はナンセンスである。

 政府と軍部が世論操作をし、そう仕向けた点に目を瞑ってはいけない。

 

 特に陸軍としては、長引く日華事変について批判や責任を問われる事を嫌った事から殊更、国民の目を他に向けさせる必要もあった。

 そこで対象となったのが米英である。

 中華民国を米英が不当にも支援するから戦争が長引く。戦争長期化の要因は米英にあるという主張が為される。


 それはある意味真実ではあった。

 ただし、日本が戦略爆撃で中国にある米英の資産に被害を与え補償もせず、また海軍が揚子江を封鎖した為、米英の中華民国にある権益が侵害されている事実は伏せられている。

 特にイギリスは、日本が昔から満洲に進出しその権益を守る事に尽力して来たように、それよりも前から華南地域に多くの農場や工場や販売網を持ち大きな権益を保持して来た歴史がある。それが揚子江封鎖で物流が儘ならず、大きな損害を被っている。

 

 国民はそうした日本軍による米英への利益侵害行為を知らされず、ただ政府と軍部の息のかかった記事を鵜呑みにして米英への反発を強めた。 


 悪いのは米英。

 米英討つべしとの声が国民から上がるのも当然である。

 情報操作、マスコミ操作された結果なのだ。

 大本営陸軍報道部はその情報操作、マスコミ操作の為に存在したと言っても過言ではない。戦意高揚等も目的ではあるが。


 史実では1941年11月5日に御前会議が開かれ、12月1日までに外交交渉で事態が改善されない場合は戦争をする事が決定される。

 しかし、もうこの時点で陸軍内部の主流派は戦争をする気満々であり既にマスコミを焚き付けている。

 新聞には連日、反米キャンペーンとしか呼べないような記事が掲載されていた。


 しかし、前回の歴史では違った。

 閑院宮総長の意向により、米英批判よりも北方の危険性、つまりソ連に焦点が当てられたのだ。


 このまま日華事変が更に長引けば、日本の生命線たる満洲が危なくなる。

 ソ連は虎視眈々と機会を窺っている。

 現に中華民国軍はソ連製の武器を使っている。ソ連製の戦闘機を使用している。

 ノモンハン事件を忘れるな。張鼓峰事件を忘れるな。

 日華事変が長引いている裏にはソ連がいる。


 実際、それもまた真実である。史実でも前回の歴史でもソ連は中華民国政府を支援しているのだ。


 そうした見方を閑院宮総長は大本営陸軍報道部を使ってマスコミに流させた。

 米英批判よりもソ連批判を強めて、その満洲と国境を接している危険性を強調した内容の記事を新聞各社に書かせるようにしたのである。


 当然の如く、その見方は世論に浸透していく。

 それに実際にノモンハン事件、張鼓峰事件が起こっているのだから、ソ連の危険性を軽視する者など殆どいない。


 要は史実では米英批判を主としたが、前回の歴史ではソ連批判を主としたのだ。

 当然、国民はそうしたマスコミ報道に感化され、米英よりもソ連への敵愾心を強めて行く事になったのである。

 


 陸軍上層部の後押しを受けた米内内閣は史実よりも遥かに長く保ち「日独伊三国同盟」は締結されず、仏印進駐と言った南進策も強行される事は無かった。

 その結果、アメリカとの関係は一定以上の悪化をする事はなく太平洋戦争の開戦は避けられたのである。

 それが前回の歴史だった。


 史実において陛下は終戦後に石渡宮内大臣に対し「(あの時、もう少し米内内閣が続いていたらこの戦争に突入しなくても済んだかもしれないね)」と繰り返し語っていたと言う。

「繰り返し」というからには相当残念だったのだろう。

 前回の歴史ではその米内内閣が長期政権となり陛下の見立て通り戦争にはならなかったのである。




「まぁ戦争よりオタク趣味に走ってたのは認める」


 イサキの刺身を食べながら伏見宮博恭王がそう言う。

 青ギスの旬と同じで、イサキはこの時期の刺身が最も美味いと言われている。

 伏見宮博恭王も満足そうだ。


 その伏見宮博恭王が「オタク趣味」と言うのは、戦争回避と同時に連合艦隊にちょっとした事をしでかした件についてである。

(「栄光の勝利を大日本帝国に」の第1話から第5話までの「後書き」に書かれた短編小説 【宮様、頑張る(海軍編)】をご覧下さい)



「まぁ戦争よりオカルトと考古学の趣味に走ってたのは認める」


 こちらはイサキの松皮造りを食べて満足している閑院宮戴仁親王がそう言った。

 イサキの皮が湯をかけられ丁度いい歯ごたえと、脂のノリになって絶妙の美味さを醸しだしているのだ。


 その伏見宮博恭王が「オカルトと考古学の趣味」と言うのは、戦争回避と同時にちょっとした事をしでかした件についてである。

(「栄光の勝利を大日本帝国に」の第11話から第13話までの「後書き」に書かれた短編小説 【宮様、頑張る(陸軍編)】をご覧下さい)



「「だって戦争なんざ山本五十六をやった一回だけで充分だ」」


「「フハハハハハハハッそらそうだ!」」


「とは言え今回はどうするよ?」

 馬鹿笑いをおさめた閑院宮戴仁親王が問い掛けた。


「どうしようかねぇ」

 箸を置いて伏見宮博恭王が腕を組む。


「また戦争回避に走って同じ人物に転移だか憑依だかするのもあれだよな」


「だからと言って戦争一直線では手のひらの上で転がされてるみたいで業腹だ」


「確かにそうだが、まぁ2回連続戦争を回避したし今回は戦ってもという気持ちもあるんだ」

 閑院宮戴仁親王がそう言う。


「まぁね。じゃ戦うか」

 伏見宮博恭王が同意し提案する。


「そうしよう」


「今までは一人だったが、今回は二人か」

 伏見宮博恭王が感慨深げに言う。これまでは一人だったのだ。二人なら精神的に大分楽になる。


「それも俺が二人。しかも海軍と陸軍で上にいける。これはかなり助かる」


「「二人なら無敵!ってか。ふっはははははははははは」」

 どこかのライトノベルの帯の宣伝文を思い出した二人は声を揃えた。そして笑いあう。


「さて、んじゃどう戦う?」

 笑いをおさめた閑院宮戴仁親王が問い掛けた。


「うーーん。やはり俺は健康に気を使って海軍軍令部総長のまま戦争突入がいいかな」


「俺もそうするわ」


「プランAはどうする。俺の方でやるか?」

 伏見宮博恭王が二人だけにわかる事柄を問い掛けた。


「いや、今回は無しでいこうか」

 閑院宮戴仁親王は即答した。


「一度使った作戦は二度は使わんってか」


「そんなところだ」


「だが、不利な賭けになるぞ。アメリカ相手に自ら一番有利な手を放棄するんだからな」

 言っている内容は深刻そうだが、伏見宮博恭王の口調は結構軽く明るい。

 それほど大きな問題とは捉えていないようだ。

 

「不利な賭けも時には良かろう」


「不利な賭けほど燃えるってか。ギャンブラーだな。じゃあプランBでいくか? それともC? どうするよ?」


「Bは面倒だ。Cでいこうや」

閑院宮戴仁親王は手をひらひらさせながらCを主張する。よほどBというのは面倒らしい。


「Uはどうするよ。やるか?」


「うーーーーん。やめておこうや、あれは特殊すぎる」

 これにも閑院宮戴仁親王は消極的だった。


「じゃぁCプランで」


「よしっ。まずは金儲けだな」

 閑院宮戴仁親王が力強く言う。


「そうだ。それで商会を設立して必要な物と人材を揃える」


「そして急行作戦だな」


「そうだ。それで行こう」

 伏見宮博恭王の同意に二人は大きく頷き合った。

 

 こうして小料理屋の一室から二人の悪巧みが始まった。

 それは日本を熾烈な戦争へと導く始まりでもあった……


【続く】


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