16.賭け
パレード台が門へと入り、そしてそれからしばらくしてから2人が城についたことを告げるファンファーレが出発の時と同様に鳴り響いた。
その後の披露宴も終わり、俺の役目はここまでだと、部屋へと戻ろうとしていた時に彼らはやってきた。
鬼の形相で、周りの衛兵や使用人をとりつかせない勢いでカトラスとセレンは正面から歩み寄ってきたのだ。何事かと尋ねるよりも早く彼女は正装した俺のネクタイを、首が閉まるほどに思い切り引いた。
「シリウス、あなた何をしてるの! 早く伝えてきなさいよ! あんたがノソノソしてるうちにアリアちゃん、実家に帰っちゃうわよ!」
俺の耳元で彼女はいつもよりも数段高い声を上げる。薄れていく酸素濃度と相まって、意識が吹っ飛びそうになる。
彼女の後ろで同調するようにウンウンと頷くカトラスに助けを求めることは出来ないだろうと、か細い彼女の指を傷つけないように気をつけながらネクタイから解く。そして足りなかった酸素を補うように息を吸い込んでいく。
落ち着いた息を確認するようにゆっくりと口を開いて、声がでることを確認してから、とりあえず彼女の言葉に応えることにした。
「アリアっていうと……あの食堂の子だな。実家に帰るのか、寂しくなるな……」
確か、そのはずだ。
エリアスの幼馴染の彼女は王都である意味有名な食堂に勤務している。
サリー食堂、唯一の花と呼ばれる少女が実家に帰るとなれば、そこの常連や店員達は一気に元気をなくしてしまうことだろう。
そう思いのままを答えると2人はこれでもかと言うほどに顔を歪めた。
「これ、借りますね」
そう一方的にエリアスと姫さんに言い放つと、セレンはその細腕のどこにそんな力を隠し持っていたのかと、トレーニングの方法を尋ねたくなるほど強い力で俺を引きずって行く。
残された2人は引きずられる俺を不思議そうな目で見つめていたが、訳が分からないのは俺も同じだった。
「訳なら辺境の魔法使い様から聞いたわ! あなた、記憶を消してしまったんですってね。年齢差もあるし、あなたの友人と結婚の約束をしてたから、確かに尻込みする気持ちは分からなくもないわ。だけど、だけど……それだけで記憶を消すなんてバッカじゃないの?」
セレンは俺の部屋へとたどり着くや否や今度はなだれ落ちるように泣き出した。バカよと泣いては俺の胸を叩く。その力は強くはないはずなのに、俺の胸はズキズキと痛んだ。
「シリウス、お前が記憶を消すことを選んだとしても、俺は友としてお前の記憶を取り戻させるよ。傷ついたって、恋は素晴らしいものだ。……魔法なんかで無理して忘れるべきものじゃない」
「恋……?」
「ああ、そうだ。シリウス、お前はエリアス様の幼馴染、『アリア=リベルタ』に恋をした。お前の口からそれを聞いたことはなかったが……目を見ればわかる。俺も、辺境の魔法使い様も、あの食堂の人達も」
その名前は何度も聞いてきたはずだった。そして、その少女のことを知らないはずだった。
「俺は『アリア=リベルタ』に恋をした……」
……なのになぜだろう、この言葉が妙にしっくりくるのだ。
顔すら思い出せないのに、その名前を呟くと胸のあたりが温かくなるのだ。
「アリア、アリア、アリア」
その名が、思い出せない彼女が愛おしいのだと、記憶は覚えてなくとも、身体が、本能がそう伝えては涙を流していた。
もしも願いが叶うのならば、この城を、この国を去る前に一度彼女に一目だけでも会ってみたい。そう願うとカトラスは俺の方へとずいっと透明な液体の入った小瓶を差し出した。
「シリウス、一世一代賭けをしないか?」
「賭け?」
「これは魔法使い様からもらった薬だ。確実にシリウスの記憶を取り戻すことのできる薬らしい。だが彼も効果が出るのがいつかは分からないらしい。アリアさんが実家に帰るのは3日後。それまでに記憶が戻るかは分からないがそれでも……」
「飲む」
カトラスが言い終わるよりも早く俺は決意表明を下す。
思い出した時、もしもその少女が王都に居なかったら、その時は潔く諦めることにしよう。だがもしもまだ王都に残って居たならば……それは神がくれたチャンスであると捉えることにしよう。
小瓶の蓋を取って一気に中身を煽ると、口の中には何とも言えない味が広がった。だがそれを吐き出してしまえばこの賭けに乗ることすらできないと口を両手で抑えて無理矢理胃の中へと下していく。
「はぁ、はぁっ……はぁ」
「おやすみ、シリウス。起きた時、君を待つのは希望か絶望かは分からないけど、きっとそれは……」
カトラスの言葉を聞き終わるよりも早くベッドへと倒れ込んだ俺の記憶はそこで途切れた。