13.片づけ
過去の自分から届いた手紙の内容を遂行するべく、俺は荒れに荒れた自室の片付けをしていた。おそらくこの国を出ることがなければいつまで経ってもしなかったであろう、それはそれは面倒な片付けである。
なぜかは分からないが、部屋の中には多くの本が散乱していて、しかもその多くは王立図書館の蔵書であった。俺はあまり本をあまり読む方ではない。もちろん必要とあれば読むが、こんな……医学書なんて読むような
性格ではない。
誰かに返してくれと頼まれたのだろうか?
違和感を抱えつつも、まぁいいかと大量の本を抱きかかえて王立図書館へと2往復した。
「シリウスさん、これ、もういいんですか? 長期貸出申請はちゃんと出して頂いていますし、研究のためですから期限は気にしなくていいんですよ?」
大量に運んだそれと俺の顔を見比べて、カウンターにいた司書は本当にいいのかと首を傾げていたが、俺はなぜその大量の本を借りたのかすらも覚えていなかった。
「ああ、もういいんだ」
彼の言葉が正しければそれは研究のために借りたものだったのだろう。
だがそれにしては俺の部屋に研究結果や過程を書き記したものは残っていなかった。
ではなぜ借りたのだろうかと、過去の自分の行動を思い出そうとするが、やはり何やら記憶に鍵がかかってしまっているようだった。
おそらくはこの国を去るために自分か、または誰かにかけてもらった忘却魔法なのだろう。
もしかしたら俺は何か、関わってはいけないことに関わってしまったのかもしれない。
なら、まぁ……無理に思い出すこともないだろう。
城を出てどうやって生活していくのか、まだ将来のビジョンを思い描けてはいないが、それは不思議と不安には思わなかった。
そして部屋の整理が終わった時、残ったのはほんの僅かなものだった。
元々物持ちではなく、書類関係は破棄していくし、騎士団服は返さなくてはならない。部屋に置いておいた酒は適当に飲むやつにあげれば喜ばれた。……となれば自ずと持ち去るのは自分の荷物だけとなり、そのほとんどが服だった。それもたった数着で、簡単にカバンに収まってしまった。
あまりにも簡単に済んでしまった荷造りと、中々出せずにいる退職届。後回しにしているそれはこの城を去るためには必ず提出しなくてはならないのだ。
こんな好条件の、それも最近になって地位が近衛騎士なんて大層なものに確立されたのに辞めるなんて想像していなかったのだ。
生涯二等騎士だろうと構わないとさえ思っていた。それだけ騎士職は安定した職業なのだ。だから自分が退職届を出すなんて想像もしていなくて、こんなことになるなら実家の酒屋を継ぐからと辞めた同僚に話でも聞いとけばよかったと後悔した。
大方人事を担当している宰相か直属の上司にでも出せばいいとタカをくくっていた俺に「それは姫様に出してくれ」と言い放ったのは上司だった。
姫さんはエリアスとの婚姻の日時が正式に決まり、内輪だけで婚姻式を執り行なおうと用意をしている真っ最中である。そんな幸せ絶頂の女性に辞職願なんてどのタイミングで出せばいいのかと頭を抱えた。
そしてすっかり綺麗になった部屋で日ばかりが過ぎていったある日、姫さんは唐突に俺の部屋へと押しかけた。
「シリウス。私、アリアさんに謝りたいの」
「アリア?」
姫さんが呼んだその名前を反芻して、なんとか思い出そうと空を見つめる。
必死な顔で一気に距離を詰めて来た彼女に「アリアとは誰なのか」とは言い出せなかった。
「アリアさんは、私とエリアス様が共に生きることを許してくれたから。……でも私、まだその言葉を信用できてなくて。だから彼女の本当の気持ちを調べてきて欲しい」
話からしてアリアとはおそらくはエリアスと姫さんの共通の知り合いか何かなのだろうと言うことは分かった。だがやはりその『アリア』がどういう人物なのか、そもそもどこに居るのかすらもわからないのだ。
そのくせ、その名前は水面に小石を投げ込んだように、記憶の波紋を広げて行く。揺らいでしまって記憶の中にあったのが何かも分かりもしない。
「あー、えっと……それはカトラスに頼んでもいいか?」
「カトラス?」
困ったと唸っているととっさにカトラスの、親友の名前が浮かんだ。
彼なら例え『アリア』を知らずとも、姫さんの望みを叶えてくれると思ったのだ。おそらくはこんな、記憶のところどころが中途半端な状態の俺なんかよりもずっと。
そう思えば思うほどに彼が適任な気がして、姫さんが納得するよりも早く思い浮かんだ作戦を説明して行く。
「姫さんの言葉を綴った手紙に宮廷魔導師、バリス=ルジャンタンの魔法をかける。感情を視覚化できる魔法だ」
「感情を視覚化……」
「色で見えるらしいが、それは術者か術者の許可した人間にしか見られない。今回はその役をカトラスにやってもらって、出た色に応じて何かを渡してもらえばいいんじゃないか?」
手紙に仕掛けをするなんて少しズルな気もするが、それが相手の心を確実に知るための、最短な方法である。
バリスは王国お抱えの研究熱心な魔術師だが、忠誠心がある……とは断言できない。だが魔法に細工をしたりはしない。彼は己の仕事と研究結果に誇りを持っているのだ。
そしてカトラスもまたそうなのだ。彼は例え目上の人間だろうが必要のない嘘など吐くことはない。
つまり真実を知りたいのならば彼らに託すのが一番の適しているのだ。その、はずなのだ。
「わかったわ。手紙、書いてくる」
なのになぜ、こうも足取りが重いのだろうか?
バリスとカトラスには姫様からの要望だと伝えれば一も二もなく引き受けてくれた。
バリスは「もちろん」といい、カトラスは「任せてくれ」と。
その時、カトラスの目に宿っていたのは使命感のようなものだった。姫さんに忠誠など誓ってないはずの彼がなぜ……?と引っ掛かりを覚えたが、カトラス以上の適任など浮かぶわけもなく、そのまま疑問を抱えて部屋へと戻るのだった。
「シリウス、上手くいったぞ」
『アリア』への使いを果たしたカトラスは義理堅く俺の部屋までわざわざ完了したことを告げにやって来た。
「ああ、ありがとう」
まるで妻に一目惚れしたかのように目がキラキラと輝くカトラスに手短に礼を述べると、彼は嬉しそうに笑ってみせた。
「アリア=リベルタ、いい女性じゃないか」――と。
俺は目を見開いて目の前の男は本当にカトラス本人なのかと疑った。
妻以外の女性はおろか、人を褒めることなどほとんどないカトラスが初対面であろう女性を褒めるなど……いつぶりだろう?
俺の記憶が正しければ、彼が妻・セレンと出会った時以来だろう。
「カトラス、お前……」
「彼女ならシリウスを任せられる」
「は……?」
カトラスは何を言ってるのだろうか?
彼は姫様の使いで『アリア』に会いに行ったのだ。それがどこをどうしたら俺を任せる話になるのだろうか?
「安心してくれ、私はちゃんと分かっている。応援するぞ」
カトラスは珍しく人の話を聞く様子もなく、独り合点をしながら俺の肩を2度ほど軽く叩いてから、上機嫌のまま俺の前から去って行った。
「一体なんなんだよ……」
荷物が少なくなった部屋で一人、何度も頭の中で『アリア=リベルタ』の名前を繰り返す。知らぬ少女のその名前は繰り返す度、不思議と心が温かくなっていくような気がした。