11.その瞳は涙に濡れて
それからすっかり共犯者となった姫様の元へちょくちょく足を運ぶようになった。
時には姫さんが知りたがったアリアの現状を伝え、またある時には遠征で得た情報を伝えた。材料の援助を申し出た時もある。
その度に姫さんは苦しそうに顔を歪めていたが、援助を惜しむことはなかった。どんなに高価な素材だろうが、どんなに貴重な素材だろうが、彼女は何でも俺に与えてみせた。
それが役に立つ可能性があるのなら――と。
1人で動いていた時よりも色んなことが試せるようになって、中でも魔法媒体に自然鉱物を使用できたのは大きい。俺の魔力だけでは限界があったからだ。
……けれど、それは1年間全く身を結ぶことはなかった。
正確にはそれはあくまで今回の件に限定したことであって、途中様々な発見や発明が出来、国家に貢献は出来た。これで姫さんから出資してもらった金のほとんどを返金できたと言っても過言ではない。特許権を譲渡した時に得たのはそれほどの大金だったのだ。
けれど俺達が得たいのは金でも名誉でもなく、たった1人の男の記憶を取り戻すことなのだ。
「ねぇ、シリウス。それさ、僕も手伝うよ」
「いいのか!?」
ある日、研究室にこもっていると耳元からそんな声がした。幻聴かと疑う声は振り返った先にいた男の、アウレンの口から出ていたものだった。
彼と俺ほどの関係で、どうやってこの城のセキュリティをかいぐくり侵入したのかなんて野暮なものだ。答えなんて分かりきっている。彼はただ転移魔法を、少し多めの魔力を消費して使用したに過ぎないのだ。
そんな彼からのこの提案は、暗闇を進み続けてきた俺にはあまりに眩しすぎて、そして姫さんの援助と同じくらいにありがたいものだった。
「うん、楽しそうだし」
「ありがとな」
辺境の魔法使いであると同時に、魔法使いの中でも一層変人であると名高い彼が『楽しそう』なんて理由で動くことはまずない。
彼が動くのはただ一つ、『情』が絡む時のみである。
つまり彼にとって、エリアスはそれだけ大事な仲間だったというわけだ。まぁ、2年も共にいて情が移ったのは俺も同じことだが。
こうして魔に精通したアウレンが加わり、一気に研究は加速した。彼が入ったことにより、姫さんに頼ることが難しい材料集めが捗ったというのも大きい。
Aランク以上の冒険者に依頼するくらいしか入手法がないものなんかははっきり言って、自分で取りに行った方が早かった。
そして驚くことに、あの、あのシャオがなんと無銭で材料集めに協力してくれたのだ。
「アリアっつう女は姉貴のお気に入りなんだと。あんなバケモノの巣窟にやっとまともな従業員が入ったんだ。記憶が戻るかは別にしても、大事にしてやんないとな……」
シャオはアリアのために働いているらしい。それを聞いて少しだけ胸のあたりがざわついたのは彼には秘密にしていたのだが、早々にバレてしまった。
「エリアスはこれ、アリアも好きだろうな……ってよく言ってたよな」――と。
アリアにだけではなく、各地に行くたびにあの食堂の人々にお土産と称して贈り物をしていたのだが、アリアの分だけは真っ先に選んでしまうことは見抜かれていたらしい。
「あいつらに買ってくなら姉貴はなんでもいいけどよ、後の2人は夫婦で食べられるのにしとけ。変に物なんか渡したら厄介だ」
「シャオ……」
「あ、俺は買っていかないからな。姉貴に土産物を買う金があったら、博打打った方がマシだ」
「ははは」
シャオは俺の暗くなりがちな心をこうしてしばしば鼓舞してくれた。
この頃にはアリア達の元に行く足取りが重くなっていて、けれどもそこへと向かう足は止められなかった。成果など急かされるはずがないのは分かっているのに。
アリアの和らいできた笑顔を見るたびに、その笑顔は俺に向けられるものではないのだと勝手に傷ついて、けれどその表情に強く惹かれる自分がいた。
――――けれど現実は残酷だった。
「ねぇ、シリウス。やっぱりこれかけたの魔王だと思うよ。だってこんなの……誰も救われないよ。今からでもやめにしようか?」
その魔法は、もう2年以上も調べていた割には何ともアッサリと解くことの出来るものだった。
その代わり必要となるのは解法者の『大切な記憶』――つまりエリアスの記憶と引き換えに俺の記憶を差し出さなければいけないのだ。
それもよりによってアリア=リベルタに関する記憶を。
こんなに彼女に入れ込んでなければ失うのは他のものだったかもしれない。おそらく家族に関するものだっただろう。けれどこの2年で俺の中でのアリアという少女の存在は大きすぎた。『大切な記憶』と抽象的に言われてすぐに彼女の顔が頭に浮かぶほどには。
恋人でも何でもない、ただの店員と客で、それ以上にもなれていないというのに……全くこの歳でそんな青い少年のような恋愛をするとは思いもしなかった。
一生に一度、これから先出会えるかもわからない恋心を、俺はすぐに手放す判断を下すことはできなかった。
「シリウス、現状はどうなの?」
「あと少し、ってところか……」
「宰相からはそろそろ結婚するようにと急かされているわ」
「なぁ、姫さん。もういっそのことこのままでいいんじゃないか?」
このままでいいんじゃないかって囁く悪魔が俺の中に巣食っていた。
このままならお前は幸せになれるのだと、そしてそれは姫さんも同じだろう?と仲間まで作ろうとしている。
彼女なら、共犯者になってくれた姫さんなら俺の気持ちが分かってくれるだろう?って。
「…………何を言いだすのよ」
「エリアスはこの魔法がかかっている限り、アリアのことを思い出すことはない。そしてアリアはもう、前を向いて歩き出している。なら「ダメよ!」
なのに姫さんは、あの日床にへたり込んだ少女は確たる意志を持って俺の手元に小さくて真っ白い手を叩きつけた。大きな音を鳴らした手のひらはおそらくよく熟れたリンゴのように真っ赤に染まっていることだろう。
痛いだろうそれを気にすることなく、彼女は俺の顔へと距離を詰めてくる。
男と女としてではなく、腰が抜けてしまった仲間を切り捨てるのさえも厭わないといった様子で。
「あなたがやらないなら私がやるわ。どんな汚名を被ろうとも私はあの人に幸せになってもらうって決めたの」
それはあの日の俺のようで、一体いつ立場が逆転してしまったのだろうか?
俺はこんなにも……失うのが怖くてたまらないのに。
「幸せ……か。記憶が戻ることがあいつにとっての幸せだとなぜ言い切れる?」
「数年前に国王から押し付けられた私なんかと結婚するよりも、20年ほど寄り添ってきた幼馴染と結婚した方が幸せになれるわ」
「なるほど、根拠は年数か」
「ええ、悪い?」
けれどそんな子どもじみた彼女の言葉に俺は重い腰を上げることに決めた。
「いや、20年に勝てるわけがねぇよな、そう、だよな……」
彼らの20年が帰ってくるのなら、俺の2年なんて大したことはないだろうと言い聞かせて、自分の心を捨てることに決めたのだ。
「シリウス?」
「なぁ姫さん。もしも、もしもエリアスの記憶が戻ったら俺と一緒に国を出ないか?」
「私はともかくとして、あなたまで国を出る必要はないでしょう?」
「姫さんがエリアスに惚れているのと同じように、俺はアリアに惚れている」
声に出して、そしてはっきりと意志表明をする。
一国の姫さんと国外逃亡なんて御伽噺のようで、けれど俺たちの間にロマンチックな雰囲気など流れたことは一度だってない。
いつだって俺達は共犯者なのだ。
「シリウス、あなたはアリアさんではなく私と共に生きる道を選ぶの?」
「アリアはエリアスと歩む……それでいい。まぁ、一発くらいは殴らせてもらいたいが」
「そうしたら私はアリアさんに叩かれるでしょうね」
「アリアはそういうやつじゃないさ」
俺は愛してはいけないと分かっていながら、アリア=リベルタを、エリアスの幼馴染を愛してしまった。
姫さんに意志表明をしてからすぐさまアウレンの元へと向かった。
彼には何度となく「本当にいいのか?」と問われて決意は揺らぎそうになったが、そんな時は頼り甲斐のある共犯者が背中を押してくれた。
「シリウス、エリアス様のことを頼みます。私はお父様の説得に行ってきます」
その言葉にもう俺達に後戻りをする方法など残されてはいないのだと腹をくくる。
「俺も一緒に行った方が……」
「いえ、私1人で十分です」
こんな時も彼女は強かった。
本当に……セシリアが王妃としてこの国の頂点に君臨できたならば、と俺達が歩むことを拒んだ道を想像してしまうほどには。
「シリウス、用意は出来たか?」
「ああ、バッチリだ」
アウレンに協力してもらい、エリアスには強力な睡眠魔法をかけてもらった。数日間は目を覚まさないはずだ。
その間にエリアスの封じられた記憶は再構築され、そして俺の中の記憶は徐々に失われていく。
アリアの記憶をなくすということはすなわち、この3年近くの、いや旅の道中の記憶のほとんどをなくすこととなる。
数日後の自分が混乱しないように、未来の自分に宛てて手紙を書き記した。
それは『用事が済んだら荷物をまとめて、騎士を辞め、国を出ろ』という、過去から未来の自分への一方通行の手紙だった。
きっと訳もわからずにそれを読むのだろう。未来の自分がその意味を分からないにしても、幼い頃から見慣れた角ばった自分の字くらいは分かるはずだ。……いや分かってもらわないと困る。
魔法使いが用意してくれた魔法結晶に俺と、眠りについているエリアスの手をかざし、そしてただひたすらに彼女のことを思った。
これから記憶の中から徐々に消えていく彼女の顔は、あの日、初めて会った時のように涙で濡れていた。