10.悪者
バリスとの一件があってからというもの、俺は今までにも増して積極的に動くようになった。そしてまた一つ、調べていく中である線が濃厚になってきた。
それはエリアスが何者かによってアリア=リベルタ個人に関する全ての記憶を封じ込められているのではないかということ。
あくまでたった1人を対象にするなど、不可能に近い。それだけ膨大な魔力を有するのだ。だが不可能ではないのだ。
それは他ならぬ、国一番の魔導師様で、元魔王討伐仲間であったアウレンに確認を取った。
あくまでそんなの机上の空論に過ぎないと鼻で笑われるかと、それならそれで、無駄足に終わってくれても構わないと思っていた俺に彼は告げた。
「無理ではないよ」――と。
そしてそんなことが出来るのはごく僅かな人間と魔族だけだろう、とも。
その言葉に真っ先に候補として挙がったのは魔王だった。
俺はまだ彼の最期の言葉を忘れられずにいた。
『私を殺したことを後悔する日がいずれ来ることだろう。それまで生ぬるい日々に浸かっているといい』
それがもしも、このことを意味するのならば……。
その仮定が事実だとすればそれほど厄介なものはない。なにせ術者がすでに死んでしまっているのだ。生きていればその術者に解かせればいい。だが今回はそうはいかないのだ。そして多くの魔物や魔族を統一するほどの力を持った魔王が術者ならば、解法も厄介なものだろう。
だがそうだとしても、もう俺は飽きられきれないほどに深みにハマっていた。
一回りも歳下の少女に心を奪われてしまったのだ。アリアがただただ愛おしくて、彼女の香りを見るたびに疲れなんて忘れてしまえるのだ。
それを自覚したのは、姫様の自室に呼び出された時のことだった。
姫様という、仕えるべき相手に何を企んでいるのかと問い詰められても一向に口を割らない自分がいたのだ。彼女に何をしようかバレて止められるのを恐れた。いつかは呆れて折れてくれるだろうことを願って口を閉ざし続けること1時間。……姫様は俺と同様に一向に諦めることはなかった。
姫様という箱入りの状態で育て上げられたというのに何とも頑固だと思いつつ、仕方ないと折れて口を開くことにした。
「俺はエリアスの記憶を取り戻して、そしてあいつとアリアが描いた未来に送り出すことにした」
「記憶を取り戻す?」
「姫さん、あなたには悪いがエリアスには結婚の約束をした幼馴染がいる」
口が悪いのはいつものことにしても、それに加えて『姫さん』なんて言ってみせたのは虚勢みたいなものだった。
「え……」
するとそれはほんの少しでも効果はあったのか、彼女は怯んだように目を大きく見開いてみせた。
けれど彼女はすぐに気持ちを立て直すと俺へと詰め寄る。
「エリアス、それは真の情報ですか?」
「ああ。あいつの幼馴染、アリア=リベルタはエリアスが城へと戻ってきてから二度ほど面会に来ている。……どちらもエリアス本人に拒まれたが」
「幼馴染であると証明できるものはありますか?」
「5日前の面会記録にエリアスの母とアリアの兄の名前が記載されている。その時に人員として駆り出された宮廷魔導師のバリス=ルジャンタンに話を聞いたところ、彼を含めた5人がエリアスの供述が嘘ではないことを証明させられたと証言している。……そして2人が何度もアリアという言葉を口に出していたとも。独自に調べた結果、シリウスの家の隣のリベルタ家には次女としてアリアという少女がいるとの証言も複数確認できた」
「そう、ですか……」
「信用できないなら他の騎士を動かしてくれても構わない。だがアリアの存在をなかったことにするというのなら俺は、相手が姫さんだろうと許しはしない」
冷静に取り繕ってはいるが、内心では自分の口からこうもスルスルと言葉が出てくることに驚いていた。こんなの国家反逆を疑われるどころでは済まない。下手をすれば姫様暗殺を企てたとして牢に入れられてもおかしくはない。いや、それどころか一家取り潰しもあり得ることだろう。
けれど俺の手は自然と腰に下げた長剣へと伸びていた。まるでアカラ村でアリアの兄がそうしたように。
すると目の前の少女は力が抜けたように床へとへたり込んだ。
「シリウス、あなたはエリアス様の記憶を戻す方法を見つけ出すことは出来ると約束できますか?」
そのくせ、視線は、そして言葉はさすが姫様というほどに強く、何者をも従わせるだけの力を孕んだものだった。
だからこそ俺も彼女に正直に手の内を打ち明けた。
「確約は出来ない。なにせ忘れているのはアリア1人のことだけで、ほかの住人のことはおろかアリアの家族のことまでしっかり覚えてやがる。……術者は相当な腕前の持ち主、俺は魔王ではないかと踏んでいる」
「魔王が……。ですが魔王はもう討伐されたはずでは」
「姫さん、魔法は術者が亡くなった後に無効化されるものとそうでないものがある。例えば西大陸に張られた結界なんかは術者が生きていようが死のうが関係なくきっちり100年は持つようになっているが、王族の人間にかけられている防御魔法は術者が亡くなれば解除される。それらは魔法の種類や術者の力によって条件が移ろうものだ」
「なぜ魔王はそんな魔法をかけたのでしょう? こう言っては何ですが死をかけた戦いで記憶を消すなんてそんなこと、するでしょうか?」
「おそらくかけたのは死を悟った時のことだろう。魔王はエリアスにいずれ殺したことを後悔するだろうと残していたからな。エリアスにとってアリアの存在は大きかったんだろう。王都に帰るたびに顔を見せて、最後の決戦の前だって……」
「……それはまるで『呪い』ですね」
死に際の魔王が最後の力を振り絞って勇者に魔法をかけるなんて、呪いとしか言いようがないか……。
『呪い』――その言葉は俺の中に空いたピースにピッタリと埋まる言葉だった。
「シリウス=フラル、命令です。勇者エリアス=バクスタにかけられた魔法を解きなさい」
「いいのか?」
願っても無いことではあるが、思わず聞いてしまった。話を聞かれたからには止められるだろうと予想していたのだが、まさかその逆で命令されるとは思いもしなかった。
「ええ。ですがこのことはエリアス様やお父様を含めた他の者には内密に進めてください。そして魔法が解けると分かった段階で、まず初めに私の元へと連絡に来なさい。私とエリアス様の婚約を破棄します」
「方法はあるのか?」
「お父様の承諾を頂かなければなりませんが、魔法が解けたのなら私は姫を辞めます」
「正気か、姫さん」
「ええ、スキャンダルでも起こせば絶縁せざるを得ないでしょうから。それに私は元々、勇者様の子を産むために今、この場にいます。ですがそれは王家の事情であり、この国を救ってくれた勇者様の未来を曲げてまで実行することではありません」
女というのはなんと恐ろしく、そして決断力のあるものだとつい感心してしまった。
彼女は一国の姫君で、エリアスはこの国を、世界を救った英雄だ。
この国に住むほとんどの国民がその結婚を祝福してくれるはずなのだ。それでも彼女は見たこともないだろう、アリアという名の少女がエリアスと共に未来を歩む背を押そうと言うのだ。
王家に彼女は王家の、国の事情ではなく、たった2人の少年少女が明るい未来を描くことを望んだ。
「王家を出てどうするんだ?」
目の前の少女はたったの数時間ほど前まで、俺が産まれた国の姫様でしかなかった。けれど今は、セシリア=ファーレンという少女として俺の目に映っていた。
「どうしましょう?」
「決まってないのか……」
「とりあえずは身を隠しますね。私は勇者様とその幼馴染を引き離して、その上彼を捨てた悪者ですから」
「姫さんが悪者ならきっと俺も……」
悪者、なのだろう。
無理矢理にでもエリアスとアリアを会わせるなりなんなりしてやればいいのに、アリアにエリアスの現状を伝えてやればいいのに、俺はそのどちらもしようとはしないのだから。