9.忘れられた少女
アカラ村には確かにアリア=リベルタという少女がいたということと、その少女こそ門の前で出会った少女であると、村人から見せてもらった写真で確認を取れた。
また長い馬車の旅を送りながら、頭の中でどうすればエリアスの記憶は戻るのかとそればかりを考えていた。そして最終的にたどり着いたのは、記憶障害を負った人の例を、そして回復した人の例を片っ端から調べ上げることだった。
城からほど近い王立図書館には薬師や医師を目指すもののために分厚い医療本がいくつも置いてあった。
時間が許す限り、それをめくってはエリアスの症状に合うものを探し出す。時にはその患者のもとまで足を運んだ。そんな時にも溜まりに溜まった有給は役に立ってくれた。
上司は国中を飛び回る俺を旅行に目覚めたのだと勘違いをしていたようだが、それでも構わなかった。自分が国家反逆に近い行為を繰り返していることには気づいていた。変に詮索などされたら嘘をつける自信はない。
それからしばらくして始まった各地の復興作業には自ら率先して参加した。仕事として向かう道中、少しの空き時間にあるかもわからない解決の糸口を探して歩き回るために。
けれど全く解決の道を探し当てられないまま日ばかりが過ぎていき、疲労ばかりがのしかかって、成果のない旅から帰ってきたある日のことだった。
「シリウス、今すぐ俺を抱きしめてくれ!」
何度か仕事で一緒に働いたことのあるバリス=ルジャンタンが泣きながら追突してきた。それも30を越えた男が大泣きも大泣きで。事情を聞かずとも彼が可哀想になって、とりあえずは服に付けられた鼻水と涙のことは責めずにおいた。だが訳も聞かずに男を抱きしめてやるほど心は広くない。
いくら30越えても彼女1人出来なかったとはいえ、男に走ったなどという噂が立てられたらたまらない。そんな噂が団長の耳に入ったりなどしたらすぐにいい男を見繕ってくるはずだ。俺は男性同士の恋愛に嫌悪感はない。むしろ友人に同性が恋愛対象のやつも何人かいて、法律上結婚は出来ないにしても、パートナーとして幸せに暮らしているやつらも知っている。だがそれとこれとは話が別だ。俺の恋愛対象はあくまでも女性であり、そろそろ諦めれば?と弟に言われようが、結婚の夢は諦めていない。
「どうした、バリス。作業中に結晶でも割れたのか?」
抱きしめるという選択肢はないにしても、とりあえず話だけなら聞いてやろうとそう尋ねると、バリスはグジャグジャになった顔をバッとあげると涙目で必死に訴える。
「怖かった……。あの恐怖を俺は生涯忘れられない。だからこの世が平和であることを実感するためにシリウス、抱きしめてくれ!」
「嫌だ」
とにかく何かしらの恐怖、それも男のゴツい腕で抱きしめられたいほどのものがパリス与えられたのはよく分かった。
抱きしめはしない代わりにその恐怖を少しでも軽減させるための役には立ってやろうとよくよく話を聞いてみると、彼の口から真っ先に飛び出たのは『勇者様』という名前だった。
バリスとエリアスに面識はなく、おかしいと思った俺がその後も場所を変え、彼に落ち着くようにとハーブティーを用意してやってから話を聞き出した。
するとバリスはゆっくりとことの顛末を話し始めた。
彼の話をまとめると、エリアスの母親と彼の幼馴染の男にエリアスの無実を証明するためにバリスとその他数名は呼び出されたらしい。
その男は工具を持っており、バリス曰く彼の発する殺気は年に一度行われる武道祭の参加者なんて比ではないというから余程のものだったのだろう。その話を聞いた途端に俺の頭にはアカラ村で出会ったアリアの兄を思い出したが、その続きを聞いてみるとそうではないと理解した。
恐怖で震えながらもあくまで中立の立場を保った結果、エリアスが願った通りの結果を告げたバリスを彼らが切り捨てることはなかったからだ。
一度しか会ったことはないが、彼なら真っ先にエリアスとバリス以下数名を切り捨てるだろうと俺の本能が告げていた。
……だが学生時代から研究漬けの毎日を送り続け、殺気など向けられ慣れていないバリスにとっては、あの男ではないにしても十分怖かったのだろう。
「なぁ、シリウス。アリアって誰なんだろうな……」
一通り話して落ち着いたらしいバリスのカップにおかわりのお茶を淹れてやると、そう呟いた。
「アリア?」
「ああ、宮廷医師の先生方によると勇者様がその女の子のことだけスッポリと忘れてしまってるらしい。そんなことってあるのか? もし本当なら……その子、不憫だよなぁ」
バリスが何となく言ったその言葉が、諦めが入っていた俺の胸にグサリと突き刺さった。