6.変わらない街並
あの日を境に俺の昼食は『サリー食堂』で摂るのがお決まりとなっていた。
さすがに人の多い時間は緊張して行けないが、ピーク時を過ぎた辺りならゆっくりと食事を楽しめるのだ。
あの店に通うようになったのは、単純にあの味の虜になってしまったから、というのが一番の要因ではあるが、アリア=リベルタがなぜまだ王都に滞在しているのかが気になったというのもある。
門にやってきた時のように悲痛な表情を浮かべているわけではないが、それでも店で浮かべる笑顔は無理矢理に作り出しているようなものの気がした。もちろん接客スマイルなんてそんなものだと言い切ってしまえばそれで終わりだ。彼女はただただ仕事を全うしているに過ぎない。
だがエリアスの語ったその少女との違和感が拭い去れなかった。
「ミックスピザ2枚と日替わりパスタセット1つ」
「かしこまりました」
こうして今日も食事を摂りつつも、アリア=リベルタの様子を窺う。それも日課となってしまった。
まるで恋でもしているようだが、生憎傷心中の女に手を出す趣味は持ち合わせていない。
ならば彼女が吹っ切れた様子なら本腰を入れて狙うのかとアウレン辺りが聞いたらツッコミを入れて来そうだが、その時のことはまだ俺自身でさえもわからない。
恋愛なんてこの歳まで一度もしたことはないのが主な原因だ。
カトラスには再三、恋愛の素晴らしさや妻の存在の偉大さを夜通し語られたものだが、今までピンと来たことはない。
守ってやらなくてはと義務感を感じたのは、頼りないエリアスが勇者として俺の前に現れた時が始めで、本能的に守ってやりたいと思ったのはアリア=リベルタが始めなのだ。
どちらもおそらく、王都ではあまり見ることのない弱々しさがそうさせるのであって、これが恋なのだと、思春期の少女のように決めつけてしまうのはあまりに早計だと思えてならない。
ただ一つだけ確かに思うのは、いつかこの笑顔が満開になるところを見てみたいなということだ。
……とはいえ俺が彼女と交わす会話など簡単なもので、今日の天気のことだとか、今日は市場で何が安かったとか、そんな世話話だけだ。
人に話しかけるのに緊張をするような性格ではないが、いかんせん彼女との共通点というものが少なすぎる。
共通の知り合いであるエリアスの話でも出来れば状況は一気に変わるのだが、あいつの話が出来ればこんな風にはなっていないのだ。
「ごちそうさま。今日も美味しかった」
「いつもありがとうございます」
こうして今日も店員と客として無難な会話を繰り広げて店を後にする。
いつか彼女にとってあの日が思い出に変わればいいと、そう、思っていた。
「シリウス、今日もあの店に行ってきたのか?」
門をくぐる直前、何やら困り顔のエリアスと遭遇した。
手には手紙が握られており、誰かに手紙を出して欲しいと頼もうとしたのだとすぐに予想ができた。
だがそれにしては様子がおかしい。
手紙なら城の中で、使用人か誰かに渡せばいい。いつものように俺に頼むのなら待てば良かったのだ。
「その手紙、急ぎか? なら今からでも出してくるが」
俺が帰ってくるのも待てないほどなら今からでも郵便窓口に出してきた方がいいかと手を差し出す。
けれどエリアスはそうではないのだと首を振り、恥ずかしそうに頬を掻いた。
「その、郵便窓口の場所がさ、わかんなくて」
「は?」
「何回も行ってるはずなんだけど、ド忘れしちゃったみたいでさ。思い出そうとはしてるんだけど、思い出せなくて……」
「お前は郵便窓口の場所なんて初めから知らなかっただろう」
エリアスが勇者になってから間もなく、郵便窓口の場所を教えたことはある。手紙を出したいと言ってきたから教えてやったのだ。
けれどエリアスにとって王都の街並みは少し複雑らしく、眉間にシワを寄せては渡した地図をウンウンと唸りながら睨みつけていた。
エリアスが幼馴染の少女と過ごす時間を少しでも長くするために、その役割を請け負ったのはそれからだ。
だからエリアスは一度だって郵便窓口を訪れたことはない。
だから、それは単純にエリアスが今さらながらに俺に遠慮をしているのだと思った。
「俺は王都に帰ってきた時には家族に手紙を出していたぞ?」
「そうだけど、その手紙を郵便窓口に持って行ったのはお前じゃないだろう? いつもみたいに出してきてやるから遠慮するな」
「は? 何を、言ってるんだ?」
「? エリアスこそどうしたんだよ。今さら遠慮なんかしなくていいからそれ貸せ」
何かが納得いかないのか首を傾げているエリアスから手紙をふんだくると、回れ右をして郵便窓口へと向かった。
多少、入り組んだ道を通るが距離はさほど遠くはない。
窓口で一通の手紙を渡すとすぐに用事は終わり、再び城へと戻るのであった。
今日のエリアスはなんだか様子がおかしいな、と。さすがに体力に自信があるとはいえ、色んな人に囲まれる生活に疲れてきているのかと。
その時の俺は、エリアスの小さな変化を、それくらいにしか思わなかった。
けれど日が経つにつれ、エリアスは不思議なことを口にするようになった。
決定打となったのは、気分転換に買い物に行きたいというので、強くなったエリアスには不要とも思える警護を兼ねて、ついて行った時のことだった。
人通りの少ない道を中心に王都を散策している時、エリアスはポツリと呟いた。
「しばらく来なかったうちに結構店、変わったのな」――と。
通り過ぎる店はこの2年間、入れ替わっていないどころか、外装も変わっていないというのに。
「何言ってんだよ、エリアス。この辺りの店は前からあっただろう」
「あれ、そうだっけ? 酒場とか雑貨屋さんがあったような気がしたんだけどな。……気のせいか」
『酒場』と『雑貨屋』。
それはどちらもこの王都に数店ほど存在する。
だが同じ道沿いにあるのはたった一箇所だけだ。
そしてその道には『サリー食堂』も並んでいる。
だが俺はエリアスにそのことを告げることは出来なかった。
彼の目はどこかを彷徨っているようで、その事実を告げたら最後、エリアスは迷子になってしまうのではないかと思えたのだ。
それから俺の中には『エリアスは記憶喪失なのではないか』という疑問が生まれた。それもおそらくアリア=リベルタに関する事柄だけ。
エリアスが嘘をついていないことを前提条件として、そう仮定するなら全てがしっくりいくのだ。
アリア=リベルタの名前や顔を覚えていないと言ったこと――おそらく本当に覚えていないのだとしたら?
郵便窓口に向かおうとしたこと――アリア=リベルタと会う時間を作らなければ、エリアスは王都へ帰るたびに郵便窓口に足を運んでいたことだろう。
そして彼の口から出た、街並みのこと――それはおそらく王都でエリアスが一番多く見た景色でもあったはずだ。一部的な記憶がなくなろうとも、頭ではしっかりと覚えているのだろう。
頭の中に発生したばかりの回路は次々と明かりを灯していった。そしてそれは俺に希望を与える。
『まだ彼女を笑顔にできる方法がある』――と。
婚約を結んだ姫様には悪いが、俺は仲間のエリアスと、門の前で泣き崩れた少女には笑って欲しいんだ。
例え、それがどんな結末になろうとも。