3.その姿は聖女のように
城へと帰ってきたカトラスはいつもの、何を考えているのか他人に悟らせないようにしているのではないかと思う固まった表情ではなく、どこかやり切ったような、新しいお気に入りを見つけたかのような、そんな浮かれた表情を浮かべていた。
軽やかな足取りでシリウスの部屋へと向かおうとしているカトラスの手を引き、階段の影へと連れ込むとすぐさま彼を問いただした。
「アリアさんは何と?」
現段階ではまだ一国の姫を背負った身でありながら、恥ずかしい行動をとる私にカトラスは目を大きく見開いていた。
だがそれもほんの一瞬のことで、いつも通りの無表情に近い表情を作り上げると己の胸元へと手を伸ばした。
「まず先にこちらをお返しいたします」
カトラスの胸元から出てきたのは一通の手紙だった。
そう、カードではなく手紙だったのだ。
「カードは……」
破り捨てられたのかもしれないと、残された手紙からカトラスへとすぐさま視線を移すと彼は作り物のような端麗な笑みを浮かべた。
「受け取っていただけました。当日は出席なさるそうです」
その言葉に身体中の筋肉が緩むのを感じながら、糸の切れた人形のようにその場へと座り込んだ。
アリア=リベルタという少女は私が想像する以上に心の広い人なのかもしれない。
彼女は私を悪役にすらしてくれないのだから。
なら私は、エリアス様を幸せにするしかないじゃないか。
それが彼女への一番の贖罪なのだから。
婚姻式で初めて会ったアリアさんは太陽のように明るい笑顔の似合う女性だった。
私のように作り物の笑みを貼り付けているのではなく、心の底から感情を表すその顔に、シリウスが彼女に惚れた理由を痛感させられた。
本当にエリアス様の隣にいるのは私でいいのだろうか?
アリアさんを目の当たりにして、再び生まれた戸惑いはエリアス様とアリアさんの2人によって払拭される。
「エリアス、私を招待してくれてありがとう」
「しないわけないだろう。アリアには彼女と幸せになることを祝ってほしかったからな」
エリアス様は私の肩を強く抱いて、快活に笑った。
アリアさんは「おめでとう」と祝いの言葉を投げ、そして「エリアスをよろしくお願いします」とこんな私に笑いかけてくれたのだ。
だから私は彼女に、そしてこの場にいる全員に誓う。
「エリアス様は私が絶対に幸せにしてみせます」――と。
それからは一気に彼らと一気に打ち解けられたような気がして、後から入ってくるシリウスを温かい眼差しで見守った。
想像していた通り、彼はガチガチに固まってしまっていて、終始慣れない敬語を使い続けていた。
だがそれはアリアさんものようで、カップに口をつけながら時折表情を固くしていた。そして気づいたように唐突に笑って見せるのだ。
何か気がかりなことがあるのかと尋ねようとして、けれど初対面のアリアさんに遠慮して、どうするべきかと考えながら口をパクつかせていると代わりにエリアス様がその問いかけを投げかけてくれた。
「アリア? 具合が悪いのか?」
「少し幸せムードに当てられただけ」
問いの答えははぐらかされたような気がした。
だがエリアス様は「そうか」と恥ずかしそうにはにかみ、アリアさんもその後はまるで何か吹っ切れたように笑うので、それ以上何かを尋ねることなど出来るはずもなかった。
その日を境に婚姻パレードの準備は加速した。
まるで今までのは全て準備運動だったのではないかと思うほどに、ルートの確認やドレスの最終採寸にかかる。
そんなてんてこ舞いの日々を送っていると夕刻を過ぎたあたり、シリウスは侍女たちが萎縮するような表情を浮かべてこちらへと歩み寄ってきた。
もちろん彼は侍女たちを縮こまらせたいわけではなく、おそらくは何かしらの事情を抱えているのだろう。
「入ってちょうだい」
シリウスを近くの客間へと通すと、侍女たちを部屋から出した。
そして「何があったの?」と彼に尋ねる。すると彼は何も言わずに胸元から出した真っ白な封筒に大きな文字で『辞職届』とかかれたそれを机にスライドさせた。
それを手に取り、息を飲んだ。
私はエリアス様と手を取って、共に歩む未来を進むことを決意した。
だがシリウスは違うのだ。
彼はずっと見守り続けた少女から身を引く決意をしたのだと、その届け出が如実に語っていた。
その封筒を労わるように中から1枚の紙を取り出すとそこに書かれていた退職日時はちょうど婚姻パレードの翌日であった。
「これからどうするの?」
口を真一文字に結んだシリウスは何も答えはしない。じっと彼の目を見つめているものの、全く視線も合わない。
ただ彼はそれを私に受け取らせたかっただけのようだ。
それはまるで1人だけ幸せをむしり取った私への決別状のようで、また1つ罪が重なったような気がしてならなかった。
それでもシリウスは私達の婚姻パレードには出てくれるというのだ。
私は裏切り者でも、エリアス様は彼にとって大切な親友だから。
「シリウス、ごめんなさい。そしてありがとう」
頭をゆっくりと下げて謝罪と感謝という正反対の言葉を告げると彼は固く閉じた口を開いた。
「姫さん、これは俺が決めたことなんだから謝るな」
その言葉は私を突き放すような音を孕んでいるのに対し、彼は何かを諦めたように目を細めて笑っていた。
いよいよ婚姻パレードという日、パレード台に乗った私は後ろで控えるシリウスにとある違和感を感じていた。
正確にはその日に突然、ではなく、彼に退職届を差し出されたあの日から何とも言えない違和感を抱えているのだ。
そしてその違和感はパレードもその後の城内での披露宴も終わり、部屋へと戻ろうとしていた時に明かされることとなった。
鬼の形相で、周りの衛兵や使用人をとりつかせない勢いで正面から歩み寄ったカトラスとその妻は私とエリアス様を通り過ぎ、そして彼女はシリウスのネクタイを思い切り引いた。
「シリウス、あなた何をしてるの! 早く伝えてきなさいよ! あんたがノソノソしてるうちにアリアちゃん、実家に帰っちゃうわよ!」
シリウスの首が締まるのもお構いなしに、一気に近づいた彼の耳元で甲高い声を上げる。
そしてその後ろではカトラスは妻に同調するようにウンウンとうなずいた。
シリウスはか細い彼女の指をネクタイから解くと首元を緩めて息を吸い込む。そしてゆっくりと口を開く。けれど吐き出された彼の言葉は彼らが望んだものではなかった。
「アリアっていうと……あの食堂の子だな。 実家に帰るのか、寂しくなるな……」
確かにシリウスの口から出たはずのその言葉は彼のものとは思えなかった。
エリアス様のように忘れてしまっているわけではない。アリアさんのことを覚えていて、この態度なのだ。
するとその言葉に顔を歪めた2人は「これ、借りますね」と一方的に言い放ち、シリウスをどこかへと引きずって行ってしまった。
その様子に残された私とエリアス様はわけもわからず2人で首を傾げあった。
そして3日後シリウスから退職届を取り下げて欲しいとの申し出があった。
この数日で何があったのかと訳を聞いても答えてくれない彼に「アリアさんと何かあったのかしら?」と問うとその視線が激しく右に左にと動き出した。
それはもう真実を語っているようなものだ。
部屋の机の中に厳重に保管しておいた退職届を暖炉の火にくべると元共犯者の彼へと笑いかけた。
「幸せになりましょう」
「ああ」
シリウスならばアリアさんを幸せにしてくれるだろうと私の中で確信めいたものが光り輝いていた。
それから時は何度も巡り、今度は私とエリアス様がアリアさんとシリウスの結婚式へと招待されている。
純白のウェディングドレスに身を包み、隣に立つシリウスに笑いかけるその姿はまるでおとぎ話の聖女様のように眩しかった。