2.悪女
それからしばらくして、シリウスが魔法を解く方法を見つけ出した。正確には解くために足りなかった何かを見つけ出したらしい。
それが何かは教えてはくれなかったけれど、その代わりに「本当にいいのか?」と最終確認をする。
あれから2年以上が経った。用意などもう出来ている。そして何よりもうこれ以上は引き延ばすことはできない。
「シリウス、エリアス様のことを頼みます。私はお父様の説得に行ってきます」
「俺も一緒に行った方が……」
「いえ、私1人で十分です」
世話焼きで、共犯者のシリウスにエリアス様を頼み、そして私は一人、王座へと向かう。
シリウスに説得とは言ったものの、今からするのは説得などではなく、これから起きることの説明に他ならない。
「今すぐ新聞社に例の情報をばら撒くように伝えてちょうだい」
「かしこまりました」
玉座に向かうその途中で、一番信頼の置ける侍女を新聞社へと走らせる。すでに密会にしか見えないアングルで私とシリウスを撮った写真は新聞社に渡してある。それも1人にではなく、複数の記者に、だ。
とある記事を合図に後は面白可笑しくした記事を書いて、早く拡散してくれと頼んだからきっとお父様との話が終わった頃には町中に出回ることだろう。
背後はもう崖っぷちで、逃げる道などどこにも残ってはいない。だがそれでいい。
魔王の呪いを受けた私は、悪役の姫としてこの国を去るのだから。
「お父様、お話があります」
「なんだ、セシリア」
謁見を全て終え、気を抜いていただろう玉座のお父様に語るのは私がシリウスから教えてもらったことと、そして私の描くこれからのシナリオ。
エリアス様に幼馴染がいること。
二人は結婚の約束をしていたこと。
エリアス様が幼馴染の記憶だけを失っていたこと。
そしてその記憶は今日で戻ること。
私がスキャンダルを起こすことで王族を辞め、彼との婚約を破棄すること。
「私は姫という立場から退くことにいたします」
お父様は始終信じられないとでも言ったように顔をしかめていたが、私の話を遮ることはなかった。
その代わりに終わるやいなやすぐに王都中に売られた例の新聞を回収するために使用人を走らせた。
「セシリアは部屋で待っていなさい」
最後にそう残して去っていったお父様の言葉を無視して私はすぐさまシリウスの部屋へと向かった。
「シリウス、エリアス様の様子はどう?」
「よく眠ってるらしい。目を覚ました頃には全て思い出しているだろうよ。それで……姫さんの方はどうだった?」
「お父様が例の新聞の回収を始めたわ。今頃、他の記事も完成している頃でしょうけど」
「後戻りは出来ねぇな」
「今さらでしょう? そんなのするつもりもないわ」
苦い汁でも飲み干したような笑いをどちらともなく浮かべると、私は自室へ、そしてシリウスはエリアス様の様子を覗きに彼の部屋へと向かった。
後はエリアス様の目が覚めるのを待つだけだ。
そしてそれは待つこと7日、妙に早く目が覚めた朝にエリアス様にかかった呪いは解けた。
「アリア、アリア、アリア……」
隣室、エリアス様の部屋からは呟くようなその名前が壁から伝わってきた。何度も何度もその名を呼んで、そしてそれは断末魔のような絶叫へと変わる。
廊下へと響くその声につい耳を塞ぎたくなった。けれどこれは私が彼を愛した代償ならば受け入れなければいけないのだ。
震える歯を唇へと突き立てて、私は一歩、また一歩とエリアス様の部屋へと近づいていく。
部屋のドアには少しだけ隙間が出来ており、そこからはすでに到着していたらしいシリウスの声が漏れて聞こえてくる。
「『魔王の呪い』ってとこだな。姫様に色々と協力してもらっても3年近くもかかっちまった。だがお前はもう自由だ」
こんな時でもシリウスが隣に居てくれるのだと思うと心強く、私は力強く部屋へと踏み込んだ。
「エリアス様」
「セシリア姫様……」
「父上には昨日、本当のことを話しました。スキャンダルを流していただくよう、街の新聞社にも協力を仰いでいます。ですからエリアス様は、アリアさんの元へ行ってあげてください。彼女はずっとこの王都に残っているのです」
話したのはもう7日も前のこと。だがエリアス様は自身が7日も眠り続けていたことを知らない。
前に進む彼はそんなこと、知らなくていいのだ。
「アリアならあの食堂にいる。行き方は、覚えてんだろ?」
「ああ」
すぐに駆け出したエリアス様の背中をシリウスと並んで眺める。
「行っちまったな」
「そうね」
「殴る暇さえなかった」
「殴るつもりなんて最初からなかったでしょう」
「そうでもない。だけどあんなになった友人を殴れるほど俺は人を捨てたつもりはないだけだ」
私はその日を境にエリアス様の背中を見ることはもう二度とないだろう――そう思い込んで居た。
だがエリアス様は、そしてアリアさんは私の予想通りには動いてくれなかった。
「姫様、俺と結婚してください」
飛び出してからわずか半日と経たずに城へと帰ってきたエリアス様は一直線に私の部屋へと赴いて、そして跪いた。
「エリアス様はアリアさんと結婚の約束をしているのでしょう? 私なんかのことは気にせずに、どうかお幸せになってください」
「アリアに、言われたんだ。幸せになって欲しいと」
「え?」
「アリアは俺に幸せになってくれと言ったんだ。あの子は優しい子だから、約束を破ったことを責めるでもなく、俺の幸せを願ってくれた」
「なら!」
「俺はあなたと幸せになりたい。姫様と共に、アリアに祝福して欲しいんだ」
「そんなの、許されませんよ……」
それじゃあ、3年も待ち続けてくれたアリアさんに私は何を返せばいいのだろう。奪った時間は返っては来ないのだ。
「姫様は誰に許されたいんだ?」
「アリア、さんに……」
「あの子は涙を流しながら嘘なんてつけない。昔から泣き虫だけど正直で、そして誰よりも優しい子なんだ。俺はあの子の幸せになって欲しいって言葉が嘘だとは思わない」
「私は……」
私はアリアさんという人をシリウスの報告に上がる程度のことしかよく知らないのだ。
だがシリウスもエリアス様もまるで彼女を聖女かのように称するのだ。私とは真逆の存在だ。
本来、聖女こそ勇者の隣に相応しいのではないか?
ならやはり私はここから退くべきではないだろうか?
「セシリア!」
私の思考を遮ったのはエリアス様だった。
いつも姫様と呼ぶ彼が名前を呼び捨ててくれたのは初めてのことで、嬉しさや悲しさがないまぜになって、自分でも理由がわからずに頬に涙を伝せた。
「俺と一緒に幸せになってください」
私はやっぱり悪女なのだろう。
だってこの手を掴んでしまったのだから。
「シリウス。私、アリアさんに謝りたいの」
あれ以来、仕事の時以外は自室に篭り続けるようになったシリウスの部屋へと押しかけ、主従というよりも友となった彼に相談を持ちかけた。
だがシリウスの反応は芳しくない。
「アリア?」
そう彼女の名前を反芻して、思い出すかのように空を見上げた。
何をいまさらと空気の中から記憶でも探っているかの様子の彼との距離を詰める。
「アリアさんは、私とエリアス様が共に生きることを許してくれたから。……でも私、まだその言葉を信用できてなくて。だから彼女の本当の気持ちを調べてきて欲しい」
「あー、えっと……それはカトラスに頼んでもいいか?」
「カトラス?」
カトラスといえばシリウスが最も信頼している友人の1人である。確かアリアさんが初めて城にやってきた時に対応したのは彼だったはずだ。
だがなぜ彼に頼む必要があるのだろう。
首を捻って考えていても相変わらず答えは出てこない。そんな私を無視してシリウスはポリポリと頬を掻くと作戦をツラツラと説明していく。
「姫さんの言葉を綴った手紙に宮廷魔導師、バリス=ルジャンタンの魔法をかける。感情を視覚化できる魔法だ」
「感情を視覚化……」
「色で見えるらしいが、それは術者か術者の許可した人間にしか見られない。今回はその役をカトラスにやってもらって、出た色に応じて何かを渡してもらえばいいんじゃないか?」
確かにその方法だったら私の謝罪を伝えることと彼女の気持ちを確かめることが出来る。
「わかったわ。手紙、書いてくる」
それから私はアリアさんへの溢れ出す想いをペンに乗せて走らせた。
何十枚にも渡るそれを書いては線で掻き消して、そしてまた付け加えては丸めてくずかごへと放り込む。
すでにお父様によってこの騒動はかき消されつつある。
まさか以前撮った記念写真がこんな使われ方をするとは思わなかったが、お父様の方が一つ上手だったというわけだ。
だがもし、少しでもアリアさんに後悔が見えたのなら私は立てた計画通りに動くつもりだ。
一方的に勇者である彼の手を離して、そして突き飛ばす。
そして出来上がったのは私の自己満足な謝罪文だった。
出来上がったそれを見て自分でも笑ってしまうほどに。
私はきっとアリア=リベルタという少女に軽蔑して欲しいのだ。
自分勝手であると、穢らわしいと罵って、そして私からエリアス様を取り戻して欲しいと綴っているようなものだ。
口元には笑みを、目元には僅かな希望が詰まった涙を浮かべ、そして私はもう一通の罪を償う旨を記した手紙を綴った。
こちらはアリアさんが少しでも迷ったら渡して欲しいと頼む予定だ。そしてこの手紙こそが今回の大本命でもある。
そしてもう1つ、手元にあるカードは渡すべきかと躊躇いながら手遊びをして見せる。
これはお父様が作らせた婚姻会の招待状である。今回の動きが仇となり、急速に事を進めてしまおうというのだ。
今はエリアス様の故郷に立とうする伝令役にどうしても最初に伝えたい人がいるのだと嘘をつき、その足を止めている。
だがそれも時間の問題だ。
事情はすでにシリウスから聞いているらしいカトラスに2通の手紙と1枚のカードを手渡すとこれからの運命をカトラスという1人の男に託した。