3.俺の幼馴染は
あの出来事がきっかけとなり、手紙に書かれる言葉は余所余所しい物へと変わっていき、そして交わす数も自然と減ってしまっていた。
だがそれはアリア=リベルタが生んだ家族の溝だけが問題ではなく、ただ単純に俺も姫様の婚約者としての役目に追われているというのもある。
初めこそ一線引いているようだった姫様は婚約者として行動を共にするようになるにつれて、次第に笑った表情を見せるようになった。
姫様という役職に相応しいほどに凛々しいその少女がふとした拍子に浮かべるその笑みは年相応のもので、王族として常に責任を背負う立場である彼女を支えてやりたいと思うようになったのはその頃だった。
極たまに周りを警戒しながらも何やらシリウスと話し込んでいるらしい姿を見て、嫉妬してしまうことがあったほどにその心は次第に大きい物へと変わっていっていた。
時折影を孕むようになった笑みに自分では彼女の婚約者にはなりきれないのではないかと無力さを悔いたこともある。
だがその度に姫様への想いは積もっていった。
だから唐突に記憶が戻ってきた時には酷く混乱した。
ある日いつものように起きるとアリア=リベルタという少女が自分の幼馴染で、そして結婚の約束までしていたという確かな自分の記憶が頭を這いずり回っているのだ。
「アリア、アリア、アリア……」
嫌悪感すら抱いたその名前を呟いて、3年間己が侵し続けていた罪の重さにやっと気づいたのだ。
あの子はずっと待っていてくれていたのに、迎えに来てくれたのに、俺はなぜ……気づけなかったのだろうか。
「ああああああああ」
不快感を覚える自分の身に爪を立て、嘆き喚く。
悔いたところでアリアとの約束を破った、彼女を傷つけた日々は戻って来ることはない。
だが出来ることならどこにいるかも分からなくなってしまったその少女に謝罪をして、そしてすべてをやり直したいという気持ちがあふれかえり、それもまた叫び声へと変わっていく。
「エリアス!」
「シリウス……俺は、俺はアリアをずっと忘れていて……」
「ああ知っている。俺も、姫様も、アリアも」
「え?」
「なぁ覚えているか? 魔王の最期の言葉」
魔王――それは魔族を統べる王に相応しいほど強く、孤高に君臨する者だった。
絹のような指通りの良さそうな銀髪と、この世のものとは思えないほどに燃えるような紅を持った瞳が一生かけても忘れることが出来ないほどに印象的な見た目を持った彼は聖剣でその身を貫かれると最期、灰となって魔界の風に乗せて飛んで行ってしまった。
『私を殺したことを後悔する日がいずれ来ることだろう。それまで生ぬるい日々に浸かっているといい』――それこそ魔王が最期に残した言葉だった。
刃の突き刺さったその身を撫でながら、こちらへと向けた笑みは何よりも美しく、それでいて恐ろしい。
今になって思えばこんなに簡単に思い出せるのに、この3年で一度だって魔王の最期の言葉を思い返した日はない。アリアの存在と共に記憶の底に封印でもされていたかのように。
「まさか……」
「忘却魔法だよ、それも最上級の。……最期の力をそんなことに使うなんて、魔族っていうのは本当に何を考えてるんだかわかりゃしねぇ」
「忘却、魔法……」
「『魔王の呪い』ってとこだな。姫様に色々と協力してもらっても3年近くもかかっちまった。だがお前はもう自由だ」
「エリアス様」
「姫様……」
「父上には昨日、本当のことを話しました。スキャンダルを流していただくよう、街の新聞社にも協力を仰いでいます。ですからエリアス様は、アリアさんの元へ行ってあげてください。彼女はずっとこの王都に残っているのです」
「アリアならあの食堂にいる。行き方は、覚えてんだろ?」
「ああ」
シリウスに思い切り背中をたたかれ、脇目も振らずに駆け出した。
まだ待っていてくれるのならば、アリアとの約束を果たす機会を与えてもらえるならば俺は心にひっそりと芽吹いた姫様への恋心さえも淡い記憶として眠らせてしまえる。そう、思った。
「エリアス……幸せになってよ」
だがアリアは、幼かったはずの彼女は俺を責めることもなく、俺の幸せを願ってくれた。
涙も鼻水も垂らしながら、ただひたすらに。
そこには俺の知っていたアリアはもういなかった。いるのは記憶の中よりも何倍も強く、そして綺麗に成長した女性だった。
それから時が経ち、今では俺はセシリアと2人の子を連れ添って今ではアリアの結婚を祝福する側へと立っている。
アリアの隣に立つのは俺の親友、シリウスだ。
何がきっかけで知り合いになったのかと聞けば、アリアは「教えない」と意地悪に笑い、そしてシリウスもまた口を噤んだ。
勇者となって人生設計のほとんどを変更した俺だったが、アリアの笑顔を見るという未来に変更はなかったようだ。
ただそれは俺の隣で笑う姿ではなかったけれど、だが彼女が俺と同じように幸せだと笑っていてくれることで、心の中でヒッソリと残っていた氷が溶けていく気がした。
「幸せになりましょう!」
シリウスと共に笑い合う俺の幼馴染は、泣き虫だったはずのアリアはいつからか勇者に選ばれた俺よりもずっと強くなっていた。
それは魔王の呪いがもたらしたものなのか。
だとしたらきっと魔王を最後の最後で討伐したのはアリアなのかもしれない。