21.エピローグ
シリウスさんと別れ、そして住み慣れた家へと帰るとそこにはエプロン姿で、スパナを顔の前で握っている兄さんの姿があった。
「…………兄さん、何してるの?」
まさかもう一度あのお守りを王都で拝む日が来るとは思いもしなかったと呆れながら、兄さんに問いかけるとスパナを机に取り残して、私の元へと駆け寄った。
「あ、アリア! お帰り! んで、例の彼とはどうだった? 上手くいったか?」
「上手くって何よ……」
「え、ダメだったのか? ……兄ちゃん、せっかくアリアのお祝い料理作ったのに……。いや、その場合は励まし料理にすればいいだけか?」
ランランと輝くその表情は破られた風船のように一気に萎むと、悲しそうな背中を私に向けた。
けれど兄さんは次の私の言葉だけで簡単に息を吹き返す。
「お祝いも励ましもしなくていいわ。その代わり、私はやっぱり兄さんと実家には帰れない。だからこれからも王都に残るってことを父さんたちにも伝えてほしいの」
「何だ、上手くいったんじゃないか! 兄ちゃんは信じてたぞ! ほらアリア、お前の好きなカレー作ったから早く食べよう!」
手を引いてキッチンまで誘導すると、ジャジャーンと交換音を口で発しながら鍋いっぱいのカレーを披露した。
「好きっていうか、兄さんがそれしか作れないだけでしょう?」
「そうともいうが、まぁいいだろう。早く早く」
はしゃぐ兄さんは私を先に席に着かせると、鼻歌混じりで皿にカレーをよそった。
すっかりお客さんとなった私の目の前に用意されたのは兄さんお手製カレー。目視で確認できる材料といえば、ミンチにされた肉だけである。そんなところも相変わらずだ。
スプーンにドロっと乗ったそれは昔と変わらずやはり美味しくて、これだけは兄さんには勝てないなと思い知った。
「みんなに伝えてやらなきゃな!」
一晩中笑みを絶やさなかった兄さんは翌朝、目が覚めた頃にはすでに姿を消していた。
その代わりに真っ白な手紙が机の上にドッシリと置かれていた。
「孫の顔なら兄ちゃん達が散々見せてるから、アリアは自分と相手のことだけ考えとけ」――と。
手紙が飛ばされないように押さえるためか、はたまたお守りとしての効果を期待してか、手紙の上にはスパナが置かれていた。
お守りとしてのそれをカバンの中に入れると食堂へと向かった。
時間はまだまだ早い。
だが王都に残ると決めた以上、彼女たちには早く伝えなければと気ばかり急いていた。
「サリーさん!」
開店前のドアを勢いよく開き、そしてすでにそこで開店前の清掃を始めているだろうサリーさんに新たな決断を伝えようとすると私の口から出るよりも早くサリーさんの口から「アリア、あんた、やっぱりここに残ることにしたんだって?」と告げられた。
「え、何でそのことを……」
「さっきアリアちゃんのお兄さんが来てね、今後もアリアちゃんをよろしくって言って行ったのよ〜」
「王都に残るならこれからもここで働くってことでいいんだろ?」
「これからもよろしくお願いします」
すでに食堂に集まって居たサリーさん、スリュウさん、リリさんに改めて頭を下げると三人は笑って「こちらこそ」と歓迎してくれた。
勇者に敗れた魔王は死の直前、勇者に忘却の呪いをかけたらしい。
大切な約束を忘れてしまう呪いだ。
だが魔王自身、それが4人の人間が幸せを掴み取るために役立つとは夢にも思わなかっただろう。
呪いと祝福――それは結局のところ、受け取り方次第なのだ。
少なくとも私はそれを『祝福』と呼ぶことにする。
パレードの数ヶ月後、姫様の懐妊が報告された。もちろんエリアスとの子どもだ。
彼によく似た優しい笑みを浮かべる子で、スクスクと順調に育っている。
それから時は巡り、王家に2人目の子どもが誕生してまもなく、私は女の子の憧れである純白のドレスに身を包み、シリウスさんと共に神様に永遠の誓いを立てた。
そこでは誰もが幸せそうに笑いあっている。
「アリア、幸せになろう」
「はい!」
もちろん魔王の祝福を賜った私も指にリングを光らせながら幸せを噛みしめるのだった。