20.魔王の呪い
カトラスさん夫妻が私の前を去って今日で3日が経つ。
街はまだ熱気に包まれているがパレード当日と比べればだいぶ落ち着きを見せてきた。王都外からやってきた見物客はあらかた実家へと帰って行ったのだろう。
私は歩きやすくなった王都で久々に買い物をすることにした。王都見物をしたいと言い出した兄さんは荷物持ちも兼ねて連れ出した。
夕食用の買い物は早々に終わらせて、そして行き側に兄さんが興味を持っていた屋台ロードへと回った。
「アリア、これは何だ?」
「リンゴ飴。リンゴを水あめでコーティングしたお菓子。美味しいわよ」
「親父、それ2本くれ」
「あいよ」
リンゴ飴屋の店主から水あめに包まれたリンゴの突き刺さった棒を受け取ると、兄さんから荷物を一袋受け取る代わりにそれを1本手渡した。
昔は兄さんがたくさんのことを教えてくれた。
これは食べられる木の実だとか、いい土の見分け方だとか。
それがここでは私の方が教える側となっている。
見るものに目を輝かせ、そして今は嬉しそうに私の隣でリンゴ飴をかじっている。薄っすらと膜を張った水あめはあまり抵抗することなく、リンゴまですんなり歯を通してくれる。
二人並んで食べればシャクシャクとリズムよく都会の喧騒と馴染んで奏で始める。
「うまいな、これ。あいつらへのお土産はこれにしよう」
「もっと保存の効くものか、後に残るものがいいんじゃない?」
「まぁ、そっか……。王都なんかこの先来るかわかんないもんな」
兄さんのなんて事なく発した言葉に実家に帰るとはそういう事なのだと改めて理解する。
今や当たり前になった風景だが、村に帰ればそれは都会の、村とはかけ離れた風景へと変わる。
王都なんて一生行くことはないと思っていたあの頃が妙に懐かしく思えた。
「アリア!」
シャクシャクとリンゴをかじる音をかき消すようにやってきたのはすっかりと耳に馴染んだ声だった。
その声の主は食堂に来ていた頃のように、街によく馴染む格好で額からは汗が流れ伝っている。
突然目の前に現れたシリウスさんに、気まずようにしていると兄さんは手早く残っていたリンゴ飴を食べきると、私の手から紙袋を奪い取る。
「俺は先、帰ってるから」
「え?」
戸惑う私の肩をそっと叩き、そして耳元で小さく囁いた。
「ちゃんと話してこい」
そして兄さんはこの数日ですっかり城と化した私の家へと帰って行った。
その足取りは何故か軽やかで、ここが街中でもなければスキップでもし出しそうなほどだった。
「買い物中にすまない。どうしても話したいことがある」
「私も、です」
その一方で私達の間に流れる空気は曇り空のようにドンヨリとしている。
立ち話はなんだからとのシリウスさんの提案で、近くの喫茶店に入った。シリウスさんは紅茶を、そして私は同じものをミルク付きでと頼んだ。
注文を伺いにやってきた店員は私達が別れ話でもし出すのではないかとただならぬ雰囲気を察知したように、用意したカップとポットをそれぞれの前に置くとそそくさと退散していった。
「話、とはなんでしょう?」
すぐにカップに口をつけるシリウスさんとは対照的に私はまだ湯気の出ているその水面を眺めながら切り出した。
「ああ、その……カトラスからアリアが実家に帰るって聞いてな。いい人が見つかったのかと思って」
「いえ特には……」
「そう、か」
「…………シリウスさん、エリアス共々、色々とお世話になりました」
「いや、あれは俺が好きでやっていたことだから気にすんな」
仕事だからと言わないのは彼なりの優しさなのだろうか。
その優しさと沈黙はこのアツアツのカップに注がれたミルクのように溶けて混ざり合う。
「アリア。アリアは呪いが解けて良かったと思ってるか? 記憶を取り戻してもなお他の女を選んだエリアスを憎んではいないのか? ……門の前で流した涙を忘れることは本当に出来るのか?」
私の中ではいい思い出へと変わっているそれをシリウスさんはかき乱した。
「エリアスには幸せになってもらいたいんです。エリアスは私の大切な幼馴染ですから。それに涙なら、もう流し切りましたから」
門の前で、カトラスさんの前で、脇目も振らずに泣き続けた。
優しい3人に囲まれて、酒を含ませた愚痴と共に溢れかえった。
そして最後にエリアスの前で子どもの頃に戻ったみたいに目を腫らしながら嬉しさを流した。
もう泣くことはやめた。
やめて、私はエリアスとは違う方法で幸せになる。
それが何かまだわからないけれど、サリーさん曰く『弱音を吐いたら終わり』だから弱音だけは吐かずに前を向く。
「アリア……」
「そうだ、シリウスさん。美味しいお菓子のお店は知りませんか? 甥たちにお土産を持って帰ってあげたくて……」
「アリア! アリアの幸せはもう、この王都にはないのか?」
「それは……」
王都に来てから私はサリーさん達と出会うことが出来た。
そしてエリアスとのことがあっても残ることを決めた私はシリウスさんと出会うことが出来た。
小さな幸せは野に咲くシロツメクサのようにそこら中にあるのだと知った。
「少しでも迷いがあるのなら、俺はアリアが幸せになるための手伝いをしたい。いや、させてくれ!」
「シリウスさん!!」
頭を深々と下げて頼み込むシリウスさんの頭に投げかけた声は思いのほか大きくて、自分自身ですらも驚いてしまった。
けれどそれを引っ込めることはせずに言葉を続ける。
「私はあなたに感謝こそすれ、責任を感じていただくことなど一つもないんです。だから、だからどうか私のことは忘れてあなた自身の幸せを掴んでください。……エリアスもカトラスさんもあなたが幸せになることを望んでいるはずです」
「俺は責任を感じているつもりは全くない。そして助けたつもりも。俺は自分のためにあの呪いを解いた。絶望に落ちた少女に、一目惚れした女の子にただ笑って欲しかったからだ」
「シリウス……さん?」
「なぁ、帰らないでくれと縋ればここに、俺の元にアリアは残ってくれるか? あの日みたいに椅子でもお茶でも用意してやるから、だから俺の隣にいてくれ」
「椅子とお茶って……まさかシリウスさんは……あなたはあの日の門番さん、ですか?」
言葉に出して、そしてやっと納得する。
カトラスさんに感じた違和感を。
あれ以上言葉遣いを崩すことなど出来ないのだと言った彼の口調があの日と別物だったからだ。だがそれは全てではなく、例えばカトラスさんのため息なんかはあの日と全く同じものだった。
だからこその違和感だった。
だがもし途中から応対してくれた門番さんがカトラスさんとは違う誰かなんだとしたら……。
その中にはもちろん、私の希望的観測も含まれている。
シリウスさんだったらいいと。
彼だったらその行動を取っていたのではないかと。
そしてシリウスさんは短く「ああ、そうだ」と私の望みをふんだんに含んだそれを肯定した。
「……あの日、エリアスの元に確認に来たカトラスが『アリア』の名前を口にした時すぐにピンと来た、エリアスの婚約者の名前だと。あいつが散々自慢した少女だと。なのにあいつ、知らないの一点張りだった。だから俺が中継役となるためにカトラスの姿となって門へと行った。そこで初めてお前に出会った。そこにいたのは小さくて可愛くて、守ってやりたくなる女の子だってよくあいつが言ってた通りの子だった。できることなら震える身体を抱きしめてやりたいと思った」
「シリウスさん……」
「2回目に城に来た時、実家に帰るのかって聞いただろ? 覚えてないと言い張るエリアスは何て説得しても聞かなくて俺自身が諦めていたからだ。それなのにお前、いつまで経っても王都から出ていかねぇし、それどころか店ではいつも笑ってて……。いつかエリアスの記憶を取り戻したらあいつをぶん殴ってやろうと思ったのに、はぁ……」
シリウスさんのため息はカトラスさんよりも短く、そして少しだけ低い。
ほんの一息つくかのようなそれはまさしく私の知っているシリウスさんのものなのだ。
「好きだ、アリア。エリアスはもう姫さんのもんで、パレードの隣の男は兄さんらしいじゃねぇか。隣が空いてんなら、そこを俺に譲っちゃくれねぇか」
「はい……」
「いいのか!? 俺、お前より7つくらい歳が上なんだが」
「7つくらい気にしませんよ。それよりシリウスさんこそ私でいいんですか? 私、かの有名な勇者様に捨てられてますけど」
「いい女拾ったって自慢してやるよ」
私達は高ぶった感情を分かち合うように街中ということも忘れて抱き合った。
周りは何だ何だとざわめき、そしてとりあえずいい雰囲気に乗ってやれとばかりに拍手や口笛で私達を祝福する。
そこにいる誰もが私たちが、勇者の幼馴染と勇者の仲間だとは夢にも思わないだろう。
そしてその二人を結んだものが魔王の呪いであるとも。