2.婚約発表?!
凱旋式が終わり、その後一週間にも及ぶ勇者一行の慰労会が終わったと新聞が報じた後もエリアスが私に会いに来てくれることはなかった。
だが正式に婚約を結んでいるわけではない私が、幼馴染だという理由だけで城に滞在している勇者エリアスに会えるはずもなく、ただひたすらに彼が会いに来てくれるのを待った。
けれど私の元へとやって来たのはエリアスではなく、王国新聞を手にするチャールズ伯父さんだった。
「なぁ、アリア。これは、この記事は嘘だよな? それとも僕とシンディの目がおかしくなってしまったのかい?」
震える手をした伯父さんからその新聞を受け取るとそこに書かれていたのは、エリアスと姫様が婚約を結んだという記事だった。
「嘘……でしょ?」
その記事の示すことの意味が私にはよく、理解が出来なかった。
なぜならエリアスはつい3月ほど前、魔王を倒す前に一度王都へと戻ってきた時に彼は約束してくれたのだ。
『アリア、愛してる。これが終わったら2人で村に帰って結婚式を挙げよう』――と。
例えそれを報じたのが王国お抱えの新聞社だとしても、信じられるはずがなかった。
その新聞をグシャッと握りつぶしたまま走った。向かうのは当然、エリアスのいる王城だ。
会わせてもらえないだろうとか、エリアスが来るまで待とうとか、もうそんなこと言っていられないのだ。
私はどうしても彼に会わなければならない。
その気持ちが兄さん達からさんざん運動音痴と馬鹿にされていた私を馬のように勢いよく走らせた。
「エリアスに、エリアス=バクスタに会わせてください!」
「無理です」
「私は彼の幼馴染なんです」
「この一週間、そう言ってあなたと同じように勇者様に会おうと大勢の人が押し寄せました」
堅物そうな門番さんは他の人達にそうしたのと同じように私を軽くあしらって、早く帰れとばかりにしっしっと手を振る。
けれど、そんなことで引くわけにはいかない。門番さんにとって勇者に会おうと押し寄せる人は皆、門の前で返すのが仕事なのだろうが、私にとっては今この瞬間こそが一大事なのだ。
「私は本当にエリアスの幼馴染なんです。彼に幼馴染のアリア=リベラが来たと言えばわかります。だから、だから彼に会わせてください」
仕立てのいい彼の服を握りしめ、そして人目をはばからず涙を浮かべて願った。
すると名前を名乗ったことが良かったのか、はたまた周りの人から刺される視線が思いのほか辛いのか、門番さんははぁっとあからさまにため息をついてから私の頭に救済処置を投げかけた。
「……わかりました。ですが、あくまでも私は確認をするだけです。勇者様が会ってくださるかまでは断定しかねます」
それでも十分だった。
私が来たと言えばきっとエリアスは顔を見せにやって来てくれる。
そう確信して王城へと戻って行く背中に深々と頭を下げた。
けれどそれから10分ほど経って、戻って来たのは門番さんただ一人。
そして彼は面倒臭そうなため息を吐いてから一言告げた。
「知らないそうだ」――と。
「そんなわけがありません! 彼が、エリアスが確かにそう言ったんですか?」
「ああ、そうだ。あんたももうわかったろう? 勇者様とは会えないんだよ。早く家に帰れ」
「なん、で……」
まともに対応することが面倒になったのか、敬語を崩した門番さんは野良犬を追い出すようにしっしっと手を振る。
その手に応じるがままに私は震える足で歩き慣れた王都の道を踏みしめながらチャールズ伯父さんの家へと帰った。
未だに状況が理解出来ないチャールズ伯父さんと奥さんに門前払いを食らったことなど告げられるはずもなかった。
それから数日後、立ち直ったチャールズさん夫婦はきっと何かの間違いだったのだろうと私を励ました。
そして私もまた、このままへこんではいられないと再び城へと赴いた。この前とは違う門番さんに頼み込み、そしてエリアスに幼馴染のアリアが訪れて来たと言付けを頼む。……けれど結果は同じだった。
そして今度のエリアスはもう一言だけ付け足したらしい。
もうその少女がやって来ても取り次ぐ必要はない――と。
それは明確なまでの拒絶だった。
そう告げた門番さんの前で今度こそ立ち直れずに地面にへたれ込んでいると、交代の時間になったのか、以前取り合ってくれた門番さんがこちらへやって来た。そして先程の、彼よりも見た目がいくつか若い門番さんから事の経緯を聞き出すと今回は取り繕う様子もなく、呆れたようにため息を漏らした。
「せめて名前を変えりゃあいいものを……」
よほど勇者に思い入れがあったんだろうと門番さんは頭を掻きむしってどうするか自問自答した後で「そこは邪魔だから退け」と門の前から自分の隣に移動させ、そして「女を地面に座らせたままだと品位に関わる」と椅子まで用意してくれた。
その間、門番さんが一度と帰れと言わなかったことをいいことに私は「冷えるからな」という理由で差し入れられたお茶のカップを両手で包み込みながらずっとその水面を眺めていた。
門番さん達の隣で椅子に座ったままの、何とも人目を引く光景にありながら、私を気にする様子の全くない珍客は5人ほどいた。
それはどれも勇者に一目会いたいと願う者ばかり。
助けてもらったお礼を言いたい、と告げたエリアスとは歳がうんと離れた商人が1人。
昔から知り合いだから祝福の言葉をかけてやりたい、と笑うチャールズ伯父さんよりも数個歳下くらいの男性が1人。
学生時代の友人なんだ、とその一点張りで通そうとするエリアスと同じくらいの歳の男性が1人。
同じ村に住んでいて、住人を代表して会いに来たと言い張る男女が1組。
初めの一人はどうか知らないが、他の四人は嘘を並べて勇者に会おうとするばかり。
エリアスの昔からの知り合いならば私も顔を知っていなければおかしいのに私はその男性を見たことも、その名前さえも聞いたことはなかった。
エリアスは勉強をするのは好きではないと、動物や植物と戯れている時間が落ち着くと、おじさんの提案を跳ね除けて学校に行くことはなかった。
広大な土地の割には住んでいる人は少ないあの村では皆が顔見知りで、その男女は一度だって村にさえ来たことがないとすぐにわかった。しかも今は種まきの時期で村人なら誰しも畑を離れたがらないし、そもそもうちの村から王都まで片道3日。姫様との婚約が報じられた新聞が村に届くまでの時間も合わせると嘘だとすぐに見抜くとこができた。
初めの一人も門番さんに言わせればここぞとばかりに王家に顔を売りに来ただけの商人だと言う。
そんな人達を追い返すのが最近の門番さんの専らの仕事であるらしく、前回わざわざエリアスに私のことを聞きに行ってくれた、そして今回は椅子とお茶まで用意してくれたとは思えないほど雑に、時には強引にその客人達を返していった。
「なぜ、親切にしてくれるんですか?」
最後の客人が帰った後で、門番さんに尋ねてみた。
すると彼はわざわざ隣に座ったままの私の顔を覗き込むことなく、前を見据えたまま答えた。
「あんたは初めから嘘をついていないだろう」――と。
その言葉は空耳かと疑って勢いよく顔を上げたがやはり門番さんは真っ直ぐと前を見据えたままで、そのことがさっきの言葉が彼の心からの言葉だったことを如実に表していた。
彼は私を本当に幼馴染だと信じてエリアスの元へと出向いてくれた。そして彼に断られたことを告げ、私をその場から遠ざけた。
「勇者様は姫様と婚約なされた。それで、あんたはどうすんだ。実家に帰るのか?」
そして彼はきっと私とエリアスの関係を見抜いているのだろう。その上で遠回しに諦めてさっさと村へと帰れと促してくる。
だがそれは嫌味でも何でもなく、私が考える最善の方法と合致している。
――だが私はその道を選ばなかった。
幼馴染に、勇者エリアスに捨てられてもなお私は王都へ残ることを決断したのだ。