19.嵐のような二人
「それじゃあ、兄さん。行ってきます」
「行ってらっしゃい」
パレードから帰るとコーヒーを一杯飲んでから、すでに用意しておいた荷物を取って家を出る。
瞼の裏に2人の幸せな笑みを焼き付けて、そしてカバンにつけた時計を覗く。5年来の相棒はまだ時間まで余裕があることを示している。
それでもこの人ごみを掻き分けながら時間通りに着くことが出来るかと心配になった。
パレードが終わったとはいえ周りは人だらけ。これでも店の中に入っている人も多くいるのだからパレード中よりはずっとマシなのだろう。
王都に来てしばらくとはいえ、未だに人ごみには慣れない。牛とか羊とか動物に囲まれるのと訳が違って、右や左、はたまた前から後ろから押されて揉まれる感覚が好きにはなれないのだ。おまけに背があまり高くないせいですぐに埋もれてしまう。
先ほどみたいに兄さんというがっしりとした支えも今はない。
流されながら何とか人ごみから吐き出されるとそこは運良くも店の近くだった。この通りはどこも店主や従業員もパレードが観たいという理由から店を閉めているのだ。
このあたりの店もそろそろ開店する予定なのだが、人ごみの中から営業時間の書かれた小さな看板を読み取る人は居ないのだろう。
「ふぅ……」
あの波から見事に脱出したことに安心し、一息つく。
するとその平穏は束の間の間のものだったと証明される。
「アリアさん! 彼は一体どなたですか?」
「カトラスさん!?」
あの人ごみの中から迷いなく、ただ一直線に私の元へとやって来るカトラスさんからは独特の威圧感を感じられ、つい上半身だけ後ろへ仰け反る形となってしまった。
「アリアちゃん、ごめんなさい。でもね、どうしても聞いておきたいことなのよ」
「はぁ……」
カトラスさんの背中からひょっこり出てきたセレンさんに両手を包み込まれ、もとい上半身を元の場所へと戻されると私は観念してカトラスさんの話に耳を傾けることにした。
「それで彼は、先ほど隣でパレードを見ていた男性は誰なんです?」
「パレードを? ああ、それなら私の兄ですよ」
「お兄さん、ですか……。そうか、良かった……」
するとカトラスさんは一気に力が抜けてしまったようにその場にへたり込んでしまった。
「大丈夫ですか?」
手を伸ばし、そしてその手を取ったカトラスさんを引き上げるとその腰はセレンさんによって支えられた。
「すみません。てっきり私はあなたに恋人が出来たのかとばかり」
「そんなに驚かれるほど私は恋人が出来なさそうですか……。まぁ、家族も結婚はしなくていいから帰って来いっていうくらいですし、別にいいんですけどね……」
それでカトラスさんは地面にへたり込んだのかと思うと怒りを通り越して呆れてしまう。
実際に恋人なんて居ないし、パレードを実家からやってきた兄さんと見るくらいだし、そう言われても仕方がないことは自覚していた。
今の時点で実家に帰ってくるようにと手紙を出した私の家族はすでにそのことを感じ取っていたのかもしれない。
どうせ誰もいい人いないならうちで一緒に暮らそう――と。
「帰る……のですか?」
「ええ。本当は以前カトラスに問いかけられた時に帰る予定だったんですけど、それからまぁなんというか、延ばし延ばしになっていたのが今になって現れたといいますか……」
あの時は本当にもう実家には帰れないとさえ思った。もう、ずっと王都にいるなり何なりして暮らすのだと。
そしてエリアスの一件があってから自分の意思でこの場所に残って、それで……今度こそそうすることに決めた。
「そのことはシリウスには伝えてあるの?」
「へ? シリウスさん、ですか? お世話にはなりましたけど、伝えるも何も最近会ってませんし、会う手段もありませんし……」
会いたくないというのが本音だが、お世話になったのも事実だ。
エリアスに頼めば手紙くらい届けてくれるだろうから後からお礼の手紙を出すのも手かもしれない。
「いつですか? 帰るのは」
興奮しながら前のめりになって聞いてくるカトラスさんの肩を押し返す。
「1週間ほどはいる予定ですよ。お店の方も忙しいですし」
「1週間ですね、わかりました」
そうしてセレンさんと共にカトラスさんは嵐のように去っていった。
結局何しにやってきたのかわからぬまま、私は人ごみに紛れていく2つの背中を見送るのだった。