17.兄さんと
兄を迎えに行きたいとサリーさんに告げ、休みをもらった私は今、王都の集合駅にいる。
いつ見ても大きなその駅には何十台もの馬車が止まっては発車し、そして止まりをせわしなく繰り返している。
そこから少し離れた場所には3人がけのベンチが5台設置されていた。迎えに来てくれる人か次の馬車を待っているらしいその人の顔を一通り眺めるも兄さんの姿はなかった。
代わりに空いているベンチに座りもせず、大きな荷物を背負ったままキョロキョロと周りを見回す、一際目立った男性を見つけることには成功した。
間違いない、彼こそ兄さんである。
「兄さん!」
「ああ、アリア。久しぶりだな!」
「久しぶり。それで兄さん、その手の中のものは何?」
5年ぶりに再開した兄さんへの挨拶もそこそこに、私は兄さんの右手に視線を移した。そこには何故かよく磨かれたスパナが握られていたのだ。誰だって聞かずにはいられないだろう。
すると兄さんはそのスパナを自分の顔の近くまで持っていくと「お守りだ」となんでも無いように言ってのけた。
私の知らない5年であの村に何が起きたのかと心配になっていると、それが顔に出てしまったのか兄さんは慌ててその用途について説明した。
「これはな、アリアを狙う悪い虫を見つけたらこれで殴れってマイスが渡してくれたんだ!」
それを聞いても全く安心できないのだが……。
ああそういえば以前、マイス兄さんが王都に来た時は腰から工具セットを下げていたっけと私の遠い記憶の中から探り当てる。
そして刃物ではなかっただけマシかと無理矢理結論づけることにした。
私に悪い虫などついていない。驚くほどにクリーンである。つまり兄さんがそのスパナを誰かの脳天めがけて振りかざすこともない。
そしてそのスパナは兄さんの言葉を借りるなら『お守り』であり、刃物や銃、そして魔法を発動させるためのステッキと比べれば持っていたところで衛兵さん達に取り締まられるわけではない。
とりあえず兄さんの手の中からお守りを奪い取って、背中の大きなカバンへと差し込むと空になったその手を引いた。
「ほら兄さん、家に行くわよ」
強く握り返したその手の温かさは懐かしく思えたのだった。
「綺麗にしてんだなぁ」
「そりゃあ、まぁ……掃除したからね」
何が珍しいのか部屋をグルグルと見回しては、王都に来てから買った雑貨を手にとって「これいいな。ミラへのお土産はこれにしようかな?」なんて散策を始める。
見られて困るものや簡単に壊れるようなものもないので、兄さんをそのまま放置して私の方は早速夕飯作りへとかかる。
途中で宿を取るとはいえ、疲れていないはずがない。兄さんは疲れよりも空腹が先に来るからと今日は朝から市場に行って色々と買い足して来た。
前から料理は得意だったが、最近はサリーさんの指導も入り、作れるメニューは数を増して来た。
慣れた手つきで作っては出来たものから机に乗せて行く。
「兄さん、ご飯出来たよ」
「おお! アリアの飯、久しぶりだなぁ!」
数品出来た時点で兄さんへと声をかけると、すぐさま興味は食事へと移った。
「んまい!!」
キッチンに立ち、他の料理も作っていると背後からは何度も兄さんの歓喜の声が聞こえてくる。
「ありがとう。ほら、お水も飲んで」
家にある全ての皿を出し切った私はグラスに入れた水を差し出す。すでに右手には水差しが控えており、当たり前のようにすぐ空になったグラスに水を注いで行く。
そして2杯目も空になったグラスに視線を注いでから、キッチンの横の備え付けの木戸へととを伸ばす。そして取り出した瓶を胸の前で掲げてみせる。
「兄さん。お酒、店長さんからいただいたんだけど飲む?」
兄さんが来るからと伝えたところ「これ持って来な」とサリーさんが持たせてくれたのだ。酒好きのサリーさんのコレクションの一部だから美味しいことは確実なのだが、いかんせん兄さんはお酒にめっぽう弱い。
「飲む飲む」
それでもお酒好きの兄さんの答えはもちろんイエスで、入れすぎなければいいかと思ったのだが……兄さんは1杯も飲まないうちに酔いが回った様だった。
早くないかと思いつつ、瓶のラベルの項目に目を通して、ああと納得する。どうやらサリーさんの持たせてくれた酒はコレクションの中でもアルコール濃度の高いお酒だったようだ。
酔った兄さんに酒瓶を奪い取られないうちに自分のグラスにも1杯だけ注ぐとさっさと木戸の中に隠してしまう。
「あ、美味しい」
口に含んだその瞬間にフンワリとした甘みが広がって、さすがサリーさんのオススメのお酒だとその味を堪能する。
酔ってしまった兄さんはお酒よりも食事の方が気に入ったのか、まだ机の上に残っている料理をノロノロと口に運び続けていた。
「アリアは可愛いし、気立てもいいし、それでいて料理も得意ときた。本当になぁ、相手が姫様じゃなけりゃあ勝ってたのになぁ……」
「兄さん、それにこういうのは勝ち負けじゃないでしょう?」
前半二つは明らかに兄さんの目に家族フィルターがかかっていると無視して、空いたグラスを再び水で満たすと、酔った兄さんを諌めた。
「恋は勝負事と一緒。惚れたら負け、惚れさせたら勝ち。俺なんかもうこの何年もミラに負けっぱなしだからな!」
「兄さん、結局嫁自慢したいだけでしょ……」
「うちのミラは世界一の嫁さんだからな!」
「はいはい」
結局は嫁自慢が始まるわけである。
本当にカトラスさんと会わせてみたら延々とお互いの嫁の自慢大会が続くんじゃないかってくらい。
兄さんの奥さんであるミラさんは兄さんが学生時代に見つけた女性で、よくあんな村に嫁に来てくれたと家族の誰もが関心したものだった。
ちなみに兄さんはこの通りミラさんを溺愛しているが、ミラさんの方も中々のものだ。
結婚10年を過ぎた今なおこの状態ならきっと死ぬまでそうなのだろうと、家族の誰もが兄さん達の夫婦仲を優しく見守っている。
兄さんは酒と愛情が混じって緩みきったその顔で恒例のミラさんとの出会いを一通り語ると、ふと真面目な顔を見せた。
「だからアリア、帰ってこい。ミラも父さんも母さんもマイスもエリザも、みんなお前の帰りを受け入れてくれるから。…………まぁ、兄ちゃんとしては王都に誰か一緒に居たい人がいるなら大歓迎だけどな〜」
それだけ言ってから机に顔を叩きつけるように眠りについた。
言いたいことだけ言ってから寝てしまうのは相変わらずである。
私も言わなきゃいけないことはあったのに……と少しだけ恨めしく思いながらも、最後の最後まで私の意思を尊重しようとしてくれる優しい兄さんにそっと毛布をかけた。