16.突然の来訪
あれからいつも通りに働いていると、店には珍しく一人客の女性が現れた。
腰ほどにある髪を一本に束ねたその女性は私を視線に捉えるやいなや、ズンズンと一直線に私の目の前へとやって来て、そして嬉しそうに左右に口を開いた。
「あなたがアリアちゃんね! 話は聞いてるわ!!」
「ええっと……どちら様でしょうか?」
嬉しそうにコロコロと笑う可愛らしい女性にどう対処するべきか困りあぐねているとスッと私の背後からカトラスさんが現れた。
「セレン、アリアさんが困っていますよ」
「ああ、そうね。名乗っていなかったわね、私、カトラスの妻のセレンと言います。いつも夫がお世話になっています」
「ああ! セレンさんですか、いつもカトラスさんから話は聞いています。お会いできて光栄です」
「本当に!? こんな可愛い子に光栄って言われるなんて……。ねぇカトラス、聞いた?」
「ええ、セレンに会えて嬉しくないものなどこの世には存在しません。それになによりアリアさんはシリウスに次ぐ私の良き理解者ですから」
なぜかカトラスさんの方が自慢げに胸を張るとセレンさんは「そうだったわね」と一層頬を緩ませた。
「そうだ、セレン。ここのピザは美味しいんですよ。一緒に食べませんか?」
「いただこうかしら」
セレンさんはカトラスさんに連れられて、彼の指定席となった四人がけの席の、カトラスさんの隣に位置する椅子にちょこんと座る。ちょうど焼き上がったピザをその席まで運ぶとまるでそれを初めて見るかのようにキラキラとした濁りが一切感じられない瞳を私の手元へと注いだ。
「マルガリータです」
「美味しそうね!!」
その言葉を最後に席に運ばれてくる食事を完食するまでセレンさんが言葉を発することはなかった。
終始一方的なカトラスさんの説明だけがその空間に残っていて、何か気分を害することでもあったのかと心配になった。食事を運びに行く時にチラッと二人の顔を覗き込んで見る。するとセレンさんもカトラスさんも嬉しそうに頬を緩ませながら食事を楽しんでいた。
ホッと胸を落ち着かせていると、カトラスさんは私の視線に気づいたのかちょうどいいとばかりに追加の注文まで入れてくれた。
「今日のオススメのピザとパスタ、それに日替わりデザートを追加でお願いします」
その間もセレンさんは黙々と食事を続け、カトラスさんはその姿を愛おしそうに眺めていた。
「セレン、ゆっくりでいいんですよ」
カトラスさんの言葉を頭上に受けて、セレンさんは一瞬手を止めてコクリと頷き、そして食事を再開した。
結局カトラスさんとセレンさんはあの追加だけでは足りなかったらしく、もう一度、今度はデザートを中心とした追加オーダーを入れた。
そしてやっと落ち着いたらしいセレンさんは食後の紅茶を飲みながら「美味しかった……」と幸せそうに息を漏らした。
「ところでセレン、今日はどうしてここに?」
「どうしても何も、カトラスもシリウスも美味しい美味しいって自慢する割にぜんっぜん連れていってくれないじゃない? だから自分から来たの。それにアリアちゃんにも会ってみたかったし」
「私、ですか?」
「そうそう、だってあなたはシリウスの「セレン、ストップです。それ以上はいけません」
珍しくカトラスさんは人の、しかもよりによって愛するセレンさんの話をわざわざ口元を封じるようにして遮ると、申し訳なさそうに彼女が話を続けることを拒んだ。
「そうなの?」
口元をカトラスさんの手で塞がれているせいかくぐもった声で疑問を投げると、カトラスさんはその手を離してから「ダメですよ」と優しく告げた。
「まぁ、シリウスのことがなかったにしてもここに来て正解ね! だってここの料理は最高ですもの!」
『シリウス』と告げられた人物のことが喉に引っかかった魚の小骨のようではあるものの、すでにセレンさんの中では終わったことのようで、それからはどの料理が美味しかったか、そしてどんな料理があると嬉しいと興奮気味に語り始めた。
途中から、キッチンに立っていたサリーさんはこちらへと出てきて、その言葉を熱心にメモに取っていた。
完全に聞き手はサリーさんに交代した私はその場にたたずみながら、頭の中で数ヶ月前までこの場所にいたはずの大きな背中を思い出していた。
この場所にいる限り、彼の背中を探し続ける日々はいつまでだって続くだろう。
現に今だって、その名前を聞いただけで胸が痛み始めるのだから。