10.明かされる心
「この後、用事がありまして」と言えばサリーさんはすぐに「行ってきな」と私の背中をバシンと叩いた。
ニヤリと笑っているところを見るにサリーさんは私がデートか何かに行くのだと勘違いをしているのだろう。
声をかけられた場所は店の端の方の席で他のお客さんからは見えづらかったとはいえ、キッチンのサリーさんにはバッチリ見えていたのだろう。
サリーさんは地獄耳だから会話が聞こえていたっていうのも考えられるけど。
否定するのもなんだか申し訳ないような気がして軽く笑って受け流すと約束の店へと向かった。
彼から指定された店は王家御用達の店で、励まし会の酒場ですら場違いだった私としては店内に足を踏み入れることに戸惑いを感じた。
私を呼ぶくらいだからドレスコードとかはないんだろうけど、明らかに先程から店に入って行く人達は『貴族様』って感じの風貌で、店の前で一歩進んでは下がってを繰り返す私と違って何の迷いもなかった。
「アリア=リベルタ様でいらっしゃいますか?」
「は、はい!」
「お連れの方がお待ちです。どうぞこちらへ」
「お願いします」
気を利かせてくれたのか、それとも不審者に声をかけただけなのか、それは定かではないもののお店の人から声をかけられなければきっと後10分くらいは店の前で不審な行動を繰り返していただろう。
以前勇者に選ばれたばかりのエリアスを村まで迎えに来た衛兵さんのような彼に着いて店の中へと入って行くとあるのは大きな通路と扉ばかり。どこにも机と椅子の見当たらないこの店は全室が個室のようで、案内された最奥の部屋に至るまで、壁とドア、そして案内してくれている男性の背中以外の物を目にすることはなかった。
「お連れ様がお越しになりました」
「どうぞ」
「失礼します」
部屋の真ん中にいた、私を呼び出した張本人はやはり食堂の一席よりも、あの日用意されたパイプ椅子よりも、いくらなのか聞くのさえ恐ろしいほどに高価なソファがよく似合う。
「あの」
「まずはお座りください」
「は、はい」
促され座ったソファは身体が沈んでしまうほどに柔らかく、この部屋に自分しかいなければこのソファに自分の身体の全てを預けてしまったことだろう。それほどまでに魅力的なソファであっても目の前の彼は天井から糸で吊り下げられているのではと疑いたくなるほどピンと伸びた背中を預けることはないようだ。
その姿に私の背筋もつられてピンと伸びる。
「そう緊張しないでください」
「は、はぁ……」
そうは言われてもここは完全に私にとってのアウェーで、目の前の彼は『ザ 役人さん』という感じのかしこまった様子。
それに何より私は敬語というのが好きではないのだ。村では年上の人に多少丁寧な言葉で話すことはあっても、私みたいな小娘にそんな言葉を使うことはまずない。だからだろうか、こう、何というかむず痒くなる。
余計に身体に力が入り、強張った私を彼はあからさまに大きなため息を吐いた。
「これでも砕けて話している方なんです。これ以上となると難しいので我慢してください」
「は、はい……。あ、そうだ、門番さん! あの時はありがとうございました」
それはここに来るまでに決めたこと。
覚えていないだろうと思ってはいたがお礼を言いたかったのだ。
こんな変なタイミングで言うつもりはなかったが、頭の中は混乱してしまっていてどうしようもなくなっていた。そんな中、一番初めに口元へやって来たのがこの言葉だったのだ。
すると彼は頬を緩ませクスッと笑った。
「カトラスです」
「へ?」
「私の名前。カトラス=リクセルと申します。門番はただの役職です。あなたも役職名で呼ばれるのは快く思わないでしょう?」
「はい」
「ではアリア=リベルタ」
「アリアでいいです。フルネームで呼ばれるのはちょっと……」
「それは失礼。アリアさん、本題に入ります。こちらが姫様から預かった手紙になります。この場で中を確認していただけますか?」
机に滑らせて差し出されたのは真っ白な封筒だった。
ひっくり返すと真ん中に真っ赤な封蝋がつけられており、そこには国旗のデザインと同じものが描かれていた。おそらくこれが王家の紋様なのだろう。『姫様からの手紙』と、カトラスさんからの言葉を疑っていたわけではないのだが、その言葉の現実味が今になって一気に私の指へと押し寄せる。
役人さんが人目を気にしてわざわざ高級料理店の、それも個室に呼び出して渡すのだ。渡される側としては何かしてしまったかと不安で仕方がない。
慎重に扱うように見せかけて時間稼ぎをしようとするも案外封蝋というのは簡単に取れるもので、すぐに便箋の頭が顔を出した。
…………これではもう心の準備という名の悪あがきも出来そうにはない。
「……よし」
気合いを入れてその便箋を取り出して開くと、そこに書いてあったのは私に対しての謝罪だった。
途中途中、難しそうな文章が紛れてはいたが、どれもこちらを伺うような定型文だったので読み飛ばした。
そして姫様の本当に言いたいのだろう言葉だけを抜き出して読んでみた。
エリアス様を、彼をあなたから奪ってしまってごめんなさい。
あなたの存在を知って絶望した自分がいたの。すでに彼を愛してしまって、後戻りは出来ないと思ったから。
3年間もの間、苦しませしまってごめんなさい。
彼を許してくれてありがとう。
姫様からすれば謝罪の言葉。けれどエリアスを、大事な幼馴染を押し出した私からしてみれば幸せのご報告だった。
新聞の写真を見ただけでも十分伝わって来たけれど、だけど姫様直々にエリアスを愛していると言われたのだから。
嬉しくないはずがない。
鏡がないからわからないが、私の頬は緩み切っていることだろう。
「カトラスさん、姫様に『エリアスをよろしくお願いします』と伝えていただけますか?」
「それは自分で伝えてください」
「でも姫様にお会いする機会なんてありませんし……」
私はエリアスの幼馴染ではあるが、それただの一国民に他ならない。
カトラスさんやシリウスさんのように国に仕えているわけでもなければ、新聞の記事に載せてもらえるような素晴らしい発見をした研究者や功労者でもない。
そんな私がパレードや式典で遠目で姫様の姿を眺めることはあれど、会うことはこれから先もないだろう。
だからこれはカトラスさんから伝えて欲しいのだと言葉を濁しながら暗に告げると、カトラスさんは少し口角を上げ、そして胸元からもう一通の封筒を取り出した。
「姫様から、いえエリアス様と姫様からもう一通、封筒を預かっております」
『手紙』ではなく『封筒』と示されたそれを開くと中には一枚のカードが入っていた。
エリアスと姫様からの招待状だ。
それも結婚式典とは別に身内だけで行われるのだという婚姻式の。
「エリアス様のご家族にはまた後日、別の者がお届けにあがります」
「……私が、私が、行っても、いいんですか?」
「エリアス様と姫様はまず初めにどうしてもあなたにこのカードをお渡ししたかったそうですよ」
その言葉に自然と涙は頬を伝う。
私とエリアスは夫婦にはなれなかったけど、それでも家族であると言ってもらえた気がして、認めてもらえた気がして嬉しくてたまらない。
最近の私は涙腺が脆いようで、こんなところ兄さんに見られたら泣き虫アリアってからかわれるだろう。けれどこれは嬉し涙だから、いくら流したところで恥じることなどはないのだ。
「必ず出席させていただきます」
指で涙を払いながらカトラスさんへとそう告げた。