記憶保存クラウドサービス
段々と階段状に広がる田園にポツンとひとり、
腰を屈め、一つ一つ丁寧に苗を植える男の姿があった。
周りの田畑は管理されていないのだろう雑草が荒れ放題、酷いところは肩の高さまで草木が生い茂り、まるで森林だ。
男はゆっくり状態を起こすと、真南に上がった太陽の日差しを睨みつけるように見つめ、持っていた苗を地面に叩きつけた。
「もうダメだ!」
注意︰脳核の容量が98%を超えました。削除もしくは記憶保存クラウドサービスを受けて下さい。容量を超えますと日常生活の最低必要になる情報を維持し、その他記憶を選定自動消去します。
今は西暦2090年日本、
人口の半分は脳核を電脳に移行し、
記憶の情報の出し入れを自由にすることが容易になった未来。
電脳化が法的に確立されたばかりの未完成の未来の話。
情報は金となり、新しく瑞々(みずみず)しい脂ののった情報ほど高値で売り買いされる。
それこそ釣りたての脂ののった魚を美味しく頂くのと一緒だ。
それとともに情報の累積は宝だ。
聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥。
より正確でより詳しい情報は相手を信用させ納得させ、絆を深める重要な信頼関係を深めるためのツールとなる。
それと同時に情報は心を豊かに、清らかしてくれる。
私は親の残した財産を使い電脳化にすることに決めた。
私の人生にとっての賭けをしてみたくなったのだ。
今までスマートフォンで見ていた二次元の世界から一変。
脳内VRを使ったバーチャル世界は海外旅行しなくともまるでそこに行った気になった。味わってしまった。
世界がこんなに広く美しいとは、
天空城マチュピチュの絶景やマーライオンの大きさも手のひらサイズと思っていたから、あんなに大きいとは知らず驚いた。
テレビのマスコミが取り上げないような事件や事象も
ネットの広大な海を泳ぎながら深い喜び悲しみ怒り楽しみなど様々な感銘を受けた。
電脳化せず、平凡に生き見識も視野も狭かった頃の自分が歯痒い、もっと早く電脳化をしてればよかったと思えるほどだ。
つい3ヶ月前に電脳化した私は、その3ヶ月間好きに情報を貪り、まるで六法全書を何冊かを速読でいっぺんに読むかのように、いろいろな情報を肥えるように蓄えていった。
しかし、腹回りにつきすぎた贅肉(膨大な情報)のせいでどうやら動きが重く遅く鈍く、削ぎ取らないとダメなようだ。
だが、私はこれらの素晴らしい情報を捨てるなんて出来ない、
だから一時的に保存することにした。
それが、
「記憶保存クラウドサービス」である。
ネット上のクラウドに記憶の一部を保存する。
記憶の銀行といったところか、私のような人が利用するサイトだ。
もちろん保存したのは私の電脳化する前の田舎暮らしの記憶だ、
世界は広く美しいのに、私が住まういつもの田舎、田園風景を見た所で面白くもなければうんざりする。感銘などありえない。
必要最低限の生活に関わる情報を残し、後の個人的な情報は片っ端から淘汰し、私は世界の素晴らしさを美しさを醜さを飲み込むように取り込んでいった。
それから一ヶ月後、事件は起きた。
「記憶保存クラウドサービス」がサイバー攻撃を受けたらしい。
それは断じてない無いと嘘だと運営側は言っているが、
その情報はまことしなやかにネットで囁かれた。
膨大な量の情報が損失し、破壊されたらしい。
調べるには無断で侵入するしか方法がないが、そんなことをしようものなら硬いファイアーウォールが私の電脳を焼き切り脳死するだろう。
そんなこと出来るそこは、政府公認の誰も踏み入ることが出来ぬ言わば聖地なのだから。
私は恐ろしく黒く澱んだ何かをクラウドに保存している気がしてきた。
何か分からないがこみ上げる焦りにも似た恐怖になされるがまま、
急いで今までの大事で膨大な情報を泣く泣く削除してゆく。
中国有数の観光都市「九寨溝」は透明度の高い水と沈殿した石灰岩で昼間は鮮やかな青に夕方には橙に色を変える。
削除
イタリアのローマに昔から伝わる闘技場コロッセオ。
「コロッセオの立つ限りローマは立つ。コロッセオの倒れる時ローマは倒れん」とうたわれた有名な大建造物。
5000頭もの猛獣と・・・
削除
日本語に訳すると聖家族贖罪教会という正式名称を持つサクラダファミリア。スペインのバルセロナにあるカトリック教会のバシリカである・・・
削除
削除
削除
削除・・・
膨大な情報料を昼夜問わず思考を指を巡らし、それでも荒方削除に三週間ほどかかった。
そして、とりあえず必要枠をクラウドサービスから今までの情報を戻してもらった。
保存していたデータはIDナンバーやロックや、ファイル名などどこを取っても見た目は本物。
だが、私はこの帰ってきたデータが全くもって本物かどうか払拭出来ずにいた。疑わしい。まるで模倣して作った偽造データのように見える。
しかし、では、私の思い出とはなんだっただろうか、
長らく自分自身を他所へ追いやっていた私は私が分からなくなっていた。
実際にマチュピチュに行ったか?行ったような気がするが行ってない。よな?
この目でマーライオンは見たか?見てないはずなのだが見た。気がする。
このうんざりする田園風景で、田舎暮らしを私は過ごしていたのか?その筈だが自信がもてない。
混乱する記憶の中で、確固として確かなことがあった。
私はここにいてここで生きている。
生かされている。
それだけで充分だったんだとやっと気がついた。
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