~糸~
「ひかるくん、私ね夢ができたの。今ならそれがハッキリ言える。」
「何?」
「あ・し・な・が・おばさんになる!」
「え?あ・し・な・が・おばさん⁈…」
「そう。カッコいいでしょ。」
「…うん。」
「ありがとう。」
「え?」
「感謝してる。私を見つけてくれて。」
「うん、まぁ…」
今度は私の番。陽の当たらないような場所で懸命に生きている人にスポットライトを
当てるの。ひっそりと咲いている小さな花に素敵な名前をつけて皆に知らしめる。
それが私の目標。
私は心の中でそう決意していた。
子供が産まれたのは奇しくも達矢さんのお子さんが亡くなった日だった。
『これで達矢さんの奥さんの夢も、またもう一度、繋ぐことができる。』
私はなんだか肩の荷がスッと降りたような気がした。
「子供の名前は のぞむ 、橘 望。でももうすぐ 柚木 望 になるの。達矢さん喜んでくれる
よね、見守っててくれるでしょ。」
私は子供を腕に抱きながら、鏡の中の達矢さんに話し掛けた。
ひかるくんと私にとってこの一年は人生において最も重要な一年になった。
それぞれの夢を追いながら、己を知るいいきっかけにもなり、また何と言ってもお互い
がお互いにとってどんな存在であるのかがハッキリと認識できたからだった。
“こんな時、ひかるくんなら、きっとこう言って笑わせてくれるに違いない”“橘さんなら
こう言ってくれるのにな…”目の前に相手がいない時でもそんなふうに思えた瞬間が度々
あったということ。これは単なる偶然の一致ではなく、お互いが心の中でずっと探し求
めていた答え、そのものではないかと気付けたことだった。
“運命の人⁈”もしかしたらこの人こそが本当の運命の人ではないか、と思った。
「橘さん俺、日本に帰るから。そしたら…そしたらずっと一緒にいて欲しい。俺決めた
から。パパにだってなれるよ。いや、なる。」
「え?もう一度言って。」
「パパになるよ。」
「もう一度!」
「だから、パパに…ホントは聞こえてたんでしょ、最初からわかってたんでしょ。」
「え?そんな、私、演技なんてできないもん、全然わかんなかったよ。」
「まあいいよ、日本に帰るから。その時にちゃんと言うよ。」
「はーい、わかった。じゃあ気をつけてよ。」
「わかってるよ、じゃあね、おやすみ。」
ひかるくんは全てを吸収しようと精一杯頑張っていたようだった。言葉の端々から自信
みたいなものが感じられ、明らかに日本にいた時とは違っていた。才能を開花させるの
は時間の問題といった感じがした。
その後、私の書いた物語は幸運にも出版社の人の目に留まり、書籍になることが決まっ
た。そして更には映画化も決定し、想像だにもしなかったような出来事が私の目の前に
広がった。
ひかるくんもグンと男らしくなって帰国し、いよいよこれから第二の人生が幕を開ける
という期待感に満ち溢れていた。
「ひかるくんこれから忙しくなるね、パパも音楽も両立しなくちゃならないもんね。
もしかしたら主夫業も…どこかの芸人さんみたいに私のことを先生なんて呼ぶように
なるかもよ〜。」
「何言ってんだよ、俺だって超有名なヒットメーカーになるんだから。橘さんは将来の
有望株を手に入れたんだよ〜感謝しなくちゃね。えっと、でもその前にするべきことが
ある、っていうか…しとかなくちゃ…」
ひかるくんはちょっと恥ずかしそうに、モジモジしながらニタっと笑った。
私は何のことかさっぱりわからず「何?…」と返すと
「俺たちの子供、」と言った。
「俺たちの子供を作る。」ともう一度、真顔で言って、キョトンとしている私を尻目に
そっと部屋の明かりを消した。
りょうくんは無事に志望していた大学に進学し、自分の将来に向かって着実に歩み始め
た。りょうくんが独立しても私が寂しくならないように、神様がまるでタイミングを計
ってくれたように子供を授かることができた。そして“子供は3人”と漠然と抱いていた昔
からの夢もまた、叶えられつつあった。
「ひかるくん、さすがだね。一石二鳥とはこのことだね。」
「え?」
「双子だよ。一気に二人Jrができる。」
ひかるくんはポカンとした顔で私を見つめた。
「双子のパパになるの。」
「え?」
やっと事情が飲み込めたらしく彼は顔を真っ赤にして
「橘さんやったー、やったよ。あはは、良かった。それにしても凄いね、やっぱ俺って
持ってるな。」
と興奮気味にガッツポーズを繰り返していた。
「ねえ、それはそうと、もういい加減にその橘さんって呼ぶのやめにしない?」
と思い切って言うと
「え?うん…それはそうだけど、もう癖になっちゃってるからなあ…」
と困った顔をした。
「まぁいっか、そんな変わった夫婦がいても。変わってていいや。」
私はひかるくんにそう言うと
「橘さんならそう言うと思った。」
と笑った。
季節は巡る。何度でも繰り返し繰り返し、同じようであったとしても、全く同じそれ
は、二度とやって来ない。“似て非なる。”
いろいろなことを経験してやっと初めて本質が分かるものなのかも知れない。物事には
順序があって、間違いながらも一つ一つ、その度に軌道修正していけば、おのずと道が
開いていくのだと最近やっと確信できるようになった。
『私も強くなったなぁ。』
あの時の自分と比べて、格段に前向きになっている自分になんだか可笑しくなった。
『これからは、離れたくない時には“離れたくない”と、抱きしめて欲しい時には“ぎゅっ
として欲しい”と素直に言おう』と強く思った。
カッコ悪い部分も曝け出して、たまには迷惑をかけるのもいいかも…それも愛なのかも…
そう思えたのは“あの人”のお陰かも知れない…もう一人の運命の人。
すべてはこの日の為に、この瞬間の為にあったのかも…




