~贈り物~
術後の経過も良好で、移植による拒否反応も出なかった為、退院が早まりそうだと
看護師が知らせに来た。その人はこの前、達矢さんのことで動揺を隠しきれず興奮状態
にあった私に、現実を受け止めるよう諭してくれた看護師で、やっと冷静になって今
ネームプレートを見てみると、看護師長だと分かった。
「あの、師長さん、あの時はすみませんでした。大声を出したりして、ご迷惑をお掛け
しました。」
と頭を下げると
「いいんですよ、取り乱すのが普通です。当然のことですよ。」
と微笑んだ。
「それより橘さん、私大切なものをお預かりしているんですよ。本木達矢さんから…」
そう言うと私に白い封筒を差し出した。私は一瞬、言葉に困って師長さんの顔を見つめ
ると、師長さんは目を細めて頷き、無言で部屋を後にした。
私はしばらく封筒を手にしたまま開けるのをためらっていた。“この中には達矢さんの
思いが詰まってる”そう思うとなんだか怖いような気がしたから…
私は深く息を吸うと、もう一度封筒に目をやった。
【 橘 涼子様 】そして封筒をひっくり返すと 【本木達矢 】と記してあり、私は意を決し
て封を開いた。
橘 涼子様
僕は初めて君に逢った時、……………………………………君の人生はこれからが本番です。
ありがとう。本木達矢
そして便箋の下の方に
‘追伸 今度生まれ変わったら、もしもまた、もう一度君に出逢うことができたら
君はどうしますか?僕はきっとまた、君のことを好きになると思います。そしてたとえ
離れたとしても、また君を探すと、思うよ。
と書かれてあった。
「達矢さんっ…」
私は声をあげて泣いた。
無事に退院し、達矢さんが亡くなって1ヵ月が過ぎようとしていた頃、私は身体の異変に
気がついた。そういえば生理がまだ来ていなかったのだ。短期間にいろいろなことが
起きて神経を使ったとはいえ、それにしてもおかしいなと思いつつも何日か様子を見て
いると、なんとなく熱っぽく、風邪のような症状が出て、突然吐き気を催した為、私は
『これは…』と思い、すぐに薬局へ行き妊娠検査薬で確かめてみると、やはり陽性反応
が現れた。冷静になって思い起こしてみると時期からいって、あの時、達矢さんが余命
いくばくもないことを知って離れたくないと寄り添った、きっとあの時に違いないと
確信した。
私は来る日も来る日も思い悩み、やがて1週間ほど経ったとき、ひかるくんにこう切り
出した。
「ひかるくん私、あなたにもう会えなくなるかもしれない。離れたくないけど、でも
離れなくちゃ…」
ひかるくんは明らかに動揺した様子で
「、どうして…」
と低い声で言った。
「…私、お腹に赤ちゃんがいるの。」
「…赤ちゃん?…」
「達矢さんの子だと思う…だから、もうこれ以上はあなたと一緒にいられない。いられ
ないから…」
と勇気を出してそう言った。
彼は言葉が見つからないらしく、しばらく押し黙ったままだったが、やがて
「少し考えさせて。急に言われても頭の中が混乱して…」
と言って、私の顔をろくに見ずに立ち去った。
数日後、どんな結果になっても全てを受け入れる覚悟でいた私に、ひかるくんは
「俺は父親になる前に自分の人生において挑戦してみたいことがある。」
と打ち明けた。それは私と会ったのがきっかけで、ずっと興味があった音楽の道に
もう一度真剣に取り組み始めたばかりで、ちょうど今、以前から親交のあったライブ
ハウスのオーナーから“ちょっと出てみないか?”との誘いが来ているとのことだった。
「すごいじゃない?!やっぱりあなたには才能があると思うよ。いい声してるもん。」
そう言うと複雑な顔をして微笑んだ。
「ひかるくん、あなたは自分の才能を信じてとことんチャレンジして。悔いを残さない
ように、ね。」
「…うん。」
ひかるくんは私の顔をまじまじと見た。
2週間くらい経った頃、ひかるくんから“ ライブに出させてもらうことが決まったから
見に来て”と連絡があった。
当日、自分のことのようにドキドキしながら彼の出番が来るのを待っていると、いつも
とは別人のような彼がステージに現れた。こっちにも緊張感が伝わってきそうだったが
耳に届くその声はやはり心地よく、初めてなのに存在感があり、どこかカリスマ性の
ようなものを感じた。すっかり興奮した私はひかるくんに会うと早速
「やっぱり私の思った通り、いい声してる。カッコ良かった。」
と素直にそう伝えると、照れ臭そうに
「っ、そう?」
と笑った。
何日かして、“ライブハウスのオーナーから「また出てもいい」と言われた”と ひかる
くんから連絡があり、
「俺やっぱりもっと頑張る。頑張るから!」
と興奮気味に語るその様子に、私は嬉しくなった。初めて会った時はどことなく人生を
冷めた目で見ているようなところがあったけど、こんなにも自信に満ち溢れた表情を
見せるようになるとは、夢にも思わなかったからだった。
ひかるくんも私も忙しくなり、毎日があっという間に過ぎてしまうようになった。
目の方もお腹の方も順調で、何の問題もなくこうして元気でいられることに心から感謝
する日々だった。
そうして半年が過ぎようとしていた頃、ひかるくんが日頃からお世話になっている
ライブハウスのオーナーの計らいで、ひかるくんの曲のデモテープがプロダクションの
目に留まり、新人発掘のオーディションに参加する運びとなった。
一次審査、二次審査と無事合格し、なんと最終審査まで残るという快挙に至った。
「こんなことってホントにあるんだね、まるでドラマみたい。すごいよ、すごい。
ホントにすごい。尊敬するよ、ひかるくん。」
ひかるくんはこの数ヶ月で見違えるほど逞しくなって、輝いていた。
「橘さんのお陰。俺頑張るから、絶対優勝してみせる。橘さんに優勝をプレゼントする
から!」
と自信ありげに笑った。
オーディションの最終選考の日は私もついていくことになった。
当日はどんな髪型にしようか?どんな服装にしようか?と散々悩んでいたが、結局ひかる
くんが選んだのは、サラリーマン風のヘアスタイルで、髪の色も黒に染め直していた。
驚いている私に
「こういうの前から憧れてたんだよ、カチッとして真面目そうでいいでしょ。」
と言い、
「あなたは 十分真面目な人だよ。」
と私が言うと照れ臭そうに笑った。
「ねえ、ところでどんな曲にしたの?」
と今日これからやる曲について尋ねると
「うーんそれは始まってからのお楽しみっ、」
と言って教えてくれなかった。
だが『またこのサプライズパターンか…まあいっか。』と思い直し、本番を楽しみに待つ
ことにした。
いよいよ最終の審査が始まった。名前を呼ばれ、前へ出て行くと、ひかるくんは用意
されていたピアノの方に向かい、椅子に腰掛けると深呼吸をして演奏を始めた。
『ひかるくんは手先が器用だからなぁ。』などと思って聞いていると、歌詞の内容が
私にあてたものだということが徐々に分かってきた。分類で言えば所謂バラードで、
私との出会いから様々な出来事の中で変わっていった自分の気持ちや状況、そして現在
さらに未来などが描かれていたが、でも単なるラブバラードではなく、人生観みたいな
ものも盛り込まれている、良い作品だった。
あとは結果を待つだけ。
「いいことが起きるよ。きっと大丈夫。」
私はひかるくんに、そして自分にそう言い聞かせていた。




